あの世とこの世の境目にあるとされる、三途 さんず の川のほとりが賽の河原と呼ばれています。
二つや三つや 四つ五つ。
親よりも先に死ぬと、賽の河原に行き、 石積みをしなければなりません。
「無駄な努力」を表す慣用句やことわざは他にもたくさんあります。
一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため 三つ積んでは人のため Om それはあの世のことなれば 賽の河原に鬼ぞ住む 死出の山路は暮れなずみ 子取ろ子取ろと羽虫鳴く 現身うつせみの涙で出来た 輪廻の河が打ち寄せる 一つ積んでは父のため. 「地蔵和讃」の情景が彫られているお地蔵さん お地蔵さん(地蔵菩薩)は、江戸時代になると、子どもを守護してくれる仏として信じられるようになりました。 ひとつ積んでは父の為 ふたつ積んでは母の為 三途の川を渡ろうと河岸に近づくと. 早く死んでしまったってことがなぜ子供の罪になるのか? なぜ鬼に罪滅ぼしの邪魔をされ続けないといけないのか? 死んでしまった=親不孝だと責められるのは少し酷なような気がしますね。 死の縁無量ですから、子供が先に死ぬこともあります。
18どこまで行っても、心からの安心も満足もなく、 汗と涙で築いたものが色あせ崩れる悲劇を繰り返し、 人生を終わって行くのです。
骨折り損のくたびれもうけ• 何か行動をおこすならちゃんと結果が伴ってほしいものです。
河原の石を拾い積み、 罪減らしの塔を積む。
『日が昇ると、二つ三つと十にも満たずに死んだ幼な子が、冥土の賽の河原で、 父恋いし母恋いしと泣きながら、重い石を一つずつ運んでは積み上げて、親兄弟のため回向の塔を造ります。
(賽の河原和讃) これが『 賽の河原和讃』に描かれた 賽の河原の様子ですが、一体どんな意味なのでしょうか? 賽の河原和讃の意味 この世はの世界です。 完成する前に、鬼がきて崩してしまいます。
16「あなたの努力は無駄になる」と訳せる言い回しです。 なかなか実生活では使わない言葉ですね。
所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども. Your efforts will go be down the drain. これはもう涙なくしては読めない! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 親に先立つこの子らは、親を嘆かせ幾千日か 童にあれども罪深し 娑婆の双親 嘆き声 間近く聞きつつ石を積む ひとつ積んでは母のため ふたつ積んでは父のため 歌うその声哀れかし とまれこの世に生を受け 寿命をまっとうせずの罪 親に先立つ大罪は 子々孫々へと続くなり なれは十にてまからむる ありし日の服見て嘆くぞな 背負うた紐見て嘆くぞな なれは五にてまからむる 墓に菓子盛る親心 食わさせよとて供える心 問うは「何故」にも哀れなる ここは冥途の川原なり 罪を犯せし童ども 川を渡るを得るまじき 積善せざるその生に 遅れしことは目をつぶる たった今から石積めや 虚空の塔をここに建て 積善供養をさせてやろ 娑婆においての布施とやら 土壇場でする川原なり 積む石の角手を切るか 寒き川原に震えるか そは汝らの不徳ゆえ ひと石ひと石積み上げよ 布施にならざる戯れは この赤鬼が許すまじ ひと石からのやり直せ ここは娑婆と違うこと 賽の川原と心得よ 春も夏もないところ 冷たき風の通り路 涙流せど吹き散るや アカギレの手に刺す痛み それでも積めや親のため いびつな塔を積むうちは 親の思いは離れまい 布施のひとつも出来るまじ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ありし日の服見て嘆くぞな 背負うた紐見て嘆くぞな」ってとこ、 特に泣けました。
すると、獄卒のがにらみつけ、 「 なんだお前のその塔は。
かなしさほねみをとおすな りかのみどりこのしよさとして。
手足は石に擦れただれ 指より出づる血の滴 身うちを朱(あけ)に染めなして 父上恋し母恋しと ただ父母の事ばかり いうてはそのまま打ち伏して さも苦しげに歎くなり。
濡れ手で粟:苦労せずに大きな利益を得る。
めも 「西院河原」というのは「さいのかわら」ということで、他にも「賽河原」「賽の河原」などの 表記があります。
でも、なんでこんな歌なんだろ。
ここは家族と遠すぎる。 このように毎日12時間、 石を積んでは崩され、 石を積んでは崩され、 これをいつ果てるともなく繰り返すのです。 さいの [p. いたきかかへてなてさすり。
賽の河原に行くのは、三途の川を渡らせてもらえなかった子供。
発音の関係でシーシュポス・シジフォス・シシュフォスよ表記されることもあります。
また、本田1985で紹介されている和讃の内容もこれらとほぼ同じです 漢字混じり。
二人の幼子が、賽の河原で、重たい大きな石を運んでは一重二重と積み上げて、回向の塔を造っています。
一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子(おさなご)が 母の乳房を放れては 賽の河原に集まりて 昼の三時の間には 大石運びて塚につく。
かかる罪科あるゆえに 賽の河原に迷い来て 長き苦患を受くるとよ。
むごやかなしやふびんやと。
ぢこくのおにがあら [p. こひしこひしとなくこゑは。
母親のお腹に宿ってから10カ月、 両親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えて 血肉を分けてこの世に産んでくださったのに、 もせずに先立ち、両親を悲しみ苦しませたのは、 恐ろしい五逆罪なのです。
14ソロ トイカム 20150607 0053 この記事が気に入っ. きくにつけてもあわれなり。
あは れみたまふぞありがたき。
地蔵尊の御足の下に、賽の河原で幼な子が石を積む様子が彫られています。
親よりも子供が先に死んでしまうと、 その子供は、のほとりの 賽の河原に行くことになります。
くろが子のぼうをのへ。 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は. 「ひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため…」とつぶやきながら。 何十年もローンを組んで家を建てても、 大震災や津波が来れば一瞬で崩れてしまいます。
その岩はゼウスと同じ大きさ・重さです。
この世でも同じことが起きています。
1] さいのかはらぢぞうわさん これはこのよのことならず。
賽の河原では、 「 一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為」 と石を積んで、仏塔を作ります。
いかがですか? 語源まで「賽の河原」とそっくりですよね。
石を積んではに崩され、 石を積んではに崩されが いつ終わるともなく続くのです。
(法華経) それで、ここからきたのだろうと言われています。
お地蔵さんの台座には、賽の河原で、重い石を一つ二つと積み上げている子どもと、それを窺っている、黒い金棒を持った鬼が彫られています。