1966: ・• どこからか飛んできたものがここにドンと落ちたみたいになっています。
142016年6月24日 2016年6月4日 大巻伸嗣 Echoes Infinity ー永遠なる物語ー 3Fギャラリーで開催。
まず、現代建築の誰に似ても絶対に笑われるだろうと思った。
尾根の先端につくっています。
1963: ・• 2016年11月2日 特別展工場賛歌 関連企画『ワークショップ「大地のタイル」を作る』の詳細PDFを公開しました。
2006:• Information お知らせ 2021年5月29日 2021年5月1日 【重要なお知らせ】2021. 石の斧では、針葉樹のスギやヒノキは切れないからです。 1994:• これは、せんだいメディアテークのコンペの伊東さんのアイディアで、私は審査したから覚えているんだけれども、図面では筒状の柱の下がすり鉢状になって凹んでいた。 光嶋 造形もいびつで、大きさも異様です。
1一見すると奇妙に映るけれど、寒冷地の人類とともにあった、数千年の歴史を語る作りなのである。
歩く/見る/聞く 藤森照信という〈思考する身体〉の起動力が彼の内に育まれた〈常民性〉にあることを確認したうえで、その技法を具体的に解剖していこう。
木、土、紙、竹といった軽い材料だから畳2枚分の小さなスペースに、二人の人が4時間も相対する場を作り出すことができる。
僕が建築家・光嶋裕介という看板をたてる時に何を武器にするんだ、何を根拠に設計をすればいいんだろう、と思った時に、師匠である石山さんも4年働いたザウアブルッフ・ハットンも真似してはダメだと思った。
2012: ・• 建築の緑化をまっ正面からさまざまに試みてきたが、神様が作ったという自然と人工の建築を一体化させるのは本当にむずかしい。 光嶋 やはり、藤森さんにとっての故郷・諏訪という原風景の存在がものすごく大きかったんですね。
41962: ・• この時は、もうひとつ、曲がった木を柱に使う実験をしてみました。 1992:• ——展覧会に出ている日本の近現代建築家で、木造の遺伝子をもっとも濃く受け継いでいるのは誰ですか? 藤森 丹下健三ですね。
1959:• 建材のリサイクルの現状はいかがでしょうか。
そこを本当に上手く取るためには機械製材ではリスクがありますから、少しずつ、要するに剥ぐように取るんです。
:この頃から一般誌向けに西洋館をテーマにした多くのを執筆し、写真家のとコンビで多くの著作を出している。
ニスを塗ることで、角度によっては光沢のないものになったり、うまくいくと焼杉を焼いた後しばらく現れる虹色の反射を残すことができるらしいです。
7むしろ、僕なりにちゃんと解釈して、継承したいと思うようになった。 土壁には、さっきもいいましたが、白セメントと色粉と砂とワラを混ぜて使いました。
一方、法隆寺では太い木から芯を避けて、4本の柱が取られるという贅沢な使い方がされました。
彼らは年輪を調べていって、どれとどれが組になるかを合わせてくださった。
1990:• だからグロピウスの建築などでも壁の隅がぴしっと揃っていないといったことが起きるんです。
藤森氏の建築を中心に、地元の人の力が結集された、愛らしい場所になっています。 1981:• 長期的にはそれが問題になるんですが、ここではそれがない。 誰でもが出来る部分があって、全体の中での自分の仕事の位置づけが分かる。
どういうふうに分からないかというと雑多にやっているけれども、他人がやった雑多はすごく嫌なんです。
実は、私が外国で焼杉を使用したこともあり、焼杉という名前が世界で通用するようになり、世界的にも相当大きなブームになっています。
2020年8月20日 2020年8月9日 2020年6月24日 【重要なお知らせ】2020. 建築は唯一違う。
オーストラリアにも日本のものに似た茅葺きの屋根があったため、鸛庵でも茅葺きの屋根を採用していますよ。
1991: ・• 原始的な住居の普遍的な姿に魅了された藤森氏は、縄文時代でも使われていた高床式住居の発想を大胆に捉え、<高過庵>を設計したのです。
『建築探偵の冒険・東京編』筑摩書房、1986年、 1989年• 『と藤森照信のモダニズム建築談義』六耀社、2016年• 2002:• 1967: ・• 「科学技術を自然で包む」この技法…藤森氏が建築法として目指しているひとつです。
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』六耀社、2012年4月• 専門は、日本近現代建築史、自然建築デザイン。
次に〈目〉。
これらの指摘はきわめて重い。
藤森 自動車工場でもそうでしょう。 1958:• 要するに一本の木から、わずかな板を取るために割って、それ以外は全部削りカスになってしまうわけですから、そうかもしれないし、昔の人にはもっとわれわれの知らないとんでもない方法が、いろいろあったとも考えられるわけです。 :東京大学生産技術研究所教授に昇格。
そういう点では20世紀建築というのは不思議な成立の仕方をしている。 専門的に高度でピュアにやった人と、一般に近い人との評価が逆転するというのは近代以前にはなかったこと。
藤森氏は自身が設計する建築に、「建築緑化」というテーマを掲げています。
そうではないツリーハウスをつくりたいとずっと思っていました。
いかに鍛え上げられた〈足〉と〈目〉と〈耳〉があったとしても、それを定位させる「構想力」がなければ事実の発見は不可能であるし、それを記述する「表現力」がなければ発見の価値を伝えることはできない。
ドローイング(光嶋裕介) 光嶋 ドローイングの中では、コラージュするとか、不連続統一体という考え方を非言語的に二次元で表現している。 :「邸に示されたゆとりとぬくもりの空間創出」で第29回()を受賞。
13空間をいくら見ていても飽きないのです。
普通の人々の日々の暮らしのなかから立ち現われる生活をまるごと捕まえようとする大胆な問題意識。
美しかった。
本業の建築史研究では、国内に留まらずアジア各国に研究のフィールドを広げるようになり、その成果が『全調査東アジア近代の都市と建築』()である。