君が代 意味。 「君が代」の歌詞の意味とは?子孫繁栄を願う歌だった!?

君が代の歌詞の意味は?2番や3番もあった!

君が代 意味

卒業式やスポーツの授賞式などで おなじみの 君が代。 古そうな歌だし ずっと昔から、あったに違いない そう思い込んでいました。 ところが、 日本の国歌として、 法律により、正式に制定されたのは、 実は、1999年になってからのことです。 昔からなじみのある 君が代の歌詞の起源を調べると ほかにもいろいろと、興味深いことがでてきました。 君が代の歌詞の意味について 調べてみた結果、、、 平安時代から邪馬台国まで いろいろな時代や、場所へつながりました。 歴史や文学好きなら、今日の記事は ぜったい楽しめるはずです。 君が代は誰が作ったの? 君が代の 作者は不明です。 歌詞は、 『古今和歌集』からとの説が有力です。 古今和歌集の元の歌をみてみましょう。 我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで ー古今和歌集巻七賀歌巻頭歌 最初の部分は、君が代ではなく 我が君となっています。 それ以外は、まったく同じです。 歌詞だけみてみても、 これが、君が代の起源と言ってもよさそうです。 君が代の歌詞の意味は? 和歌というだけあって、 現代に生きる私たちには ちょと意味がわかりにくいですよね。 君が代の歌詞を、まず、見てみましょう。 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで それぞれの単語の意味を 細かくみてみましょう。 千代とは? 千年のことです。 つまり、非常に長い年月をさします。 八千代とは? 八千年になります。 千年より、さらに長い年月なので 永遠のことをさすことが多いです。 さざれ石とは? 漢字で書くと、細れ石になります。 漢字をみてわかる通り、小さな石のことを指します。 もともと小さな石が、炭酸カルシウムなどの 自然の働きによって、1つの大きな岩のように なったときも、さざれ石と呼ぶようです。 いわおとは? いはほを指します。 いはほとは 高くそびえる大きな岩のことです。 上記をふまえて、現代風に訳すと、 君が代は 千年も八千年も(永遠に続くほど) 小さな石が大きな岩になり、 さらに苔が生えるくらい 長く長く続きますように。 君が代とは、「 あなた様の寿命」の意味です。 あなた様を誰を指すのかで いろいろ議論されているようですね。 今回は、それは横においておき、 違う視点からみてみましょう。 この歌は、 賀歌(がか)の なかのひとつになります。 賀歌(がか)とは? もちろん、レディ・ガカのことで、 、、、はなくて、 お祝いの気持ちを表した歌のことです。 賀の歌(がのうた)とも呼ばれるようです。 古今和歌集では、長寿を祈る歌が この賀歌のなかに、たくさん収められています。 それを考えると、君が代は 長寿や長年の繁栄を祈る気持ちが こもった歌詞と解釈できます。 私の解釈では、好きな人や肉親などの 身近なひとの長寿を祈って、ささげた歌のように 聞こえますが、みなさんどうですか? 君が代の2番や3番はあるの? 君が代は、じつは 2番や3番があるという説があります。 歌詞の意味と一緒に、これも調べてみました。 発見しました! 2番 君が代は 千ひろの底の さざれ石の うの居 ゐ る磯と 現はるるまで 3番 君が代は 千代ともささじ 天 あめ の戸や いづる月日の 限りなければ これらの歌詞は、 明治時代の文献でみつかりました。 最初から、2番と3番があったわけではなく、 どうも、あとで付け足した印象です。 明治維新になり、日本が開国したとき 諸外国にはある『国歌』が日本にはない。 そんな理由で、国歌を作ろう! という動きがありました。 新政府は、イギリスから音楽の講師を 招き、君が代を国歌として発表しました。 最初のころは、私たちの知る君が代とは まったく違う、イギリス風のメロディだったようです。 国歌を国民に浸透させるために、 まずは、 小学校の唱歌として、 文部省がひろめようとしました。 そのときの文献として、2番と3番の 歌詞が残っていました。 また、明治14年の文部省の資料では、 さらに長い歌詞のバージョンがありました。 1番 君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりて こけのむすまで うごきなく 常磐 ときハ かきはに かぎりもあらじ 2番 きみがよハ 千尋 ちひろ の底の さざれいしの 鵜乃ゐる磯と あらハるるまで かぎりなき みよの栄 さかえ を ほぎたてまつる 君が代の歌詞に関しては、 明治の新政府が右往左往と いろいろ迷っていたのが感じられますね。 新しく国歌を作り、国民に浸透させようと きっと、試行錯誤していたのでしょう。 しかし、現在では、2番や3番の存在さえ 知られないところを見ると、明治時代の 国歌の浸透作戦は、失敗したと言えるのでは? 君が代の起源 これまでをまとめると、君が代の起源は、 古今和歌集の説が有力です。 古今和歌集は平安時代です。 しかし、平安時代よりさらに 古い起源を唱える説もあったのです。 九州王朝説です。 邪馬台国伝説というやつですね。 九州王朝は、まだ歴史として 認定されていません。 君が代(だい)は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸(みがい)に 命(いのち)千歳(せんざい)という 花こそ 咲いたる 沖の御津(おんづ)の 汐早にはえたらむ釣尾(つるお)にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや 志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたる あの吹上の浜 千代に八千代まで 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良(いそら)が崎に 鯛釣るおきな — 山誉め祭、神楽歌(かぐらうた) この神楽歌の、最初はまったく 君が代と同じ歌詞です。 志賀島では年に2回、 山誉め祭が行われています。 この神楽歌は、山誉め祭の後半に 披露される、鯛をつる翁(おきな)の話です。 大漁になることを願う=豊漁祈願 がこの歌に込められています。 志賀海神社は、この島のなかにあります。 この神社では 海の神様を祭っています。 そんな神社で 大漁を祈る祭りは理解できますが、 山を誉める祭りとは、不思議ではないですか? 突っ込んで、調べて見ると、 この祭りの趣旨がみえてきました。 いにしえのころから人々は 海の恵みを得るには、山をめでることが 大切だと知っていました。 山が育てば、その養分が海に流れて 海の恵みにつながると、自然の摂理を理解して それに従い、生きていたのです。 海の民が山を称えるのは、 そんな理由があったのです。 この神楽歌が、君が代の起源だとすると、 君が代とは誰なのでしょう? 歌詞には、阿曇の君という単語がでてきます。 阿曇の君=阿曇磯良(あづみのいそら) あづみのいそらは海の神様です。 海の神様にずっとずっと長生きして もらえますように! そんな願いが込められているのかもしれません。 それとも、君が代=志賀島のあたりを収めていた君主 のことを指すのかもしれませんね。 君主が長く、長く繁栄して、争いもなく 長く、この地で漁業ができますように! そういう願いがあったのかもしれません。 どちらにしても 君が代が長く繁栄して、豊漁を願う そんな気持ちがこもっていますね。 最初に戻りますが、古今和歌集の 君が代の本歌(もとうた)は作者が不明です。 もしかしたら、誰かが、この神楽歌を子孫に伝え、 それが平安時代までずっと残っていたのかも? なんて、想像もできます。 君が代は、本当に短いシンプルな歌詞です。 しかし、調べてみると、奥が深く 古今和歌集から、邪馬台国まで 古代ロマンにひたれそうです。 こちらもどうぞ! 毎年楽しみにしている女性が多い ジェラートピケの福袋 2016年のジェラートピケの福袋を 関東、東北、信越地方の、 JRに乗っていて、忘れ物をした! 管轄は、JR東日本になります。 来年の手帳を手に入れた、 ビジネスマンやビジネスウーマン。 もしかして、あなたの手帳は、 ショートヘアのアレンジできていますか? 正直に言うと、忙しい朝は なかなか、ヘアアレンジ 毎日、何も考えずにする歯磨き。 他人がどのように歯磨きするのか? なんて お部屋のインテリアの中で 重要な位置を占める、カーテン。 カーテンを変えるだけで、 ずいぶ 新聞や報道で見られる『コロナ禍』 これは何と読むのでしょうか? 私は最初に見たときは、コロナ 敬老の日が今年もやってきます。 この日は老人を敬う日ですが、気になったのは、いつから、敬老の日を祝 仕事に自信がない。 この間、失敗してしまい、 会社に迷惑をかけてしまった。 自分で解決 生活しているなかでは、 なかなか、気づかないけれど、 カタカナ言葉は多いですよね。 君が代は、大変シンプルですが、調べれば調べるほど、奥が深いですよね。 ところで、日ユ同祖論という議論があるのはご存じでしょうか。 その中でよく語られていますが、君が代の発音はヘブライ語によく似ていて、意味が通じるというのです。 君が代自体が、時代と共に変化してきていますので、単なるこじ付けなのかも知れません。 私自身は、ヘブライ語なんてチンプンカンプンなので、「へーそうなんだー」と思うくらいで、他にも有力な説か何かないものかといろいろ探しているうちに、こちらにお邪魔した訳ですがw 信憑性はともかく単純にロマンがありますね。 こういうの嫌いじゃないです^^ 君が代の資料の一つとしてブックマークします。

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君が代の本当の意味

君が代 意味

貴方もご存知だと思いますが、短歌などの規則を知っていれば、対象が「天皇」の場合に「君」は絶対に使わないからです。 なぜなら「天皇」の場合は必ず「大君」と書いて「一人しかいない君」である事を示すからです。 古典の知識があれば「君」が「本来は天皇を示さない」と知っているから、貴方の様なご意見はちゃんと理解している質問だと思います。 一般に、この歌詞に登場する「君」が誰かは諸説あり、貴方のご主張の通りなのですが、政府見解は違います。 1999年に「国歌・国旗法」が成立した時に、政府見解として「君」は天皇を指すのが「適当である」と定義しています。 君が代の「君」が誰を指すかについて、言葉の意味からすると「君」としか書いてないので、様々な解釈ができると思います。 文学的に解釈するなら、君が代の歌詞が古今和歌集から選ばれていることからすると、古今和歌集の元歌にある「我が君は・・・」の「君」は恋人であるとかという解釈もできると思います。 しかしながら、「君が代」が国歌になっていく過程において、明治時代に「陛下奉祝ノ楽譜」として、明治天皇の誕生日である11月3日に天皇を祝福する曲として披露され、その曲が「祝日大祭日歌詞竝樂譜」として官報で告示されたので、君が代の「君」は明らかに天皇のことです。 公式見解については、1999年の国旗・国歌法を制定する時の小渕恵三首相の国会答弁、「日本国憲法下においては、国歌君が代の『君』は日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国および日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当である」というのが、国としての公式見解になっていると思います。 ただ、このときに官房長官だった野中広務さんは、「君が代の歌詞の意味のとらえ方は、個々人の内心に関わる事柄で、政府の見解は政府自身の見解でございまして、国民お一人お一人が君が代の歌詞の意味などについてどのようにお受け止めになるかについては、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であると考えております」と発言しており、憲法の思想信条の自由に配慮して、政府の公式見解では「君」は天皇であるけども、国民の受け止め方はそれぞれでいいんじゃないか、みたいなことをおっしゃってる訳です。 君が代の誕生の経緯からしても、政府の公式見解からも、君が代の「君」は天皇であることは間違いないですが、全体の歌詞が祝いの歌であることからすると、使用する状況に応じて、オリンピックの表彰式で流れればその「君」は優勝したスポーツ選手でもいいでしょうし、卒業式なら「君」は卒業生一同でもいいかも知れないですね。

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君が代の歌詞の意味は?2番や3番もあった!

君が代 意味

言葉としての意味は,天皇の治世であり,史上においては,祝福を受ける人の寿命をさすが,さらに事実上のとしてわれた明治期以後の歌曲「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」をさす。 このは,『』にそのもととなる「わが君は…」の初句の和歌があり,以下『新撰和歌集』『』などにも収められるが,「君が代は…」と初句を改めたものは,「隆達節」伝存本の巻頭に掲げられたものが初見と思われる。 ただし,「君が代は…」の詞章で,寺院芸能である延年のなかの歌謡をはじめ,古くから祝賀の歌として酒席などで朗詠されており,和歌を朗唱する「歌抜講」の代表的詞章としても用いられたほか,謡曲,歌舞伎などを通じ庶民層にまでこの歌詞は広く普及した。 明治2 1869 年,薩摩藩は「天皇に対し奉る礼式曲」を作成するため,同藩士大山巌らが琵琶曲『蓬莱山』のなかにある「君が代…」の歌詞を選定してイギリス人軍楽隊教師 J. にを依頼し,翌年,陸軍観兵式にされたが,曲調に威厳を欠くと批判されて,1876年には廃止された。 別にでも小学校用唱歌に使用する目的で同歌詞の別曲を作成したがこれも普及しなかった。 同年に海軍省軍楽隊長中村佑庸の提唱に基づいて宮内省は楽譜改訂のためドイツ人 F. を交えた4人の楽譜審査委員を設け,奥好義の作曲したものに手を加えて,宮内省伶人長の名による雅楽旋律の楽譜を選定し,80年の天長節において初めて演奏された。 88年に政府は各条約国に対し,この楽譜をもとにしてに吹奏された楽譜を「大日本礼式」として送付,93年には文部省が学校儀式用唱歌として告示した。 昭和に入って国家主義が高揚されるとともに,事実上の国歌として扱われるようになった。 第2次世界大戦後しばらくの間,『君が代』はこのような地位を失っていたが,1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されてからは,国家的礼式の場合に用いられるようになった。 さらに,99年8月に「」が成立したことにより『君が代』が正式な国歌と規定された。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 日本のとして歌われている《君が代》の歌詞は《》に見えるが作者は不詳。 《古今和歌集》《古今和歌六帖》にも類似の歌がある。 曲は英国人J. フェントンのものもあったが,現行のものは式部寮雅楽課が1880年に作曲。 のち,1893年8月宮内省楽師林広守撰譜として文部省が儀式用唱歌に指定・告示。 第2次大戦後の日本国憲法下ではその精神に反しており国歌として扱うことができなかったが,1950年《君が代》をすすめる大臣通達が出され,1977年の改訂のさい,教育課程審議会で一度も議論されないまま正式に国歌と規定された。 しかし,その法的拘束力については争いがあり,学校でうたうべきかどうかなどの議論が絶えないが,1999年8月が公布・施行され,〈国歌〉と規定された。 歌詞の原型は『古今和歌集』賀の部に「わがきみは」、『和漢朗詠集』には「きみがよは」の初句で、いずれもよみ人知らずで登載されている。 同じ歌詞が俗楽では隆達節 りゅうたつぶし (江戸初期)、箏曲 そうきょく 、地歌 じうた 、長唄(江戸中期以後)にあり、祝賀用である。 古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられたのも、この表現が国民感情に受け入れられやすかったからであろう。 別に文部省は、同歌詞に曲をつけ『小学唱歌集』に採録したが、2曲とも適切な曲でなく改作が建議された。 1882年音楽取調所(現、東京芸術大学音楽学部)が国歌選定を命じられ、『明治頌歌 しょうか 』が候補にあがったが実現せず、1893年に全国の小学校に文部省が告示した『祝日大祭日歌詞並楽譜』の冒頭に所載された林広守の曲が定着した。 1958年(昭和33)告示の小学校学習指導要領から、学校において国民の祝日などの儀式を行う場合、国旗を掲揚し、『君が代』を斉唱することが望ましいとされ、さらに1976年以降では「国旗を掲揚し『国歌』を斉唱させることが望ましい」と規定された。 『君が代』の「君」が天皇をさすとして定着したのは明治以降であるが、第二次世界大戦後制定された新憲法では、主権在民の原則が確立されているにもかかわらず、天皇の賛歌ともいえる『君が代』を国歌として法制化することに対して異見も少なくなかった。 しかし政府見解では「『君』は日本国及び日本国民統合の象徴で主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指し『君が代』は象徴天皇のいる日本のことを指す」と説明した。 1999年(平成11)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(平成11年法律第127号。 国旗・国歌法)が第145通常国会において可決され、『君が代』は同年8月13日官報で日本の国歌として公布、施行された。 [榊原烋一].

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