生きていく不思議 死んでいく不思議。 生きている不思議、死んでいく不思議の事例として、花・風・...

生きている不思議、死んでいく不思議 何も知らないでも生きている不思議もある

生きていく不思議 死んでいく不思議

ステージが変わったのだろう。 昨日までとは違う一日が始まる。 季節に鈍感になってしまっているかも知れない。 僅かな変化も見逃さない若いころとは違う五感の劣化がある。 ・皮膚が硬くなり柔軟性を無くしているが、心も硬くなってしまう。 他人からいわれて気付くようでは遅い。 他人任せの人生を活きてきたところがある。 それが自分を病人にもしていたのではないだろうか。 それにきづくのが遅れてしまったが、それでもまだ生きていられるのは感謝するしかない。 中年になったくらいから、食事や、運動や、メンタルのことを考えるべきだっただろう。 ・へ2・・・今更言っても仕方がないが、反省するのは必要なことだ。 結果だけの問題ではない。 投げやりにならないために。 また中国「反日デモ」があっているらしい。 煽っている人たちがいるのではないだろうか。 政治的に利用しようとしているのだろう。 過剰な行為が余計な対立も加速させる。 それが良い結果を生むことはない。 理性を追いやってしまうからだ。 利用とするのが逆に逆ねじも食らうだろう。 外国人講師の脳の話がある。 たどたどしい日本語だったりするが、中身が濃いことが多い。 理解しようとする気持ちがあれば、理解できるものだ。 心のこもらない講師の話は、どこか違う。 聴衆を小ばかにしたような講師もいる。 どこにもアホはいる。 仕事に対する誇りのないものがいる。

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「生きている不思議 死んでいく不思議」

生きていく不思議 死んでいく不思議

物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 「いつも何度でも」ですかいい歌ですよね 人は何度でも過ちを繰り返す、けれどもそのたびに青い空を知る、 奇跡というのは特別なことではありません、 人は生きている、その毎日毎日は奇跡の繰り返しです、 問題はそれに気づくかどうかです、 それはすべての人、生き物に言えることです、 どれだけの人生が奇跡が愛が喜びがそれぞれの人の数だけあるのでしょうか、 想像するだけでめまいを覚えます、 そしてそれぞれの人生、奇跡をたくさん抱えたまま、その人はやがて消えて行ってしまいます、 その人のいなくなったあとも、それ以上の奇跡を持って、またたくさんの人が通り過ぎていきます。 言葉に出来ないほど、ありがたいんだか、悲しいんだか、 私はどんな顔をしていればいいのでしょうか、.

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「生きている不思議 死んでいく不思議」

生きていく不思議 死んでいく不思議

戦争が終わり、平和が訪れた地上は、 瓦礫 がれき の山と一面の 焦土 しょうど に覆 おお われていました。 その中に立った私は夢を描 えが いたのです。 ハイビスカスなどの花が 中空 なかぞら に浮 う かんでいる、 平和という名から生まれた 美しい花の街を。 詩の中にある 「泣いていたよ 街の角で……」の部分は、 戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを 味わった人々の姿を映したものです。 この詩が曲となっていっそう 私の幻想の世界は広がり、 果てしなく未来へ続く 「花の街」となりました。 作者の人生観に花、風、街があったんじゃないですか? なぜその言葉を選んだかなんて本当の真実は作者以外わかるわけありません。 ただ、リスナー 自分 が勝手に受けとるイメージとして花と街っていうのは生まれては朽ちていくものなので人の一生を表現するのには適しているんじゃないのかなぁと思います。 何があるかわからないのでいつ生まれていつ朽ちるかわからないのも人の一生と同じだし。 まぁそういう意味では風もいつ生まれていつ消えるかはわからないので一緒ですね。 というかたまたま字数の都合とか詞のイメージだとか作詞者の人生観なんかでこの言葉をチョイスしただけで万物に当てはまると思うからあまり深く考えなくていいと思います。

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