入園する子どもたちと、それを囲む大人たちは、これからここで、いったいどんな時間を過ごしていくのでしょうか。 。
その他にも、お母さんが有償ボランティアでごはんをつくったり、長期休暇には、保育観を共有できる様々な職種の仲間や、お父さん、お母さんたちにも保育に入ってもらったりすることを考えているのだとか。
「」は、子どもを中心とした社会づくりに取り組む方々の声を聞く連載企画。
お仕事をしているお家も、子どもとたっぷり過ごしたいと思っているご家庭も、どちらも通えたらいいな、と思っていて。
ここ(東京)で意志を持って場を開いていきたいという人がいるのであれば、私じゃなくてもいいのかな、と思って。 そして、それがまるで当たり前なことのように語る藤田さんの姿勢が、その後の「くらすこと」の活動を根底で支えている。
11写真は、4番目のお子さん、1歳1ヶ月の柚朱(ゆず)ちゃんと一緒に。 大人になったときに、「どんな状況に置かれたとしても、自分をいかし生きていける力こそが大事だ」と思うのなら、まずそばにいる自分自身が、そうあらねばならないと思うんですね。
地元の同意などに時間はかかりましたが、2014年の年末には、その地に園と藤田さんの自宅を建てる計画が始動します。
それを身につけることがすごい大事だと思いましたし、そんな、自分の意志を持ってやっていけるような子どもが育つには、どういう子ども時代を過ごせたらいいのかな、そういう場所をつくりたいな、って考えるようになったんです。
ここを逃すともう難しいな、と、思い切って。
「くらすこと」の活動の原点でもあるんですが、出産や育児って、自分が自然の一部であることを実感するんですよね。 たとえば2番目の子の保育園は待機児童対策で団地の中に建てられた新設園で、「運動会を外でしないでほしい」という匿名のメールが届いたために、お隣の大学の体育館を借りて開催したことがありました。 いつもこんな感じなんですけどね(笑) こうして2013年4月、3人のお子さんと、かねてから田舎での暮らしを希望していた、その当時ウェブデザイナーだったご主人とともに、家族5人での移住が実現しました。
3年半前にプロジェクト「」が初めて立ち上げる、子どもの育ちの場です。 子どもにも負担なく、親も自分のすべき仕事に向かって、どっちもが幸せな子育て期を過ごせるちょうどいいバランスって、あるような気がするんですよね。
子どもたちとの出会いを心待ちにしているかのようです。
どういうかたちかわからないですが、今まで「くらすこと」として自分がやってきたことを新しい土地ではじめたときに、受け入れてもらえる土壌があるといいな、という想いがありました。
「園が立ち上がって、まずそこがしっかりしてきたら」と言葉を添えた上で、将来的には、近所の小学生や中学生など、子どもがいつでも遊びに来られるプレーパークもできたら、という想いも聞かせてくれました。
もともと「お母さんの力になりたい」という気持ちで教室をやっていながらも、「もうちょっと親にも子どもにも親しい自分の在り方に想いがあった」と、自身の源泉をたどるように語る藤田さん。 親としてはもちろん認めているんですけど、彼の力をどういうところで発揮できるのかな、って。
東京での暮らしの中で、一番大きかったのは、お子さんの育つ環境に対する想いでした。 お母さんのための活動からこども園の運営へ、大転換のように見えるこの3年間の動きも、藤田さんにとっては、「いつもの流れの中」にあるのだとか。
ありのまま、子どもと一緒に生きていく。
そんなときに再会したのが、のちに「くらすことこども園」の共同代表となる深谷里津子さんでした。
出身地である関西も検討しましたが、「せっかくなら全然知らない土地の方がテンションが上がる!」と、九州で探していたときに出会ったのが糸島というまち。
今を大事にすること、言葉ではなく在り方で伝えること、ありのまま、そのままに生きること。 「くらすことこども園 おやまこやま」は、明日入園式を迎えます。
7海も山もすぐそこです。 難しいけれども、「そうあれたら」と試行錯誤しながら一緒に生きている。
「はらっぱ園」も、週4日で延長保育はありませんでした。
いつも何か構想があってかたちにしてきたわけではなくて、流れの中で自分の目の前のやるべきことをやってきた感じです。
「生き抜く力」。
完璧じゃないけれども、一緒に育っていけたらいいのかな、って思います。
私自身も、当時から仕事をしていたのですごく大変でした。
子どもも小さかったので、それがけっこう衝撃だったんですよね。
親としては、ありのままでいること。
「新米お母さんたちの力になりたい」と思ってやってきたんですけど、子どもも小学生になり、自分の子育てを考えたときに、都会の子育ての…なんというか、難しさや閉塞感を感じていて。
17園の名前は、「」。 子どもたちをめぐる環境に難しさを感じはじめた藤田さんが直感的に感じたのは、「土に近い暮らしがしたい」という想いでした。
もちろん、方向性を指し示していくのは私なんですけど、そこで人とのつながりや場をつくっていくのは、一緒にやっているみんなです。
引っ越しは「くらすこと」東京店オープンの翌々日、しかも小学校の入学式の前日で、よくできたな、と今でも思います。
自分のつくってきた立場に固執しない、しなやかな決断。
中学校に入ってやっと、自分の居場所になってきたようですが、時間がかかりましたね。 そういうのができたらいいな、とずっと思っていたんです。
2013年8月には、前回のインタビューで構想を聞かせてくださったウェブマガジンもスタート。
さぞかしドキドキしていらっしゃるのかと思いきや、藤田さんは至って平常心な様子。
絵:七字由布 山の麓にあり小川も流れる敷地には、園舎に畑、自然を活かした子どもたちの遊び場などが広がっています。
仕事をしながら、親にとっても子どもにとっても、いい時代を過ごせる場所。
藤田さんの変わらぬ想いをかたちにした、子どもを真ん中にした場所。
お母さんと一緒にいたい年頃の柚朱ちゃん。
インタビュー当日は、その約1ヶ月前。
4人の子どもの母であり、園の共同代表となった藤田さんの今の想い、そして人としての在り方。