慈母には敗子(はいし)あり 情け深い母親には、その愛におぼれてとかく残念な子ができる。 是に順ふ、故に淫乱生じて、礼義文理亡ぶ。 二柄(にへい)は刑と徳なり。
17そこで、無謀にも、現代語訳と英訳を、ゆっくりと進めています。 そうであるらば、人というのは生まれつきの性質に従い、(人の)感情のままに従っていると、必ず他人と争い奪いあい、物事の筋目を乱すことになり、乱れた状態になってしまう。
よき人の御前に人々あまた侍ふ折、昔ありける事にもあれ、今聞しめし、世に言ひける事にもあれ、今きこしめし、世に言ひけることにもあれ、語らせ給ふを、我に御覧じ合はせてのたまはせたる、いとうれし。
秦の始皇帝が「韓非子」の思想を実践した 秦の始皇帝は「韓非子」の法家思想に感嘆し、実践しました。
故に必ず将に師法の化・礼義の道有りて、然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
一部を紹介します。
是に順(したが)ふ、故に争奪生じて辞譲(じじょう)亡ぶ。 「韓非子」は「性悪説」の荀子に学ぶ 「韓非子」とは、人名であり、書物の名前でもあります。
いかならむと思ふ夢を見て、恐ろしと胸つぶるるに、ことにもあらず合せなしたる、いとうれし。
今人の性は、生まれながらにして利を好む有り。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。
一方で損になるのであれば、父と子の間であっても怨みが生じる。 順 レ フ是 ニ、故 ニ淫乱生 ジテ而礼義文理亡 ブ焉。 お互いの利益になるのであれば遠い国の人ともうまくやっていける。
の二つの意がある。
人としての韓非子は、中国の春秋時代から戦国時代にかけておこった、熾烈な思想競争の時代に生きました。
『墨子』の思想は繁栄したが批判も多かった 当時の様子を記した言葉には「弟子いよいよ豊かに、天下に充満す」などと書かれており、その思想は繁栄しましたが、一方で批判も多くありました。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。
故必将有師法之化、礼義之道、 然後出於辞譲、合於文理、而帰於治。 墨子は戦国時代の思想家で「墨家」の開祖 墨子は戦国時代の思想家で、生没年は明らかになっていませんが、およそ紀元前470年~390年頃の人だとされています。
ひょう炭は器を同じくして久しからず。 「テバナシ」に「セキ」をされては堪(たま)らない/「ハヤリカゼ」はこんな事からうつる!(『現代語訳 流行性感冒』より) ロサンゼルス市およびサンフランシスコ市で発行されたポスター類。
韓非子は儒家の「荀子」に学びます。
まして、かうしも、いかで」と御心とまりけり。
思ふ人の上は、わが身よりもまさりて、うれし。
『韓非子』の中で、「君主に意見を述べるときは、君主の逆鱗に触れないようにすることが大切だ」と書かれていることがもととなった言葉です。
女どちよりも、男は、まさりてうれし。
以上の点から考えると、人の(生まれたままの)本性は悪であることは明白である。
虎が犬を服従させることができるのは爪と牙があるからだ。
(性悪) <書き下し> 荀子 人の性は悪なり 人の性は悪なり、其の善なる者は偽(ゐ)なり。
愛する人の時には、自分の身のことにも勝って、嬉しい。
これが答は必ずせむと思ふらむと、常に心づかひせらるるも、をかしきに、いとつれなく、何とも思ひたらぬさまにて、たゆめ過すも、またをかし。
(また、人は)生まれながらにして、憎む性質を持っている。
其善者偽也。