上句を「ふかき山の峰にすみける月見ずば」とする本もある。 大変高貴な男性のもとへ嫁いだんですね。 【補記】春の歌であるが、『山家集』『山家心中集』は題詞を欠いた歌として雑の部に収めている。
15【他出】山家心中集、西行家集、定家八代抄 ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならむとすらむ (353) 【通釈】あてどもなく、月を見ているうちに心が澄みに澄んで、ついには私の心はどうなってしまうというのだろう。
京極殿または 京極中納言と呼ばれた。
【他出】治承三十六人歌合、御裳濯河歌合、山家心中集、西行家集、定家八代抄、詠歌大概、御裳濯和歌集、詠歌一体、三百六十首和歌、井蛙抄、六華集、東野州聞書 【主な派生歌】 白雲とまがふ桜にさそはれて心ぞかかる山の端ごとに この頃は山の端ごとにゐる雲のたえぬや花のさかりなるらん 洞院公賢 吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき (66) [続後拾遺101] 【通釈】吉野山の梢の花を見た日からというもの、私の心はいつも身体から離れているようになってしまった。
海辺の苫屋があるばかりの秋の夕暮よ。
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一体如何なる雲のなごりを運んで来たというので、これほど昔を懐かしませる香りがするのであろう。
【補記】「無常十首」のうちの一首。
七十歳になる文治三年 1187 、自歌合『御裳濯河歌合』を完成、判詞を年来の友に依頼し、伊勢内宮に奉納する。
思ふ所月にあらずといふ事なし」(笈の小文). 『西行法師家集』では前歌と同じく詞書「述懐の心を」。 帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月 (新古1206) 【通釈】よそからの帰り道に眺めるものとして、あの人は今頃この有明の月を眺めているのだろう。 伊勢にある月読命(月の神)を祭る社。
19それを、本意にはあらで、こころざし深かりける人、行きとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかに隠れにけり。 参考のコーナー 歌人 西行 佐藤 義清(さとう のりきよ)。
のち、幼い少年一般を指すようになる。
西行往生の報を聞いた都の歌人たちは、この歌を思い合わせて一層感動を深めたのだった。
かつおのたたきとは文字通り、包丁や手でカツオをたたいて作ったもの。
西行の歌の本質は やはり以下の様らしい 生きていく人間の心、このわかりづらく、どうにもとらえ難いものを生涯にわたって追求し、それを歌にした。 京都で法要の列に加わった良寛は、その足で越後国に帰郷し、出雲崎を中心に乞食生活を続けた。
【他出】西行家集、玄玉集、定家八代抄、詠歌大概、御裳濯和歌集、西行物語、兼載雑談 【主な派生詩歌】 すずしさもここにはしかじ稲筵しみづながるる山の岩が根 あふ坂や春にぞあくる柳陰し水ながるる関の岩かど 田一枚植ゑて立ち去る柳かな よられつる野もせの草のかげろひて涼しくくもる夕立の空 (新古263) 【通釈】もつれ合った野一面の草がふと陰って、見れば涼しげに曇っている夕立の空よ。
ここで言われている内容は、• 月はなほもらぬ 木の間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く (新古396) 通釈】住吉の浜の松林の下にいると、月は出たのに、繁り合う松の梢に遮られて、相変わらず光は木の間を漏れてこない。
直接の交流はなさそう。
来む世には 心のうちにあらはさむ あかでやみぬる 月の光を 来世では心のなかにあらわそう 満足いかないままでたえてしまった月の光を 「願はくは」と「来む世には」の二首は 『御裳濯河歌合』の七番に載せられている。
この句の「や」は疑問をあらわす。
地の文と歌とはキチンと役割分担が出来ています。
でも、考えてみれば、人の世というのはそういうものですよね。
西行が晩年期に撰んだ歌のなかにこれら二首が並んである。
またこの頃万葉集に親近したという 文化十四年 1817 、江戸にのぼり、さらに東北各地を巡遊。 春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空 (新古38) 【通釈】春の夜の、浮橋のように頼りない夢が、遂に中途で絶えてしまって、空を見遣れば、横に棚引く雲が峰から別れてゆく。 【他出】西行家集、西行物語 【参考歌】「後拾遺集」 なけやなけ蓬が杣のきりぎりす過ぎ行く秋はげにぞかなしき (『後六々撰』は第二句を「蓬がもとの」。
7『山家集』には見えない歌。 思慮分別を失って。
藤原定家 平成29年11月 記 色々と昔の歌人を調べれば、一人欠けていた気がする。
【補記】『山家集』には見えない。
【他出】御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集、歌枕名寄、西行物語 【主な派生歌】 ながめばや神路の山に雲消えて夕べの空を出でむ月かげ [新古今] 照らすらむ神路の山の朝日かげあまつ雲居をのどかなれとは 伊勢の月よみの社に参りて、月を見てよめる さやかなる鷲の高嶺の雲ゐより影やはらぐる月よみの森 (新古1879) 【通釈】霊鷲山にかかる雲から現れた月は、さやかな光をやわらげて、この国に月読の神として出現し、月読の杜に祀られている。
ざんばら髪で雀を狙っている男の子が、前髪をうるさがっている様を、「ひたひ烏帽子のほしげなる」と見たのであろう。 僧俊海の子。
14なぜ、私の心が変わったのか。 養われた恩を忘れ、母を思いやることもなく、ただおのれの罪業ゆえの苦しみにのたうちまわる。
(新古今和歌集より) 大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月 (新古40) 通釈】広大な空は梅の香に満ちておぼろに霞みながら、すっかり曇りきることもない春の夜の月よ。
鳴き声は種によって様々であるが、ツヅレサセコオロギはリーリーリー、エンマコオロギはコロコロ、コロコロリーン、カマドコオロギはキリキリキリまたはチリチリチリと聞きなされる。
うらみわび待たじ今はの身なれども思ひなれにし夕暮の空 (新古1302) 【通釈】あの人のつれなさを恨み、嘆いて、今はもう待つまいと思う我が身だけれど、夕暮れになると、空を眺めて待つことに馴れきってしまった。