論語 読み の 論語 知らず。 ことわざ「論語読みの論語知らず」の意味と使い方:例文付き

ことわざ「論語読みの論語知らず」の意味と使い方:例文付き

論語 読み の 論語 知らず

naganaga403さんが『論語を読んで頭では理解しても、実行が全くともなわない人を指します』と回答しています。 それでも良いのですが、『論語を読んで、記憶していて、その説明さえしてくれるのに、肝心な内容が理解できていない人』という方が、当たっているような気がします。 ~~~~~~~~~~~ 偉そうなことを言っているけれども、実際の場面では役立たない人。 たくさん勉強していて、テストの点数も悪くないのに、応用問題や現実の解決策はわからない人。 専門書や難しい本を読んで文章や言葉を記憶しているだけで、意味が理解できていない人。 ~~~~~~~~~~~ お坊さんをまねて、お経を覚えても、そのままでは呪文のようになってお経の意味はまったくわかりません。 これも「お経読みのお経知らず」です。 論語は、日本では、素読という方法で読んでいました。 先生の発音を聞いて、とにかく同じように発音するのです。 この論語を読んで、意味がわかりますか? 多くの人にとって論語は、そのままでは意味がわからないか、自分流の誤解をします。 専門的に勉強する人は先生から講義で説明してもらえるのですが、その説明も簡単で分かり易い言葉ではなかったのです。 場合によっては、100回読めば 自然に意味がわかるから、何度も読みなさいと言われてしまう場合もありました。 何年も論語を読んでいて、今からその意味を聞くこともできないので、結果、自分流に解釈することが多かったのです。 だから、論語を読んでいる多くの人は、意味がよくわかっていないか、いい加減な理解でした。 それで、きっと、【論語をよく読んでいる偉そうなAさんに聞いて「ああそうなのか」と思っていたら、論語を読んでいるB老人にきいたら別の説明をしてくれて、論語を読んでいる人への信頼感ががっくり落ちた】というようなことがあったのでしょう。 【いつも偉そうで、「病気はなんでも私に任せろ!」と言っていた医者が病気でダウンして、医者もダメなんだなと経験した】なども、同じようなことわざになっていったのだと思います。 (道徳や倫理だけのことではないし、理論と実践のこととは限りません) 『知らず』=『わかってない』ということです。 学校の勉強や試験対策で、正しい回答、公式を覚えているだけで、内容を理解しないと、そのときの試験では、穴埋めでも、計算でも、100点を取れても、数ヶ月後、数年後には、記憶は残っていても「論語読みの論語知らず」のようになる危険があります。

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「論語読みの論語知らず」の意味とは?意味や使い方を解説!

論語 読み の 論語 知らず

吉川 幸次郎 よしかわ こうじろう、1904年3月18日 — 1980年4月8日 は、日本の中国文学者。 文学博士 京都大学。 芸術院会員、文化功労者、京都大学名誉教授。 自分に自信のある人は、自分の能をひけらかしたりしない。 素手で人をうちひしぐ技を身につけた武道人は、刃物持って弱者を狙う、通り魔殺人など起こさない。 いわんや孔子は自分の学に、当時の誰より自信があったはず。 こんな自慢を弟子の前で、べらべらしゃべったりするだろうか? 学のない者は人間ではないと放言した京大教授 さらに吉川本にこうある。 「この条は、私の甚しく好む条である。 …すなわち孔子によれば、素朴なひたむきな誠実、それだけでは完全な人間ではないのである。 学問をすることによって、人間ははじめて人間である。 」 この言は、私の甚しく嫌う傲慢である。 「最後の儒者」を自称した吉川博士にふさわしい。 博士の言う「人間ではない人々」から絞った血税で官費留学し、貴重な書籍と好き勝手な生活と快適な研究室をタダで与えられ、ワシは京都大学教授であるぞとふんぞり返り、漢学の権威、学界の泰斗とチヤホヤされたあげく、こうした高慢ちきをやらかした。 こういう、自分がどんなに人をバカにした事を言っているか自覚のない人は、どんなに本を読み込もうと幼児と変わらない。 子どもがトンボの羽をむしって遊ぶように、ひどいことをしながら自分は高尚な人間だと勘違いしている。 そんなおやじは下町の立ち飲み屋にも、煉瓦造りの帝国大学研究室にもいるということだ。 その一例が公冶長篇第五 5 の解説で、「公務員になりたい人はいつの世にも多いが、その責任の重さを思えば、良心のある人は躊躇の気持を持つのが当然である」とある。 なお吉川博士は京都大学教授であり、当時の国立大学は独立法人でもなかったので、純然たる公務員である。 自分を棚に上げて、何を言っているのだろうか。 論語読みの論語知らず こんな人が重鎮だから、とうとう漢学は世間から忌み嫌われて、今やほとんど滅びかかっている。 こういう幼児じみた学者を中国の伝統的用語で「腐儒」といい、日本語では以下のような論語の記述が目に入っても、心にはちっとも入らない、「論語読みの論語知らず」という。 諸君、人としての優しさを何よりも前に身につけろ。 それが出来るまでは、勉強などしてもろくな人間にならないぞ。 学而篇 体は丈夫、行動は果敢、根は素直、そして口下手。 こういう人は仁に近い。 子路篇 政治経済軍事上の理由から、日本での中国研究が途絶えることはないだろうが、こと古典研究に限っては、もう日本でやりたがる若者は出てこないだろう。 出たとしてもこうした腐れ儒者が学界を牛耳っている限り、自分で漢文を読めるまで学ぼうと励む意気はくじかれてしまう。 だからいつまで経っても千年前のおかしな読解が有り難がれ、論語や漢籍はまことに退屈な虫食い本に過ぎず、時に若者や力のない人を脅しつける道具に使われ続ける。 戦時中に敗走を転進、全滅を玉砕と言い換えたり、「八紘一宇」とか「撃ちてし止まん」とか、漢字ばかりの戦時スローガンは、今日のインチキなコピーの横文字と、同じ働きをしていたのだ。 自分の足を食うタコと役人根性 IT黎明期の巨人の一人、ジャロン・ラニアー氏は、「いったいいつまで、私のようなジジイが作ったシステムを使っているんだ」と『人間はガジェットではない』に書き、後輩を励ましている。 対して吉川博士は学生や後輩に新たな漢籍の読み方を提示されると、叱りつけて否定するような人物だったらしい。 漢籍、とりわけ論語始め儒教の書物は、長い間中国の絶対王政を支える道具だったから、上にこびへつらい、下を虐げる解釈が定説化しており、それを学んで官僚・政治家になった儒者たちは、甚だしい偽善と陰険な政争と残忍な民衆の搾取を事とした。 それが尾を引いて、どうも日本の漢学者には、人間として尊敬出来るような人がめったにいない。 今若い頃を思い返すと、そもそも漢文を独力で読めた漢学者が、どれだけいただろう。 古くさい注釈や訳本に頼って、あたかも自分で読んだかのような顔をしていただけだった。 だからちょっと込み入ったことを質問すると、「自分で調べろ!」と怒鳴ったものである。 ちょっと論語の言葉を言ってみたくなる。 「子曰く、臧文仲は其れ位を 竊 ぬすめるもの =給料泥棒 か」と。 組織にぶら下がる人間は、その資源を食い散らかす。 「共有地の悲劇」は、視野の狭い自己中がやらかすが、人の組織も同様で、こういうのを役人根性という。 それは君子ではない、と孔子は口を酸っぱくして言っているのだが。 論語を教えた教授連には、若い学生を育ててその分野を発展させる責務があろうに、いったい論語をどう読み取ったのだろうか。 訳者が自前で原文を読もうと思ったわけ 訳者にとってはもはやどうでもいい事ながら、若い頃さんざん目にした、こういう漢学にべったり貼り付いている差別と、組織に隠れて人をけなし、時に闇討ちを好む漢学者の人となりは、今でも思い出すだけで腹が立つ。 電話魔や通り魔と変わらないからである。 官費でたくさん本を読んだだけに、吉川博士の本はこういうwebページを作るには便利だが、「どこそこにこんな事が書いてあった」という索引として役立つだけで、それ以上では決してない。 頭のおかしな朱子の注で論語を読むと読み誤るように、朱子風味の学者の訳は、読んでも実につまならいお説教でしかない。 つまらないお説教ばかり言っていた孔子が、二千年も尊敬されるだろうか? そもそも人間が幼稚で戦時下も逃げ回っていたような青びょうたんに、戦乱の中必死に生きた先哲の言葉が、わかりようはずもないだろう。 孔子の言う君子は、戦時には前線に立つ戦士だったのだ。 私の知る限り、戦時中応召した著名な漢学者は、宮崎市定・藤堂明保両博士しかいない。 逃げ回った人は直接間接に、いくらでも知っているのだが。 以上が、自分で一から辞書引いて、論語の原文を読もうと思い立った所以である。

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「論語読みの論語知らず」の意味とは?意味や使い方を解説!

論語 読み の 論語 知らず

吉川 幸次郎 よしかわ こうじろう、1904年3月18日 — 1980年4月8日 は、日本の中国文学者。 文学博士 京都大学。 芸術院会員、文化功労者、京都大学名誉教授。 自分に自信のある人は、自分の能をひけらかしたりしない。 素手で人をうちひしぐ技を身につけた武道人は、刃物持って弱者を狙う、通り魔殺人など起こさない。 いわんや孔子は自分の学に、当時の誰より自信があったはず。 こんな自慢を弟子の前で、べらべらしゃべったりするだろうか? 学のない者は人間ではないと放言した京大教授 さらに吉川本にこうある。 「この条は、私の甚しく好む条である。 …すなわち孔子によれば、素朴なひたむきな誠実、それだけでは完全な人間ではないのである。 学問をすることによって、人間ははじめて人間である。 」 この言は、私の甚しく嫌う傲慢である。 「最後の儒者」を自称した吉川博士にふさわしい。 博士の言う「人間ではない人々」から絞った血税で官費留学し、貴重な書籍と好き勝手な生活と快適な研究室をタダで与えられ、ワシは京都大学教授であるぞとふんぞり返り、漢学の権威、学界の泰斗とチヤホヤされたあげく、こうした高慢ちきをやらかした。 こういう、自分がどんなに人をバカにした事を言っているか自覚のない人は、どんなに本を読み込もうと幼児と変わらない。 子どもがトンボの羽をむしって遊ぶように、ひどいことをしながら自分は高尚な人間だと勘違いしている。 そんなおやじは下町の立ち飲み屋にも、煉瓦造りの帝国大学研究室にもいるということだ。 その一例が公冶長篇第五 5 の解説で、「公務員になりたい人はいつの世にも多いが、その責任の重さを思えば、良心のある人は躊躇の気持を持つのが当然である」とある。 なお吉川博士は京都大学教授であり、当時の国立大学は独立法人でもなかったので、純然たる公務員である。 自分を棚に上げて、何を言っているのだろうか。 論語読みの論語知らず こんな人が重鎮だから、とうとう漢学は世間から忌み嫌われて、今やほとんど滅びかかっている。 こういう幼児じみた学者を中国の伝統的用語で「腐儒」といい、日本語では以下のような論語の記述が目に入っても、心にはちっとも入らない、「論語読みの論語知らず」という。 諸君、人としての優しさを何よりも前に身につけろ。 それが出来るまでは、勉強などしてもろくな人間にならないぞ。 学而篇 体は丈夫、行動は果敢、根は素直、そして口下手。 こういう人は仁に近い。 子路篇 政治経済軍事上の理由から、日本での中国研究が途絶えることはないだろうが、こと古典研究に限っては、もう日本でやりたがる若者は出てこないだろう。 出たとしてもこうした腐れ儒者が学界を牛耳っている限り、自分で漢文を読めるまで学ぼうと励む意気はくじかれてしまう。 だからいつまで経っても千年前のおかしな読解が有り難がれ、論語や漢籍はまことに退屈な虫食い本に過ぎず、時に若者や力のない人を脅しつける道具に使われ続ける。 戦時中に敗走を転進、全滅を玉砕と言い換えたり、「八紘一宇」とか「撃ちてし止まん」とか、漢字ばかりの戦時スローガンは、今日のインチキなコピーの横文字と、同じ働きをしていたのだ。 自分の足を食うタコと役人根性 IT黎明期の巨人の一人、ジャロン・ラニアー氏は、「いったいいつまで、私のようなジジイが作ったシステムを使っているんだ」と『人間はガジェットではない』に書き、後輩を励ましている。 対して吉川博士は学生や後輩に新たな漢籍の読み方を提示されると、叱りつけて否定するような人物だったらしい。 漢籍、とりわけ論語始め儒教の書物は、長い間中国の絶対王政を支える道具だったから、上にこびへつらい、下を虐げる解釈が定説化しており、それを学んで官僚・政治家になった儒者たちは、甚だしい偽善と陰険な政争と残忍な民衆の搾取を事とした。 それが尾を引いて、どうも日本の漢学者には、人間として尊敬出来るような人がめったにいない。 今若い頃を思い返すと、そもそも漢文を独力で読めた漢学者が、どれだけいただろう。 古くさい注釈や訳本に頼って、あたかも自分で読んだかのような顔をしていただけだった。 だからちょっと込み入ったことを質問すると、「自分で調べろ!」と怒鳴ったものである。 ちょっと論語の言葉を言ってみたくなる。 「子曰く、臧文仲は其れ位を 竊 ぬすめるもの =給料泥棒 か」と。 組織にぶら下がる人間は、その資源を食い散らかす。 「共有地の悲劇」は、視野の狭い自己中がやらかすが、人の組織も同様で、こういうのを役人根性という。 それは君子ではない、と孔子は口を酸っぱくして言っているのだが。 論語を教えた教授連には、若い学生を育ててその分野を発展させる責務があろうに、いったい論語をどう読み取ったのだろうか。 訳者が自前で原文を読もうと思ったわけ 訳者にとってはもはやどうでもいい事ながら、若い頃さんざん目にした、こういう漢学にべったり貼り付いている差別と、組織に隠れて人をけなし、時に闇討ちを好む漢学者の人となりは、今でも思い出すだけで腹が立つ。 電話魔や通り魔と変わらないからである。 官費でたくさん本を読んだだけに、吉川博士の本はこういうwebページを作るには便利だが、「どこそこにこんな事が書いてあった」という索引として役立つだけで、それ以上では決してない。 頭のおかしな朱子の注で論語を読むと読み誤るように、朱子風味の学者の訳は、読んでも実につまならいお説教でしかない。 つまらないお説教ばかり言っていた孔子が、二千年も尊敬されるだろうか? そもそも人間が幼稚で戦時下も逃げ回っていたような青びょうたんに、戦乱の中必死に生きた先哲の言葉が、わかりようはずもないだろう。 孔子の言う君子は、戦時には前線に立つ戦士だったのだ。 私の知る限り、戦時中応召した著名な漢学者は、宮崎市定・藤堂明保両博士しかいない。 逃げ回った人は直接間接に、いくらでも知っているのだが。 以上が、自分で一から辞書引いて、論語の原文を読もうと思い立った所以である。

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