しかも、政策的な実績はほぼゼロと言ってよかったのである。
大丈夫だ』と言い張る。
清水社長「二時間ぐらいあれば…」 総理「そんな悠長な時間はない!」 清水社長「…」 総理「一時間で用意して下さい。
帰国者・接触者相談センターにアクセスする際に設けた「37・5度の熱が4日間」という「相談・受診の目安」が良い例だ。
その足で平河町の中国料理店「赤坂四川飯店」で、細田博之元幹事長、麻生副総理兼財務相とともに細田派・麻生派の衆院当選3回生議員らとの懇親会に出席したあと、そのまま富ヶ谷の私邸に帰宅してしまった。
12菅直人という元総理大臣の一端を物語る、こんなエピソードがある。
従来非公開だったのですが、朝日新聞が今年5月20日朝刊一面で、福島第1原発所長だった故・吉田昌郎氏の聴取結果書、通称「吉田調書」を入手したとして「所長命令に違反 原発撤退」という見出しでスクープ。
では、翻って安倍首相はどうだろう。
菅さんは足元見られ過ぎ&引っ張られ過ぎでした。
それに加え、東電から現場を撤退したいとの申し出もあった。 ずぶの素人が官邸の主になったも同然だった。 途中、秘書官からメモを見せられると、慌てて謝罪し、発言を撤回した。
これは、菅が事故発生当日に班目委員長を官邸に呼びつけ、すぐに官邸に常駐させる体制をしいたのとは雲泥の差と言っていいだろう。 2011年3月、福島第一原発で何が起こったのか。
感染の有無を調べる検査態勢も、マスクや防護服などの医療体制も、あっという間に逼迫(ひっぱく)した。
たとえば、2月13日には国内初の感染者の死亡が確認されたが、安倍首相は午後6時台に対策本部での会合などをさっさと(約15分間)済ますと、午後7時には東京・丸の内のパレスホテル東京で行われた後援会「晋精会」の会合で挨拶。
新潟が5位に入ったのは、田中角栄の蔵相時、4位が自民党幹事長、3位が幹事長、通産相時、そして総理大臣のときだったのである。
福島第一原発事故時の「命をかけろ」発言を自画自賛 同記事は安倍晋三首相の後任を決める自民党総裁選に触れ、菅義偉官房長官が注目を浴びている点を指摘。 』と混同する市民がいるとも伝えられる。 このメモについて、官邸からの指示という見方がある。
16平成22(2010)年6月、民主党代表。
さらに日米関係の亀裂を突くように、中国は尖閣諸島周辺の海へ船舶を次々侵入させた。
総理大臣歴:第94代 2010年6月8日~2011年9月2日 小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。
東京工業大学理学部卒業後、弁理士となる。
吉田調書が公開された今、改めて考えるために、菅氏と福島原発事故、東電をめぐる一連の問題について、論点を整理してまとめてみました。
それから、これは最近分かった事ですが、「SPEEDI」と言う放射性物質の拡散状況を予測するシステムの試算結果を、文部科学省が外務省を通して米軍に提供していたのですが、その結果は首相には知らされていませんでした。
そうなればメルトダウンも起きず、発 電機が1台か2台が使えなくなるだけで、そのごの処理もスムーズと なり、福島県民が被害を受ける事などなかったろう。
本誌は今回、長きにわたって政界を見守ってきた識者たちに、「21世紀の日本をダメにした最大の『戦犯』は誰か」を聞いた。
「日本を変える」と喧伝した彼らの公約「マニフェスト」は、とうてい実現不可能なシロモノだったのだ。
安倍ら三人はすぐに「これは持たない」との認識で一致した。 国家の危機におけるリーダーの役割とは何でしょうか。
「特に問題だったのは、沖縄の基地問題への対応でしょう。
最も多くの識者が挙げたのは、3年と3ヵ月の間政権を担った、民主党政権の人々である。
あの時菅直人政権に向けられた、憎悪にも似た国民の非難は、 政権交代後も安倍晋三前首相らの手で「悪夢の民主党政権」と何度となく繰り返され、十分な検証もなく国民にすり込まれていった。
田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
吉田所長はこれについて違和感を表明しています。 これを受け朝日は9月11日に一部報道を修正、謝罪しています。
一瞬の沈黙の後、総理が強い口調で発言。
彼らは国民の期待を一身に受けながら、それを裏切り、粉々に打ち砕いた。
この時間も辞任の意思を固めていなかった。
だが安倍首相は、賛否は置いても「今目の前にある危機には絶対に間に合わない」憲法改正には熱心な一方で、 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言など、 現行法を用いて現在の危機に対処することには及び腰だった。 「東北の方々を傷付ける極めて不適切な発言があった。
8どれぐらい準備に必要か?」 東京電力清水社長も驚いた様子だった。 官邸側として撤退は認めていないものの、これから一層事態が深刻化した場合、どのような判断をとるか決めていきたい」 普段饒舌な長官だが、珍しく導入が下手な気がした。
こんな周りじゃ、行動が遅いと言われてもしょうがないと思いましたね。
新党の名称は枝野氏が提案していた「立憲民主党」に決まり、再出発を祝う「ハレの日」でもあったため、立憲民主党関係者からは「過去のマイナスイメージを体現する菅直人さんは頼むからもう出しゃばらないでほしいのに……」との恨み言も聞かれた。
『ここはとにかく命をかけてでもやってもらいたい』。