高山 清司。 “武闘派ヤクザ”高山若頭の支配力――山口組が大きく揺れ始めた「2007年のある殺人事件」とは?

高山清司の人柄や性格がヤバい!経歴や司忍組長とのエピソード。

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高山清司氏の出身地だという愛知県津島市の映像() 前回のコラム()の評判がよかったようなので、また六代目山口組の高山清司若頭の話題を書きたいと思います。 高山若頭は、山口組のすべて組員にとって、本当に特別な存在だったんだそうです。 その一例を上げれば、建築業の男性を恐喝した容疑で高山若頭が逮捕された時(2010年11月)、本家から 「高山若頭の事件については、一切話題にするな。 末端の人間にまで徹底させるように」という通達が出されたらしいんです。 そんな通達は、これまでに一度として出されたことがなかったそうです。 そう、 司忍組長が逮捕された時も。 それから、こんな話も聞きました。 弘道会が二代目体制から、竹内照明三代目体制へと変わった時の話です。 高山若頭は、自ら率いた弘道会を竹内三代目に譲り、ヤクザ業界を引退することなく、自らは組員のいない組織、"三代目弘田"の代表を名乗るようになったのですが、このことが本家山口組だけでなく、弘道会の内部でも大きな波紋を呼んだというのです。 山口組は、ひとつの直系組織に一人の直参組長というのが暗黙の了解だったところに、司組長に続いて(司組長は五代目山口組若頭時代に"二代目弘田"を名乗っていました)高山若頭まで同じやり方だったので、「もうなんでもありになってきてるやないか」と嘆く関係者が少なくなかった、と聞きました。 さらに弘道会三代目を継承した竹内会長がまだ若かったこともあり、ある弘道会の大幹部が「孫みたいなヤツについていけるかい」と口にしたのが高山若頭の耳に入ってしまったらしく、「嫌やったら辞めい!」と引退させられてしまったのだとか。 真偽は不明ですが、噂の大幹部がその頃、引退しているのは事実なので、もしかしたら話に尾ひれがついてしまったのかもしれませんね。 要するに、話を聞いた人間が思わず、真実かもと思ってしまうくらい、当時の高山若頭には迫力があったという証拠なのだと思います。 文=工藤明男 【工藤 明男 くどう あきお プロフィール】 東京都生まれ。 杉並区出身の関東連合元リーダー。 IT・芸能の分野で活躍。 経済界のみならず政界にも幅広い人脈をもっており、現在は複数の企業の筆頭株主として、主に投資と企業コンサルタントの仕事を行なっている。 警察当局から関東連合の資金源と目されてきた。 表舞台に顔を出したことはない。

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山口組ナンバー2高山清司が恐れられた“血も涙もない大粛清”とは!? 今後は“三つ巴の分裂”か!?

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ニュースで流れている際にも、杖をつきながらも時折よろつきながらも自分の足で歩けているんですね。 となると、気になるのが刑務所に服役しているときに、ヤクザということもあって他の受刑者と何かあったんじゃないか、ということでしょう。 しかし、調査をしてみましたが、服役中に他の受刑者から暴行を受けたといった情報は見つかりませんでした。 また服役している間に、転んだりどこかを悪くしたといった情報も見つかりませんでした。 さらに調べてみると、どうやら 高山清司若頭は ある持病を持っていたことが判明しました。 高山清司若頭の首のコルセットは持病が原因? 実は以前から高山清司若頭は「 脊椎の持病」を持っていたことがわかりました。 司組長は76歳、健康オタクといっていいほど健康である。 対して 高山若頭は71歳、 脊椎が悪く、自立歩行が覚束ないほど健康に不安がある。 どちらの余命が長いかといえば、おそらく司組長の方だろうが、それでも高山若頭は7代目組長に就きたいと願っている。 ismedia. 捜査関係者によると、 高山被告は脊椎などに持病があり、 7月から指定された京都市内の病院に入院していた。 引用:日本経済新聞 と、2011年時点10月ではすでに「脊椎の持病」を患っていたことがわかります。 また2013年時点で掲載された高山清司若頭の写真がこちら。 premiumcyzo. com なので、この 2013年時点にはすでに首にはコルセットを着用し杖をつく状態になっていたことがわかりますね。 また刑務所では持病があったことので待遇に改善を求めてたようですが、看守側には厳しい対応を取られていたようです。 関係ないですが、左にいる六代目山口組・忍司組長の風貌がすごい・・・笑 ちなみに、忍司組長の身長知ってますか??? 「 165cm」 思ってよりもちいs・・・ 勝手に大きいと思っていただけに驚きです。 高山清司若頭の持病の病名は? 調べてみましたが、病名に関しては公表はされていませんでした。 なのでここからは憶測になるわけですが、 ・脊椎の持病 ・首にコルセット ・歩行困難 といった、特徴から病気を探してみたところ・・・ 「頚椎椎間板ヘルニア」ではなかと推測しました。 頚椎は脊椎の一部で、頚椎・胸椎・腰椎・仙椎・尾骨からなっていることから、脊椎と表現しても間違いではないわけですね。 そして「頚椎椎間板ヘルニア」はコルセットなどの装具を着けてリハビリをすることからも当てはまります。 頚椎ヘルニアの治療は大きく「観血的療法」と「保存療法」とに分けられます。 観血的療法とは手術治療のことを指し、保存療法は、それ以外の投薬治療や注射、コルセットなどの装具療法、リハビリなどを指します。 itoortho. jp ということから、 現時点では、「頚椎椎間板ヘルニア」によるコルセットなのではないかと考えています。 高山清司 山口組ナンバー2の若頭 の首のコルセットの理由や原因まとめ 今回は高山清司若頭が出所の際にコルセットを巻いていた理由についてご紹介しました。 高山清司若頭は、以前から「脊椎の持病」を患っており、コルセットもだいぶ前から装着し杖をついて歩く生活を送っていたことがわかりました。 そしてその病名は推測ですが「頚椎椎間板ヘルニア」ではないかと考えています。 その仕事柄もあって、服役中に何かあったのではないかと考えてしまいましたが、以前からの持病だったわけですね。 これから山口組を統一する方向に向かうということで、高山若頭の動向に注目が集まります。 では最後までご覧いただきありがとうございました。

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高山清司山口組若頭の人柄、性格、刺青、指詰め、妻(嫁)子供、自宅は?【画像動画あり】【弘道会】

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山口組が神戸山口組【井上邦雄組長】、絆会(元 任侠山口組)【織田絆誠会長】と分裂し強権支配で圧倒的な統率力で弘道会、六代目山口組の強さを見せつけた山口組ナンバー2の高山清司(清志)若頭の事についてまとめてみました。 出典 東京新聞 高山若頭のプロフィール 本名 高山清志(渡世名 高山清司) 渡世名の「司」は六代目山口組司忍組長の名前「司」を使ったといわれてます。 生年月日 1947年(昭和22年)9月5日生 出身地 愛知県津島市 高山清司が生まれ育った愛知県津島市の街並み 渡世入りは20歳 高校生時代は野球好きであったが喧嘩で高校を中退しその後、渡世入りをする。 その後、博打場に出入りする事になる。 渡世入りから 1967年(昭和42年)20歳 弘道会前身の弘田組(弘田武志組長)傘下、佐々木組(佐々木康裕組長)組員になる。 1969年 昭和44年)22歳 5月に弘田組傘下の組事務所が大日本平和会山中組小牧支部の集団に襲われ2人が死亡する事件が起きると、同年7月、弘田組若頭・司 忍(司興業組長。 後の六代目山口組組長)の指揮で行われた大日本平和会春日井支部長殺害の報復戦に加わり、懲役4年の刑を受けた。 この功績により出獄後、佐々木組若頭に就任。 1975年(昭和50年)28歳 初代弘道会々長、六代目山口組 司忍組長と出逢う 同 年 弘田組は若頭に現在の司忍組長を据え「司興業」を結成 佐々木組々長も弘田組長から親子盃を受け「佐々木組」を結成、若頭に高山清司氏を据える。 1976年(昭和51年)29歳 佐々木組は組織名を菱心会と改称した。 高山氏は直参となり理事長に就任。 その後高山氏は高山組を結成し弘田組直参に昇格する。 出典 毎日新聞 わずか20年足らずで弘道会を4000人の巨大組織にした切れ者 1984年(昭和59年)37歳 山口組、一和会の分裂騒動で弘田組長は引退、当時若頭であった司忍組長が二代目弘田組を継承し、若頭補佐に高山氏が就任するも元親分であった元佐々木組佐々木康裕組長は弘道会で相談役に就く(後の五代目山口組若中となる)。 同年 1980年には同組若頭補佐に就任した。 弘田組を改称し弘道会と改め(会長・司 忍)では若頭補佐兼渉外委員長を務める。 1989年(平成元年) 弘道会若頭に就任 名古屋地元組織の運命共同会・中京五社会と抗争が始まる 1991年(平成3年)44歳 名古屋の地元組織中京五社会所属の八代目稲葉地一家の本部長・中村英昭(後の九代目稲葉地一家総裁)と兄弟盃を交わす事で長く続いた抗争を終結させる。 名古屋地元組織の運命共同会・中京五社会と抗争し壊滅させ多くの組織を傘下に収める 2005年3月(平成17年)58歳 弘道会司忍会長は二代目に高山清司氏に跡目を譲り司忍組長は二代目弘道会総裁、司忍組長は弘田組組長に兼任。 同年 1月髙山組を若頭・竹内照明に継がせて二代目髙山組総裁に就任。 3月弘道会二代目を継承し4月に山口組直参に昇格。 同年 6月には山口組若頭補佐に就任し、7月に山口組中部ブロック長を兼任。 8月には六代目山口組組長に就任した事で六代目山口組若頭に就任する。

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