地盤が弱い場合は、根切り部分に松材の杭を打ち丸太を並べる梯子胴木(はしごどうぎ)という基礎を敷いた。
後世に残していく技術です。
山本廣次 「日本土木史研究発表会論文集6巻・東海のコンクリートの歴史」• 「野面積み」との言葉は使われていませんが、「築城当初」というところから、「大きな崩落はなく」は野面積みのことと考えていいでしょう。
そして 31歳になったある日。
それが、今は新規の工事が少ないのでなかなか教えられない。
江戸城の石垣も穴太衆が手がける 江戸城築城の際にも普請(ふしん)役として「穴太頭(あのうかしら)」を設け、滋賀県大津市在住の職人が「穴太頭」として活躍しました。 滋賀県彦根市にある彦根城の石垣も穴太衆の手によるものです。 野面積み 戦国時代に造られた城は、その後改修されていないのならばこの積み方です。
8この先はとても食べていけそうにないと、私は大学卒業後、県庁の試験を受けることにしました。
私たちの仕事を視察に訪れたある大学教授が「この仕事はあなただけのものじゃない。
10年後から始めたらもう頭が固くなって仕事を覚えられない。
割り石積み 別名は「打ち込み接(は)ぎ」です。
見た目には最も整然としています。 この「野面積(のづらづみ)」という技法を得意とし、戦国時代、日本中を席巻した職人集団がいました。 当サイトに掲載の画像の著作権は当サイト管理人にあります。
2対して、やなどを練りこんで石同士を接着する積み方を「練積み」(ねりづみ)という。 穴太積 [ ] 穴太積の石垣([現・滋賀県坂本]) 穴太積(あのうづみ、 穴太積み)は、(野面積み)を指して初期以降に用いられるようになったであり、穴太衆が手がけた野面積の石垣のことを言う。
お城や寺院の修復については、無くなりはしないでしょうが、一度修復すると長持ちしてしまうので、需要自体が増えてきません」 穴太衆の石積みを海外へ 国内の需要拡大を待っていては埒が明かないと、近年、粟田建設では海外での施工に活路を見出しています。
寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。
それが、石を見る目を養う、石の声を聞く、っていうことやと思います」 経験を積む機会が減っている そういった面で、祖父の万喜三さんは本当にすごかったと、粟田さんは振り返ります。
石積みにも独特のノウハウ、秘密の技術があるのだよ。 「穴太古墳群」は海外(中国大陸)でみられる様式で、しかもその後の穴太積とよく似た構造になっています。 櫓、城門、塀はいずれも重要文化財。
7例えば、滋賀県立大学のキャンパス内の庭、大津市にある「ピアザ淡海」の玄関、新名神高速道路の護岸壁などに穴太衆積みの石垣が採用されました。 この驚異の技が、現代に新たな形でいかされた時、どんな姿を見せてくれるのか楽しみでなりません。
もともとは比叡山延暦寺の石仏や墓碑を作っていたのですが、石垣を築く技術も持っており、寺院や城の石垣構築にも携わりました。
城の石垣を見て、「きれいに積んであるな。
野面積みの一種として 穴太積み(あのうづみ)があげられるが、穴太積みは穴太衆が手掛けた石垣であって、特に野面積みの一種をいうものではない。
これは、荷重がかかる位置を必ず石の面(つら)から少し奥のところに持っていきなさいということです。 粟田建設は穴太衆の末裔であり、安土城、彦根城、竹田城跡などの石垣修復を手掛けてきた 現在、全国にある8割以上もの城の石垣が、穴太衆たちの手によるものだといわれています。 新名神高速道路工事の際には、穴太衆積みとコンクリートブロックを比較する強度計算を行ったのですが、なんとコンクリートの1. ここに普通に人々が暮らしています。
玉石積み(たまいしづみ) [ ] 玉石を用いた積み方。 石工に関連した伝説 [ ] 日本一の高さの石垣を誇るを築いたが石垣職人の羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)に対し、誰も登れまいと語ったところ、羽坂がこれを登ってしまい、軍事機密上の問題となるため、これを洩れるのを恐れた山崎氏が二の丸井戸に呼び出し、さすがにこれは登れまいと羽坂を挑発し、井戸に降りさせたところを投石で暗殺したという伝説がある。
穴太衆積みには細かな設計図はありませんが、頭の中で石の配置を思い描きながら組み上げていくのです。
しかし、あまりに穴太衆とイメージが結びついてしまったために、しばしば、「野面積み」と同じ意味で使われます。
表に出る部分だけではなく。
滋賀県彦根市の彦根城は国宝天守を持つ城として有名ですが、大津城、佐和山城、小谷城、長浜城から移築された建造物があります。
「石の仕事、職人の仕事がやっぱり好きなんやと思います。
大坂冬の陣・夏の陣以降に広まったところから考えても、「実戦よりも見栄えを重視」の積み方と考えていいでしょう。
「穴太衆は、石積みだけでなく今でいう土木作業も一手に引き受けてきました。