はっきりいえば茶色の「しょうゆおこわ」です。 ですから、赤飯もおこわの種類のひとつといえます。 金時豆も、 「豆がもくもく、ぼそぼそしてなくて、いい!」 とのことで、市販の金時豆の甘煮を使ったのは成功でした。
ほくっ、もちっ、そしてほのかな醤油やみりんの風味。 ふだん炊き込みご飯を作るときの味付けの目安は、 お米1合につき、醤油大さじ1くらいにしています。
翌日、浸けておいた金時豆をそのままの状態で火にかけ、加熱し、沸騰したらザルにあげていきます。
江口だんご本店 [住所]新潟県長岡市宮本東方町52-1 [電話]0258-47-4105 [営業時間]9:00-18:30 [定休日]元日のみ しょうゆ赤飯の注文は、店舗で電話受付するほか、webで通信販売も行っています。
下総野田 醤油の里は野田市の観光スポットな観光物産店を営業しています。
昔は季節の節目に行う祭礼や年中行事の日を 「ハレの日」と呼び、普段通りの日常を 「ケの日」と呼んできました。
7こんなに簡単に、何年も求めていた「しょうゆ赤飯」が作れるなんて。
湯が残っていれば湯きりし、すぐに砂糖をまぶし(写真4)、ふたをして蒸らす(ふたをするのは、皮がやぶけないようにするため)。
人参は4cmの長さで細切り、油揚げは縦半分に切り、細切りにします。
次項から、いろいろなおこわのレシピをご紹介しましょう。
「お赤飯」はそんな思い出も含めて、しっかりと心に刻まれているソウルフードなんだなと思いました。 炭水化物が多めのおこわに、消化吸収を助ける鮭をおすすめします。
9強火~中火で20分蒸す。
さらに、お米の粒がシャキッと立っていて、米のうまみを噛みしめている実感が沸いてきます。
いつから吉事の時だけになったかは明らかになっていませんが「 凶を返して吉にする」という縁起直しの意味があったと考えられています。
うちわで扇いで冷まし、好みで白ごまをふったら完成です。
早速レシピをご紹介します。 一般的な赤飯といえば、小豆やささげの煮汁でお米を色づけしたものを蒸し器で蒸かし、さらに塩味で食すものですね。
1金時豆がとてもやわらかくなっていますので、豆を潰さないよう、細心の注意を払ってしゃもじで全体を混ぜます。
砂糖を豆にまぶすと、蒸し上がったとき、豆につやが出、味もメリハリがでる。
その後、子供の頃から食べていた「赤飯」が長岡限定のローカルフードだったと知ったときは、ちょっとした驚きでした。
どんなときに売れるんでしょうか? 「お盆や年末年始など、帰省のタイミングですね。
もち米だけのものと食べ比べて、少し軽いと感じるくらいで、味は普通のおこわとほとんど変わりません。 しょうゆ色のおこわを赤飯というのは長岡だけ、というのもおもしろいところですね。
1郷土の素材を使えば、味わいもいっそう深まりますね。 もち米の白い部分がなくなるまで、しゃもじでよく混ぜます。
このとき、15分以上しっかり水気を切るのがポイントだ。
冷めたら手で好みの大きさに砕きます。
お話しを聞いて、しょうゆ赤飯の魅力がいっそう深まりました。
実家の母に作り方をたずねると、 「もち米をふかして(蒸して)、醤油やみりんを混ぜた液を途中でふりかけるんだよ。 炊飯器でも作れる、新潟のローカルフード「しょうゆ赤飯」 「しょうゆ赤飯」を探して、デパ地下を見たり和菓子屋さんを何軒も回ったのに残念ながら買えたのはおにぎり1個。
19・唐揚げ たんぱく質が不足しがちになるおこわには、鶏肉のおかずが合います。
代わりに身近にあるしょうゆで色付けした、近辺に醸造の町がありしょうゆ造りが盛んだったなど諸説あるようです。
ちなみに「豆の皮がやぶける」ことを昔からの言葉では「ふがきれる」と言うそうで、「あの店の赤飯はふがきれてなくて上手だ」などと言うそうです。
旬の具材をたっぷり入れておこわを楽しんでみてはいかがですか。
そして、小豆やささげよりも一回り大きい「金時豆」を使っていることも特徴のひとつです. 長岡市に本社を構えるスーパーでは、醤油おこわを大々的に販売しています。 お祝いの時だけでなく、普段の食事やおやつなどでも是非作ってみて下さい。
2母がしょうゆ赤飯の作り方を教わったのは、料理上手な近所の方からだそう。 豆の皮を破らないように火加減は中火~弱火でゆでる。
豆の量はもう少し少なくてもよかったなと思ったので、次回からは半分くらいにしてみようと思います。
祭のときには、しょうゆ赤飯を食べたい。
一度食べたら忘れられない味になりました。
少量を毎日作るなら炊飯器、特別な日のためにたくさんの量を作るとなれば、蒸し器を使うといいですね。 金時豆を水で戻す手間もなく、いつもの醤油おこわとはまた違った美味しさになります。
そのルーツですが、実ははっきりとしたルーツは判然とされていません。
「ハレの日」は仕事を休んで神を祀り、「ケの日」は仕事に励むことで暮らしに節目をつけ、人生に区切りをつけていたと言います。
このおにぎりをお手本にして、自宅で「しょうゆ赤飯」を作とうと新潟で決意して帰って来ました。