。 』は、ヴァイヤーの青年期からスタートしますが、幼少期の頃とストーリーが行ったり来たりします。
これ以上揺るがされたくないから、自分と反対意見をもつ人たちに不満を抱き、怒りをぶつける。
資料集めとプロット作りに苦戦 話を聞いたのは、「魔女をまもる。
そこで、ストーリーの内容は変わらないけど、同じ時代のエピソードはある程度まとめて、時系列の変動を少なくしてもらいました」 「もう1つは、精神病の扱い方です。
少女の父親は、人狼をつかまえようと必死だ。 魔女としてとらえられた人々が、拷問の末、存在しない仲間を白状させられたように、身に覚えのない罪から逃れるために、自分も誰かのせいにしてしまう。
コロナ禍で人々を不安にさえ、おそれさせているのは「万全に対策していたつもりでも、いつ誰がどこで感染するかわからない」「外出できない、人に会えないという状況がいつまで続くかわからない」「けっきょく、何が正しいのか何もわからない」ということだろう。
『魔女をまもる。
隔月誌での連載を読者に浸透させるのはなかなか難しい上に時代が飛ぶとなると、読者が前回の内容を忘れたり、置いてけぼりになったりする可能性があると思いました。
答えの出ないことを考え続けなくてはならない状況に耐えられないから、自分がいちばんホッとできる答えを自分で決めてしまう。
『魔女をまもる。
ヨーハンは、母親を守るために魔女としてふるまい処刑されてしまった少女への後悔と贖罪から、魔女を救う方法を探して続けてきた青年だ。
資料の数自体が少なくて、私も槇先生も苦労しました。
』のセリフが、読み返すたびに突き刺さる。 最初から魔女や悪魔がいない現代の価値観であればそう言うことはできるかもしれないけれど、そういうわけではなくて。
それが、魔女狩りだ。
『魔女をまもる。
知識のない状態で、突然の発症をまのあたりにすれば「悪魔でも憑いたのではないか」と怯えてもしかたない。
たとえば家事は女性が担うもの、男性は奢るもの、女性はヒステリックになるものだし、男性には浮気する本能がある、といった男女間の決めつけも、最初からそうと決まっているのだと断じてしまえば、よけいなことを考える前に諦めることができるし、話し合いの面倒を省略して物事を進めていくことができる。
精神病を患った人が虐げられてきた史実はあるけど、病気で差別を受けることを強調してしまうと、『その精神病は差別されるもの』という変なイメージができて、傷つく人が出るかもしれません。
神学者が科学者であることが矛盾しないということは理解はするけれどやはり実感としては難しい。
その後、大阪の太成学院大学の黒川正剛教授という方が魔女や魔女狩りの書籍を多数出されていると知り、2人で大阪へ行って、魔女狩りについて勉強させていただきました。
もし村に「魔女」がいるとなれば、その村が消えてしまうかもしれない仕組みにはゾッとしたけれど、本当にそういうことなのかもしれない。 現代も「魔女狩り」はあるけれど、単純に正義ではないことは行う方もどこかで分かってる今とは違って、本当に悪魔はいた し魔術師がいた時代の話なので、現在よりも魔女狩りが正しい行いだった。
そこら辺が興味深いし面白いと思いました。
中世ヨーロッパの魔女狩りを描いた槇えびしの漫画『魔女をまもる。
終わりかたの余韻が、現実においてこの期激化する魔女狩りをおもえば何とも言えない気持ちになりました…. それは、いつなんどき自分も、誰かにとっての魔女にさせられるかわからない、ということだ。