しかし諭吉が言いたいのは、そこではありません。 譬 ( たと )えば今、日本にて平民に苗字・乗馬を許し、裁判所の風も改まりて、表向きはまず士族と同等のようなれども、その習慣にわかに変ぜず、平民の根性は依然として 旧 ( もと )の平民に異ならず、言語も 賤 ( いや )しく応接も賤しく、目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。 」(意訳)等と、から約4年半後の世相を考えればかなり先進的な内容だったと言える。
8無智無力の小民ら、 戈 ( ほこ )を 倒 ( さかしま )にすることもなかるべけれども、われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。 近代とそれ以前の社会とを区別する最も大きな違いは物質的、経済的豊かさの飛躍的向上である。
さらに、『』同年11月7日号に「学問ノススメ之評」として転載され、『』同年11月8 - 9日号、『』同年11月9日号にも掲載された。
全文を原文と現代語訳の両方で掲示しますので、ぜひ、ご一読いただければと思います。
つまり諭吉は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと 言われています」と書いただけです。
[#改段] 近来ひそかに識者の言を聞くに、「今後日本の盛衰は人智をもって明らかに計り難しといえども、つまり、その独立を失うの 患 ( うれ )いはなかるべしや、方今目撃するところの勢いによりてしだいに進歩せば、必ず文明盛大の域に至るべしや」と言いて、これを問う者あり。
そのためにまずは知識で武装しなさい。
右所論をもって考うれば、方今わが国の文明を進むるには、まずかの人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。
後半では自己より優れた相手を比較する基準に置いて、常に向上を心がける必要性を説く。
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。 ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』 この一文です。
これを健康に保たんとするには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、 痛痒 ( つうよう )、外より 刺衝 ( ししょう )して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。
その次第はなはだ明らかなり。
智恵なきの極(きわ)みは 恥を知らざるに至り、 己(おの)が無智をもって 貧窮に陥り飢寒に迫るときは、 己が身を罪せずして みだりに傍(かたわら)の富める人を怨み、 はなはだしきは徒党を結び 強訴(ごうそ)一揆(いっき)などとて 乱暴に及ぶことあり。 今わが輩もこの国に生まれて日本人の名あり、すでにその名あればまたおのおのその分を明らかにして尽くすところなかるべからず。
」 ここでいう和歌や古文というのは、今風にいうなら「学校の成績が良いというだけにあらず」ということを意味します。 さあ誰の仕業でしょうか。
先住民の「インディアン」、アジア人、もっと言えばキリスト教徒以外の人々、は、 そもそも「人間にも入っていない」というのが、当時の実状だったことをよく知る必要がある。
たといその策は巧みなるも、文明の事実に施して益なかるべし。
エジソンの名言なんかもそうなのだが、 偉人の言葉はおかしな部分だけ切り取られて一人歩きしている物が多いと思う。
諭吉先生の持論4〜起業して生きた痕跡を残して後世に伝えろ 諭吉先生にはさらにこんな持論があります。 学問とは、ただむずかしき字を知り、 解 ( げ )し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。
15。 修身学とは身の行ないを修め、 人に交わり、 この世を渡るべき 天然の道理を述べたるものなり。
文字は学問をするための道具にて、 譬 ( たと )えば家を建つるに 槌 ( つち )・ 鋸 ( のこぎり )の入用なるがごとし。
』 的な意味で伝わってる気がするんですね。
ともあれこの成句は、「門閥制度は親のかたき」と叫んだ福澤の生涯を、ある意味で象徴した言葉ともいえよう。
福沢先生も言ったように『天は人の上に人を造らず』さ。 この引用に対応する下の句とも言える一文は、 「されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや」 である。
4そのためにこそ学問はある、ということです。
政府の方針が明確になりだした1882年(明治15年)前後から、福澤は政府の方針を反動として『』で批判を展開するが、1889年(明治22年)の発布を経て、天皇制国家が確立する。
今でいうところの、 「海賊王に俺はなる」とか 「水の呼吸1の太刀」とかそんな感じです。
この場合はね。