つまり、19篇を除外して22篇を新たに追加したことになります。 かうして一日の心の営みをわたしは更け渡る夜に果てしなく洗ひます ~高村光太郎~ 21 新郎と新婦と手をとりて立てり 汝等は愛に燃え、情欲に燃え 絶大の自然と共に猛進せよ ~高村光太郎~ 22 詩の翻訳は、結局一種の親切に過ぎない ~高村光太郎~ 23 ああ、自然よ。 むざんな光景も広がる。
それが英語で読めるなんてと嬉しくなった。
「元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず」ということばから推察されるとおり、「生活的断崖の絶端をゆく」そのゆき方により、詩のことばは変容を避けられない。
東京美術学校の彫刻科に入学した頃、同時に短歌や詩集などにも造詣を深め、歌人の与謝野鉄幹のもとでも働いていたこともありました。
「通じてる」は底本通り。
「偶作八篇」は次のようにいろいろな詩の部分の寄せ集めです。 この社会情勢で"角が立たない"、"毒にも薬にもならない"詩であっても、"暗愚"ではない、という条件で詩を選択した。 これは、改訂版に収録されたが再訂版で削除されたもの、および改訂版で初めて収録され再訂版では除かれたものです。
1130年以上も前、花巻の高村山荘に行ってきた。 ただ、意味としては、基本的にみちのりと同じで、「その地に至る道のり。
どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立つてゐる 何といふ曲りくねり 迷ひまよつた道だらう 自堕落に消え滅びかけたあの道 絶望に閉ぢ込められかけたあの道 幼い苦悩にもみつぶれたあの道 ふり返つてみると 自分の道は戦慄に値ひする 四離滅裂な 又むざんな此の光景を見て 誰がこれを 生命(いのち)の道と信ずるだらう それだのに やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた そして僕は此処まで来てしまつた 冒頭だけで、たった9行しかない現在の「道程」の文字数を超えていますね。
そしてこのカギは碌山と光太郎の2人によってもたらされたと考えられています。
参考文献 [ ]• 4 それぞれの詩に対して、収録状況を"ABC"の様に表す。
まったく人間の生涯というものは苦しみの連続だ ~高村光太郎~ 30 詩を書かないでいると死にたくなる人だけ死を書くといいと思います ~高村光太郎~. 険しい道のりへ立ち向かう勇気を持つ この詩からは、若者が持つ将来への不安と前向きな決意が感じられます。
18雑誌『美の廃墟』 高村光太郎「道程」、『美の廢墟』第6号、美の廢墟社、 1914年3月5日、 1-8頁。 鎌田敬止が八雲書林という出版社を設立し、昭和19年には八雲書林は青磁社に統合され、それに伴い鎌田敬止は青磁社の編集長に就任したというのです。
頭から夜着をかぶつて目をとぢたが とろりとすると又笑つた。
「氷上戯技」という詩は改訂版で収録され、再訂版でも収録されており、また詩集「をぢさんの詩」にも含まれます。
どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立っている 何という曲がりくねり 迷いまよった道だろう 自堕落に消え 滅びかけたあの道 絶望に閉じ込められたあの道 幼い苦悩に もみつぶされたあの道 … 光太郎の経験を重ね合わせて読み取ることができます。
もともと地上には、道はない。 ・本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。
底本 [ ]• 道程は、Jorneyなんだなと単純にへぇと思った。
では残りの5件はどうなのでしょうか。
道程 高村光太郎 どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立っている 何という曲がりくねり 迷いまよった道だろう 自堕落に消え 滅びかけたあの道 絶望に閉じ込められたあの道 幼い苦悩に もみつぶされたあの道 ふり返ってみると 自分の道は 戦慄に値する 支離滅裂な また むざんなこの光景を見て 誰がこれを 生命の道と信ずるだろう それだのに やっぱり これが生命に導く道だった (略) この詩の作者は 高村光太郎。
2年前の大詔奉戴の日を思ひ、今このやうに詩集など編んでゐられることのありがたさを身にしみて感ずる。
"万物と共に踊る"も同様です。
むろん全記録の意味ではない。
そして、すべてを投げ出して、文字どおり身一つで光太郎のもとにやってきたのでした。
改訂版に収録された詩は、「智恵子抄」とは重複するものがいくつかありますが、「大いなる日に」は戦争詩、「をじさんの詩」は子供向けの詩を集めたもので、改訂版と重複するものはほとんどないのではないか、という疑問が湧きました。 おれは感ずる、人間が無に等しい故に大である事を。
その後、美術学校へ進学し彫刻の勉強を進めました。
解釈例 私の進もうとする人生に開拓された道はない 私の進んできた後に自ら切り開いた道が出来ている ああ父なる自然よ 私を一人立ちさせてくれた広く大きい父なる自然よ 私から目を離さず見守り励ましてください 常に父なる自然の激しい気力を私に充たしてください この長く遠い将来への険しい道のりを 歩んでゆくために 道程という言葉は、 「その地に至る道のり」を意味します。
1945年から1952年までの花巻で過ごす。
102行の詩になっており、大幅に削り圧縮し、自立を宣言をする最後の9行を残したのが最初に紹介した9行の詩になっています。
彼は、常に絶望している彫刻家でした。
そして彫刻を作るように、不要な部分を削りに削ったのです。
」を指します。
「」 詩『智恵子抄』の「あの頃」より。 青磁社とは「道程」再訂版の出版社です。
「編纂した」と過去形で表現されていますから、実は昭和18年11月には編集作業は終わっていたのです。
この"ABC"という整理の方法については、に簡単にまとめました。
その後、アメリカやヨーロッパなどに留学をし、西洋美術を学びました。