太子が 10人の話を同時に聞いて全部理解したというのはこの場面か。 『日本書紀』によると、670年に焼失したとされ、その後、現在の場所に再建されたと考えられています。 太子信仰の中心として古来より信仰されてきた。
山口主任研究員は、「平成5年の調査で我が国最古の弥勒如来像と評価され、注目を集めたものの、直後に顔つき(面相)が異なる姿が古写真で確認された。
本展は1400年という遙かなる時をこえて、今を生きる私たちが聖徳太子に心を寄せることでその理想に思いを馳せ、歩むべき未来について考える絶好の機会となることでしょう。
1994年『国宝 法隆寺展』(東博)やコロナ禍で幻の開催となった2020年『法隆寺金堂壁画と百済観音展』(東博)など、これまでにも法隆寺展は企画、開催されているが、「今回は100年に一度の大遠忌にあたることから、質・量ともに過去最大規模の展覧会になる」と奈良国立博物館の井上洋一館長は説明する。
太子が亡くなってから 1400年 1400年遠忌 を記念して、特別展「聖徳太子と法隆寺」が奈良国立博物館で開かれている。
同展は、推古天皇15年(607)に太子が創建したと伝わる法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)の全面協力を得て、護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子の肖像画や遺品として伝わる宝物など、貴重な文化財が一堂に会す。 出陳品 展示件数174件(うち国宝36件、重文75件) 記念講演会 公開講座 講座の聴講には事前の申し込みが必要です。
太子の摂政時代の姿とされ、法隆寺には太子が 35歳の時に水鏡に映った姿を自ら描いたと伝わっている。
と同時に、太子は、法隆寺をとりまく斑鳩一帯を理想郷「天寿国」にしたいと願っていたといいます。
太子の服も赤みがかっており、両脇の王子の模様も緑や赤が濃い。
端厳ななかに穏やかなほほ笑みをたたえた釈迦三尊像 (鞍作止利(くらつくりのとり)作)の精緻な光背の裏面には、推古30年 622 に聖徳太子が発病され、 また薨去されるにあたり、その病気平癒と成道を願って造られた太子等身の像が、その翌年に止利仏師によって完成したことなどが刻まれております。
少し黄色味がかっており光沢は無い。
本展覧会は1400年という遙かなる時をこえて、今を生きる私たちが聖徳太子に心を寄せることでその理想に思いを馳せ、歩むべき未来について考える絶好の機会となることでしょう。
日本における仏教の興隆は聖徳太子によるところが大きく、また、冠位十二階や憲法十七条、遣隋使派遣など、古代の国家体制を確立する政治・行政・外交・文化にも熱意を注ぎ、今に受け継がれるこの国の基盤に多大な功績を残しています。
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聖徳太子についても、自筆と伝わる書など、様々なゆかりの宝物を見ることで、その存在を感じられるのでは、と思っています。 しかし、完成した法隆寺は、歴史の荒波の中にある寺でもありました。
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現代のような写実性という概念の無かった 薄かった 時代の、どれもその時代においての間違いのない太子のお顔だったのだろう。
なお、未就学児の方は「前売日時指定券(無料)」および「当日券(無料)」の発券は不要です。
奈良博前期のみの展示なので、興味のある方は掲載の写真で確認を。 捨てられた仏像を拾ったのが、本田 善光 [ よしみつ ]という人で、彼によって長野にもたらされて、これを本尊としたのが 善光寺 [ ぜんこうじ ]です。 大野正法(しょうぼう)執事長は「1400年という大きな節目に一人でも多くの人にお参りしてもらいたい。
3同展について4回にわたってレポートする。
本尊となる太子像などを大講堂に移す。
ある年齢以上の人には1万円札の絵柄としてお馴染みだ。
ご提示いただけない場合には、通常料金との差額をお支払いいただきます。
わをもってとうとしとなす、さからうことなきをむねとせよ。 時間 午後1時30分~3時(午後1時開場) 会場 当館講堂 定員 90名(事前申込先着順) 申込方法 の申込みフォームより必要事項を入力の上、お申込みください(web申込のみとなります)。
20払い戻し期間内に、チケットをご購入・発券された店舗で(ローソンで発券された方はローソンへ、ミニストップで発券された方はミニストップへ)、チケットの払い戻しを行ってくださいますようお願い致します。 定員に達し次第締め切りとさせていただきます。
以和爲貴、無忤爲宗。
当然ながら太子に直接会った人はいない。
日本国が周辺諸国から倭国と呼ばれていた飛鳥時代、日本国最初の女性天皇(大王)である第33代天皇の推古天皇のもとで、貴族で政治家の蘇我馬子と協力し、当時の隋(現・中華人民共和国)に遣隋使を派遣して先進している文化・制度を学び、冠位十二階や十七条憲法を制定し法令・組織を整備、天皇や王族を中心とする中央集権の国家体制を確立したほか、仏教や儒教を取り入れ、神道と共に信仰し興隆に努め、推古天皇15年(607年)には斑鳩に法隆寺を創建し、後世に続く日本国の文化的な基盤を築いたとされる皇族で政治家の聖徳太子。
太子とされる最も古い絵画「御物 聖徳太子二王子像」 奈良博前期のみ展示 が描かれたのは奈良時代の 8世紀。 ちなみに、この本尊は、ひとつの 光背 [ こうはい ]に阿弥陀如来と、その左右に観音・勢至菩薩がならぶもので、「一光三尊」といわれています。
それでは、聖徳太子とは、どんな人物なのでしょうか。
絵殿に安置されていた聖霊会の本尊「聖徳太子坐像(伝七歳像)」や絵殿の本尊「観音菩薩立像(夢違観音)」も展示され、絵殿の空間が再現される。
主催 奈良国立博物館、法隆寺、読売新聞社、NHK奈良放送局、NHKエンタープライズ近畿、文化庁 特別協賛 キヤノン、JR東日本、日本たばこ産業、三井不動産、三菱地所、明治ホールディングス 協賛 清水建設、髙島屋、竹中工務店、三井住友銀行、三菱商事 協力 内田洋行、NISSHA、非破壊検査、奈良県、日本香堂、仏教美術協会 公式サイト. 障害者手帳またはミライロID(スマートフォン向け障害者手帳アプリ)をお持ちの方(介護者1名を含む)、奈良博プレミアムカード会員の方(1回目及び2回目の観覧)は無料ですが、「前売日時指定券(無料)」もしくは「当日券(無料)」の発券が必要です(要証明)。