ごわうかふりよごうんをあげてこくじをはからしむ。 ほかに何をやればいいでしょうか。
春秋時代の越の政治家・武人。
」 文脈から判断して使役の意味でとらえることがある。
私の目玉をえぐり取って、東門にかけなさい。
意味は「王位につく」。 【こんな感じで句践は国の回復に向けて頑張っていましたが・・・ 夫差のほうは越の国には目もくれず北の方角に勢力を伸ばそうとしていたんです。 赦 サ 動詞。
15太宰嚭子胥謀の用ゐられざるを恥ぢて怨望すと譖す。 檟可材也。
意味は「考えをめぐらせる・当たらせる」。
読みは「ま(た)」。
意味は「見上げる」。
呉人憐 レ レミ之 ヲ、立 二 テ祠 ヲ江上 一 ニ、命 ケテ曰 二 フ胥山 一 ト。 闔廬傷而死。
子胥は言った、「いけません」と。 宰相の嚭、悪いヤツですねー。
意味は「討伐する・討つ」。
郢 名詞。
子胥は自分の家人に告げて言った。
最近の記事は「登高 口語訳(画像あり)」です。 越は十年間、民を育て増やし、財力を蓄えて国力を強くし、その後の十年間は民を教育した。
意味は「讒言をする」。
河東凶、亦然。
意味は「敗残兵」。
まずは呉と越という国は仲が悪いという前提で現代語訳を 読んでみてください。 句践国へ反(かえ)り、胆(きも)を坐臥(ざぐわ)に懸(か)け、即ち胆を仰(あふ)ぎ之を嘗(な)めて曰はく、 「女(なんぢ)会稽の恥(はぢ)を忘れたるか。
意味は「謀略」。
句践は国へ帰り、胆を寝起きするところにつるし、寝起きのたびに胆を見上げそれを嘗めて言った、「おまえは会稽で受けた恥を忘れたのか。
呉の国の人々はこの事を憐み、ほこらを長江のほとりに建てて、胥山と名づけた。
呉王 闔廬 かふりょ 、 伍員 ごうん を 挙 あ げて国事を 謀 はか らしむ。 范蠡は聞きいれなかった。 員、字は子胥、. 」太宰伯嚭受 二 ケ越 ノ賂 一 ヲ、説 二 キテ夫差 一 ニ赦 レ サシム越 ヲ。
意味は「許す」。
だから遠くない夫差の死にも間に合うのだ。
その復讐心を忘れないように肝を寝るところに掛けて、 それを毎日嘗めているところです。
臥薪嘗胆の書き下し文の品詞分解をお願いします。