百尺竿頭 進 一歩。 禅語に親しむ

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)、進一歩(しんいっぽ)」

一歩 百尺竿頭 進 一歩 百尺竿頭 進

【百尺竿頭進一歩十方刹土現全身】• かなりの高さである。 ということで皆さん!!そのことを想像してもらいたい。

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道徳家くさくてもいけない。

「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」その1

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「百尺の修行をして、竿頭に安坐し、悟りの境界にいる人は、まだ真(まこと)に悟った人とはいえない。 極地に達した場合であっても、満足せずさらなる成長を目指す。

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大切なことは目に見えないということなのかな。 「得る」と「失う」もまた同じです。

「百尺竿頭に一歩を進む:ひゃくかんとうにいっぽをすすむ」(にが入る熟語)読み

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ここに、それを上げるならば、 「百尺竿頭坐底人 雖 ニ然得入 一 未 レ為 レ真 百尺竿頭須進 レ歩 十方世界現 ニ全身 一」であるが、漢文だと、こりゃ難解だ。 だから禅門では「大死一番、絶後に蘇る」という言葉を尊ぶ。

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私達一般社会においても言えることではないか。 とはどういうことなのか? 一歩を踏み出したならば、その竿頭から落ちてしまうことになる。

「百尺竿頭に一歩を進む:ひゃくかんとうにいっぽをすすむ」(にが入る熟語)読み

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十方世界とは、あらゆる世界、あらゆる所という意味であり、そこにいる人々の為に、自己の仏向上の修行を具現し全ての人々を救うことが、本来の悟りということであるとのことだった。 その方も、そしてその場の皆さんも一様に「何て、言ったの?」というような空気が流れた。

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」という解説があります。

「百尺竿頭に一歩を進む:ひゃくかんとうにいっぽをすすむ」(にが入る熟語)読み

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以上のことを前提として、先の漢文を解釈をしてみる。 然(しか)も得入(とくにゅう)すと雖(いえど)も、未(いま)だ真(しん)と為(な)さず。 永遠に生命があるのなら、そうはいきません。

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それがとても大事という教えです。 その こと で、 人生 は ラク になり、 いつの間にか、 幸せ を 手 に 入れる」 これを読んでてて、人生は「かたずけ」に似ているなと思った。

【慣用句】「百尺竿頭に一歩を進む」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターが解説!

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その身を投げ出し、落つる所はどこか? それは、苦しみ悩める我々衆生(しゅじょう)の世界ということなのだ。 多少、説教臭い部分があり、とっつきにくいが、理解できればいい話しばかりでした。 さらに 先 を 目指し、 精進 を 続け なけれ ば なら ない、 という 戒め が 込め られ た 言葉 です。

その 頂点 と 思わ れる 場所 から、 さらに 一歩、 二歩 と 進ん で いく こと が 大切 で ある、 という 思想 が 禅 には あり ます。

「百尺竿頭に一歩を進む:ひゃくかんとうにいっぽをすすむ」(にが入る熟語)読み

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つまり、この禅問答の教えたるものは、 百尺たる修行に修行を重ね、悟りの世界に上りつめたとしても、そこに安住しているならば、それは本当の「悟りの境界」とはいえない。 いったん掴んだ安らいの境地、悟りの世界は大変居心地が いいものらしい。 それは物質だけでなく、他人からの評価や、与えられたポジションなどについても同じである。

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そのように、人は常に水の流れのように変化し続けているということなのか? 「百尺」は「ひゃくせき」と読む場合もあるので、注意しましょう。