」かえるくんのこの言葉を胸に。
『かえるくん、東京を救う』 かえるくんの名言 ぼくらの人生は勝ち方によってではなく、その破れ方によって最終的に価値を定められるのです。
さらに、かえるくんは自分のことを「かえるさん」と呼ぶ片桐を事あるごとに「 かえる くん 、、 」と人差し指を立てて訂正しますが、かえるくんが自分を「くん付け」で呼べと言うのと同時に、彼はみみずくんを「くん付け」で呼んでいます。
かえるくんは、みみずくんと闘うというのです。
しかし、正確なことはわからない。
英文対訳方式で「かえるくん、東京を救う」を読み進める NHK出版『村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解』 英文、日本語文は1ページずつですが、解説は数ページに渡ってポイントとなる表現が詳しく説明されます。
そのことで彼は深い怒りに示唆された一つの啓示を得ました。
実物の蛙です。
そして夢<=あちら側の世界>から「機関車」に乗って現実<=こちら側の世界>に片桐は帰ってきて静かに眠りにつきます。 みみずくんの感情が「憎しみ」としてが爆発しそうになったとき、片桐はかえるくんに導かれてそれに向き合おうとしているのだ。
3「かえるくん、東京を救う」は、淳平が書いている小説であるという設定で劇中劇のような形で同時進行する。
わからない。
「ぼくと片桐さんは、手にすることのできたすべての武器を用い、すべての勇気を使いました。
目に見えるものが本当のものとはかぎりません。
例えば、かえるくんは東京を救う者、みみずくんは東京を壊す者、というのは代表的な対象のポイントであると言えます。
しかし、一方でかえるくんは冬眠する者、また、みみずくんも冬眠する者です。 君は勝てる。
そうなった場合、確かにかえるくん自身は、理性です。
ある日、片桐が仕事から家に帰ってくると、一匹の大きなカエルが待っていた。
君は正しい』と声をかけてくれることが必要なのです。
作品をどうとらえるかは個人の自由であってよいはずだし 小説くらい自由に読みたい 、「ここの解釈は間違っている」などと指摘されても、もともと議論することを予定して書いているものではないから困ってしまう。
13しかし、そのために多くの人を犠牲にすることもまた<陰>を産みます。 片桐はとりあえず承諾することにした。
というより、人と地震とのかかわりといった方がいいのかもしれない。
ここではかえるくん=善、みみずくん=悪という簡単な図式では割り切れるものではない、ということも見ておかねばならないだろう。
かえるくんがどのように街を救ったのか。
それによるとこの作品は1999年に書かれたもので、1995年に起こったのアフターマス(災害後に残った余波的な危機)をテーマにした連作短編のひとつだそうです。 実にファンタスティックな出だしではないか。
12そして、よし、それなら自分もこの東京の街で大きな地震を引き起こしてやろうと決心したのです。 片桐は、どこまでが現実でどこからが妄想か、かえるくんは実在し、みみずくんと闘って地震をくい止めたのか。
原理的言えば、そのふたつのあいだには大きな違いがある。
解説のボリュームの多さに驚く方もいらっしゃるかもしれません。
日本に住んでいる以上、こういった 痛みの記憶は風化させないようにしていきたいなと思った次第でした。
かえるくんはみみずくんのことをこう語っています。 その日の夜中、かえるくんが病室に現れる。
15まるで、まだ作品を読んでいない自分と向かい合っているようだ。 「片桐さんは僕をひとりにして逃げたりしないと思います。
みみずくんの姿を見たものさえ、ほとんどいません。
そんな思いとともに、片桐は病室で静かな眠りについた。
」 わかりにくいセリフだが、このように考えてみたい。