しかし、6日目に遠藤に不覚をとり、さらに10日目にも土俵際で勝利したと思ったところを稀勢の里に脚一本で残され敗れてしまう。 3月場所も朝青龍と熾烈な優勝争いを演じていた。
3月場所は千秋楽の優勝決定戦で、立合いの変化で朝青龍を下し、13勝2敗で2度目の幕内最高優勝を果たしたが、日本相撲協会や横綱審議委員会ではその相撲内容が十分でないとの意見もあった。
母ウルジーウタス・タミルは元外科医でありの流れを汲む家柄の出だという。
9月場所も、初日から8連勝で史上最多の29度目の中日勝ち越しを決めた。
体よりも心の痛みが強いと思う」と語った。 土俵入りの指導は同立浪で、元横綱・の親方(当時)が行った。 しかし幕内に上がってきた頃の取り口は、前に攻めるよりも投げや引き技で安易に勝負を決めてしまう傾向があった。
143月場所前の2007年2月に当時に在籍中の学生であった出身の和田紗代子と結婚。 また、昨年の名古屋場所で勢に敗れた際に右足親指を負傷しこの怪我のために左膝の痛みがぶり返した。
皆勤での1場所5敗は2012年5月場所以来4年2か月ぶりであり、休場した2015年9月場所を除くと横綱昇進以来、2012年5月場所に並ぶワーストタイの低成績である。
また、今場所を「取りこぼしがあり過ぎた」と反省。
9月場所では初日から白星を重ね、8日目に中日勝ち越しを決めて横綱800勝に到達。
達成すれば貴乃花を上回る史上最年少での昇進となったものの序盤からまさかの3連敗で、終盤4連勝して8勝7敗と勝ち越しはしたものの、大関昇進を逃がした。 しかし、14連勝で迎えた千秋楽の結びの一番では1敗の鶴竜に寄り倒しで敗れ、14勝1敗同士で優勝決定戦となるが、決定戦では鶴竜を寄り切りで破り、2場所ぶり28度目の幕内最高優勝を果たした。
初日に安馬(当時、後の)に敗れ、中日まではを追う形となった。
歴代2位の勝ち星だった千代の富士に並び、翌日の千代の富士の弟子だった千代翔馬に勝利し、千代の富士の記録を抜いた。
14日目に、自分の取組前に安馬と琴光喜が敗れ、結びの一番で琴欧洲と対戦、上手投げで相手を屠って8回目の優勝を決めた。
協会には「右膝蓋大腿関節軟骨損傷、関節水腫で手術加療を要する。 14日目は琴欧洲、千秋楽は日馬富士を退け、2場所連続6度目の全勝優勝を果たした。
14日目に平幕の碧山をねじ伏せ、千秋楽では7年前の九州場所の日馬富士戦以来となる鶴竜との横綱相星決戦を制し、2場所振り44度目の幕内最高優勝を果たした。
この「白鵬杯」は、現役力士も大会運営へ参加し、無料で観戦できるものとなっている。
2020年 [ ] 1月場所は前場所に敗れた新小結の大栄翔を寄り切りで下したものの、2日目に平幕の遠藤に切り返しで敗れ、3日目も平幕の妙義龍に突き落としで敗れ、4日目から休場した。
受け取ってください」と差し出した。
なお日馬富士も横綱土俵入りは不知火型を選択したが、本場所で不知火型の土俵入りを複数披露する横綱は大相撲史上初めて。
3月場所にを踏むが、に名前が載った翌5月場所は身体の小ささもあり3勝4敗の成績で、後の横綱としては異例のでの負け越しを経験する。
24日、都内で一夜明け会見を行い、5日目に対戦したを「大相撲を引っ張っていくのは間違いない力士」と称賛しつつ「(土俵際まで押し込まれたが)痛めていた右足一本で残せた。
その失意の帰国前日、彼を哀れんだ旭鷲山が自らの師匠の(元大関・)と会食中に相談し、大島は友人だった(元幕内・)に受け入れを申し入れた。
なお、2010年12月24日の理事会において11代宮城野と15代熊ヶ谷との年寄名跡交換、部屋の師匠交代の勧告があり、双方が受け入れたことで、15代熊ヶ谷が12代宮城野として再び宮城野部屋の師匠に就任しているため、現在では「白鵬の師匠の宮城野親方」という表現は誤りではない。 2021年現在、白鵬が幕内対戦成績で10敗以上している力士は朝青龍、日馬富士、琴欧洲、稀勢の里の4人しかいない。
1812日目でようやく勝ち越すが、その後千秋楽まで3連敗して8勝7敗に終わり、横綱への挑戦は白紙に戻った。 この結果、は東京場所での優勝を果たせなかった。
義父は実業家で、元全国後援会長の。
この相撲は場所後の尾車のコラムでも触れられている。
1場所が15日制で定着した1949年5月場所以降初となる「3場所連続15戦全勝優勝」という快挙も成し遂げた。
14日目に2敗目を喫し、千秋楽は自身が本割、決定戦で連勝をしなければ優勝できないという状況で鶴竜戦を迎え、寄り切りで敗れ12勝3敗で優勝次点の成績を残した。 5月場所は怪我の影響で全休となり、途中休場を含めて6場所連続休場となった。
10翌日の10月21日には新大関の正代とも三番稽古を行い19勝1敗とし、11月場所へ向けて好調ぶりをアピールする結果となった。
次お前が負け越したら、責任とって俺は引退する」と言い放った。
ちなみに歴代の不知火型の横綱で年6場所制になってからは、の優勝6回を上回り最多となり、以降では年6場所制以前のと並んだ。
なおは熊ヶ谷親方の推薦もあり、熊ヶ谷の入門時の師匠である元横綱・と同じを選択(白鵬自ら5月場所の全勝優勝インタビューで「部屋の大先輩である横綱吉葉山と同じ不知火型をやります」と宣言していた)。