吉田拓郎さんのライブに行ってきた。 。
しかし、どれも積年の哀愁と挫折の悲しみに満ちている。 ありがとうございます。
10月には1stアルバム『青春の詩』をリリース。
1973年に作られた曲ですが、あらためて歌詞を読んでみても色褪せていない説得力を持っています。
ロードソングといえば、人生=ロード系は御大の得意ジャンルであり、「マラソン」「大阪行きは何番ホーム」「車を降りた時から」など数々の名作がある。
1974年、森進一に「襟裳岬」を提供し作曲家としてもその地位を確立、後にキャンディーズや石野真子などアイドルの楽曲も手掛けています。 御大が、今のボーカルで歌う時、きっとまた御大が横に沿うてくれるような、そして生きる旅が楽しくなるような、そんな演奏が聴ける日が来てほしい。
途中でメロディーが立ちあがってゆくところ、 「街を出て風に吹かれ雲と一緒に~夢に焦がれ野に向う、何もかもを捨てて~」 「振り返り道端に涙しても~ 小さいけど、その叫びは自由への道しるべ~」 これらのくだりは、まるで青空に向う階段を意気揚々と上って行くような高揚感がある。
」とストレートの長髪の御大に肩を叩かれ慌ててついて行く…そんな気分になる。
1972年 作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎 未発表 但し、アルバム「猫・あなたへ」にカバー収録 ママ、驚かないで、拓郎さんがこの曲引っ張り出してみようかって言ったの もともとは映画「旅の重さ」のために「歩け歩け」とともにレコーディングされたがアウトテイクとなってしまった幻の作品だ。
その意味でこの作品の輝きは決して色褪せることはない。 みんな「吉田拓郎」を聴こうよ。 しかし、この作品は20代の意気軒昂な若者が、これから旅して行かんとする活力に溢れている陽性の作品だ。
5曲名 歌手名 作詞者名 作曲者名 歌い出し ひとつひとりじゃ淋しすぎる 光と影があるなら光になりたい 彼女と初めて口づけしたのは 静かな夜のけはいがベッドの 恋は素敵だね何も考えず 浜日傘ゆらゆらすらりとのびた 夕焼けに向かって走って行く 夕焼けに向かって走って行く 若かった頃の事をきかせて 朝日がサンおはようサン どれだけ歩いたのか ひと晩たてば政治家の首が 流れる雲を追いかけながら 僕等の事を知らない人も 窓から見える景色はいつもと こんなにつらい日があるんだネ あの頃わからなかった事が 俺の電話で夜の夜中に あの娘の待ってるビルの彼方に この胸いっぱいのありがとうよ 目を覚まし外をごらんよ バスが止まって外は雨が 波がぶつかってくだけて すべてのものが思い通りに 誕生日がやって来た祝おうよ 重い闇を救急車が引き裂いて いつか夜の雨が走りはじめたネ いつでもどこでもおまえが 星よりひそかに雨よりやさしく 八月の光がオレを照らし 曲名 歌手名 作詞者名 作曲者名 歌い出し I love youって言うのは あの日君はとてもコワイ顔を これこそはと信じれるものが これこそはと信じれるものが 時がどれだけ急いでもどれ程 この道はどこまで続いてる 馬が走ってく馬が走ってく あんまり夜が滲みるから 私には心の裏を読み取れる力が 夜明けに目覚めて翔ぼうと ニューヨークは粉雪の中らしい 初めは誰でもCからどきどき 北の街ではもう悲しみを暖炉で ロックンロールの響きがいい 19の頃だったと思うけれど 生きてゆくのはああ あの時僕はこう思ってたんだ 朝はどこから来るんだろう 雨もふりあきて風もやんだ うすむらさきの煙がゆれて 女の娘女の娘愛も信じない おやじが全てだなんて さびしがりやなのかな俺 死んで下さいよとあいつに 夜空に浮かぶ星打ち明けよう 蝶ネクタイに銀縁眼鏡 退屈なのが恐いんだろう あの日の夢が浮かんでくるよ 拝啓僕はとても残念でした 何もかもがなんでこんなに 曲名 歌手名 作詞者名 作曲者名 歌い出し 風のシーズン僕には四季がない 道のむこうで手を振った 悲しいのは空ではないんです 緑色のカーテンのすき間から 心のかたすみに閉ざされてた とてもすてきだきみ 誰を信じるものではなく 両手には小さな愛とこぼれない 笑ってるよ白いワンピースの 水玉ワンピース天使を気どった 今日はいったい何がどうしちゃった 僕は角のたばこ屋サンが 僕はその日映画を観ていた ある日東京の空を見上げたら あの空に浮かぶのは今日の雲 あの人今夜も行き先知れずで この次のバスに僕は乗るからね 好もしからざる女だった君の こんなに人を愛せるなんて 重たい荷物は背負ってしまえば 久しぶりに逢えたのだから わたしは今日まで生きて トロリトロトロ眼がさめる ええかげんな奴じゃけ 男だったんだと女が居て 僕の髪が肩までのびて君と同じ 2月の朝降りつづいた雪も 誰もこっちを向いては 風が吹いているね懐かしい 君を好きだなんて言ったり. 「 Lemon」は、200万ダウンロード突破という金字塔を打ち立て、2019年も音楽界の台風の目になりそうな、押しも押されもせぬミュージシャン米津玄師。 吉田拓郎さんがラジオでびっくりするくらい褒めてくださっている。
そして私はやっぱりフォークソング大好きだな。
いつか直接会って話がしたい、まだまだ音楽続けるしかないな。
1975年には、井上陽水、泉谷しげる、小室等らとともに、 アーティストの手になる初めてのレコード会社 フォーライフ・レコードの設立に参加、2代目の社長に。
こういう人達に憧れて育ってきた自分が何か誇らしく感じた。 1971年「人間なんて」がヒットし、翌年には「結婚しようよ」の大ヒットでフォーク界を超えて幅広い層からの人気を獲得。
映画「旅の重さ」がロードムービーであれば、この作品はロードソングとでもいうべき作品だ。
なのにお蔵入りなのよ 涙。
今更だけど2019年もよろしくお願いします。
もちろん2人の楽曲は、2010年代的に洗練かつアップデートされていますが。 しかし、若さの活力に満ちた作品ではあるものの、これは決して若者だけのものではあるまい。
また、御大自身がラジオ番組での得意の蔵出しで、貴重なオリジナルテイクを流してくれたりもしたので、なんだかんだでファンも広く耳にすることができたものの…それでも公式音源がないので埋もれてしまっている作品だ。 若々しい清清しさが詞にも曲にも、そしてボーカルにも、そのすみずみまで満ちている。
以前より、影響を受けたアーティストのひとりに吉田拓郎を挙げています。
このスタイルは、アメリカにおいては、デビュー当時、第二のボブ・ディランと称されたブルース・スプリングスティーンに受け継がれ、佐野元春や浜田省吾、尾崎豊などのアーティストに大きな影響を与えたのではないかと推測されます。
そういう「おまえ」と「私」なのではないか。
もし、あいみょんや米津玄師のファンで吉田拓郎を聴いたことがないという方がいらっしゃるのなら、一度聴いてみるもいいかもしれません。
8嬉しすぎるな…。 静かに待とう。
年齢や環境の制約はあろうとも、いくつになっても、こんな気分で揚々と冥土の旅をつづけたいものだ。
2019年1月13日、吉田拓郎がパーソナリティをつとめ、毎週日曜夜に放送されている二ッポン放送『吉田拓郎 ラジオでナイト』で、ベタ褒めされた件について自身のSNSで感謝の声を投稿しています。
とぼとぼ歩いていると、後ろから「おい、行くぞっ! 説得力が半端ない歌声 彼のすこししゃがれた説得力のある歌声で、自ら綴った歌詞を伝えるストレートな姿に共感を覚える音楽ファンは少なくないのではないでしょうか 吉田拓郎とあいみょん、米津玄師の通じるところ 時代は変わっても吉田拓郎イズムを受け継ぐ、日本人のどこかに潜んでいる心の琴線に触れる 歌謡曲的ノスタルジーなメロディが、広く受け入れられているのではないかと思います。
1996年、KinKi Kidsや篠原ともえとともに音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』にレギュラー出演、番組テーマソング「全部だきしめて」の作曲も手がけるなど話題を呼びました。
15ここまで待ったのだ。 真意はわからないが「おまえの足音」を歌っていながら、タイトルは「私の足音」だ。
2017. つま恋では「自由への道しるべぇぇゃぁぁぁぁ」と乱雑に怒鳴ってしまうところもまたまた魅力の周辺である。
先走るまい。
現在、30代前後の世代はこの番組でのイメージが強いかもしれません。