」 「標本じゃありません。 それをカムパネルラが忘れる 筈 ( はず )もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
3時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い 眼 ( め )が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い 硝子 ( ガラス )の 盤 ( ばん )に 載 ( の )って星のようにゆっくり 循 ( めぐ )ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。 けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき 眼 ( め )の加減か、ちらちら 紫 ( むらさき )いろのこまかな波をたてたり、 虹 ( にじ )のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、 燐光 ( りんこう )の三角標が、うつくしく立っていたのです。
」 「そうかねえ。
ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、 硝子 ( ガラス )の 笛 ( ふえ )のようなものが鳴りました。
いま帰ったよ。
見ると、もうじつに、 金剛石 ( こんごうせき )や草の 露 ( つゆ )やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の 河床 ( かわどこ )の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く後光の 射 ( さ )した一つの島が見えるのでした。 」 「鶴ですか、それとも 鷺 ( さぎ )ですか。
そしてジョバンニは青い 琴 ( こと )の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら 瞬 ( またた )き、脚が何べんも出たり引っ 込 ( こ )んだりして、とうとう 蕈 ( きのこ )のように長く延びるのを見ました。
河原の 礫 ( こいし )は、みんなすきとおって、たしかに水晶や 黄玉 ( トパース )や、またくしゃくしゃの 皺曲 ( しゅうきょく )をあらわしたのや、また 稜 ( かど )から 霧 ( きり )のような青白い光を出す鋼玉やらでした。
ジョバンニは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。
」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、 「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。
それは、茶いろの少しぼろぼろの 外套 ( がいとう )を着て、白い 巾 ( きれ )でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に 掛 ( か )けた、 赤髯 ( あかひげ )のせなかのかがんだ人でした。 俄 ( にわ )かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。
20その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。 」というききおぼえのある声が、ジョバンニの 隣 ( とな )りにしました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。
すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな 鍵 ( かぎ )を 腰 ( こし )に下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。
」 ジョバンニが云いました。
二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。 「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。 その人は、ひげの中でかすかに 微笑 ( わら )いながら荷物をゆっくり 網棚 ( あみだな )にのせました。
1まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。 」 鳥捕 ( とりと )りが云いかけたとき、 「切符を拝見いたします。
」 「いまでも聞えるじゃありませんか。
黒曜石でできてるねえ。
ずいぶん 奇体 ( きたい )だねえ。
「ああ、遠くからですね。 すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん 跳 ( と )んでいた小さな子供らは、ジョバンニが 面白 ( おもしろ )くてかけるのだと思ってわあいと叫びました。 」 ジョバンニは窓のところからトマトの 皿 ( さら )をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
3」カムパネルラが、いきなり、 喧嘩 ( けんか )のようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。 けれど構わない。
」 「ではぼくたべよう。
ジョバンニは、 (ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える 橙 ( だいだい )いろの三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。
「お母さん。
」 すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが 射 ( さ )して来ました。 それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに 浮 ( う )いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい 燐光 ( りんこう )をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
3そこに小さな五六人の人かげが、何か 掘 ( ほ )り出すか埋めるかしているらしく、立ったり 屈 ( かが )んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。
ひやかすように云うんだ。
銀河だから光るんだよ。
」 「そうだ。