勿論怪しいところは何点かあるのですが、 かなり痴呆が進んでいても、歌い始めると口ずさんでいます。 gonbe007 『ごんべ007掲示板』に、おおたともやさんが書き込んでくださいました。 。
出だしのメロディーは一緒なのですが、最後のほうは少々違っていました。
それにしても日露戦争がリアルに出てくるというのは時代、でしょうか? ちなみに80代90代の方と歌ってスゴイ!と思うのは、 「青葉茂れる桜井の」や「金色夜叉の歌」を、 そらで歌える方が大勢いることです。
tateさんからのメールの抜粋です。
いちばんはじめは一宮 二で日光東照宮 三は佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つ出雲の大社 六つ村々鎮守さま 七つ成田の不動さま 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の弘法さま 十で東京本願寺 これほど心願かけたのに 浪子の病は治らない ああ 浪さんよ なぜ死んだ わたしをおいて なぜ死んだ どこかに「汽車と汽車とのすれ違い 泣いて血を吐く不如帰」 という文句もあるのですが、この続き具合はわかりません。
それと、他はすべて思い当たるのですが、 「三は佐倉の宗五郎」 の宗五郎とは、寺社仏閣なのでしょうか? ご存知ならお教えください。 長い間、可愛がっていただきまして誠にありがとうございました。 一番はじめは 「一番はじめは」 わらべ歌《手毬歌》 あなたはどんな歌詞・メロディで歌っていますか? 鳥取東伯耆/ごんべ007が昭和20年代に歌っていたバージョン 一番初めは一の宮 二は日光の東照宮 とうしょうぐう 三は佐倉の宗五郎 そうごろう 四はまた信濃の善光寺 五つ出雲 いずも の大社 おおやしろ 六つ村々鎮守様 ちんじゅさま 七つ成田の不動様 八つ八幡の八幡宮 はちまんぐう 九つ高野 こうや の弘法様 こうぼうさま 十で東京招魂社 しょうこんしゃ 三重県・伊勢市(旧名・宇治山田市)が故郷のmakoさん(56歳)は、 8番を「八つ 山田の伊勢神宮」、10番を「十で 東京二重橋」 と歌っておられたそうです。
皆様長い間ありがとうございました。 また発地市場にて常に販売をしております。
48818 一かけ二かけての歌ですが、まりつきしながら昭和20年代に歌いました。
佐倉は千葉でしょうか? いきなりの質問ですみません。
坂家ご夫妻はこの10年間はナイジェリア・フランス・ハンガリーなどの日本大使館公邸の料理長を歴任されてまいりました。
それは我々講師・職員が、生徒のために一生懸命に頑張る姿は必ず生徒にも伝わるという事です。 実に五十数年前、三重県の松阪市に住んでいましたが、 母が私と2つ違いの姉にお手玉を教えながら歌っていたのを記憶しています。
16おぼえているのとの違いが興味深く思われます。 こんなに長いのにうまく終われないがゆえに、 ついついエンドレスになってしまったりして…。
一番初めの 一の宮 ニぃは wa と 日光東照宮 三はと 佐倉の宗五郎 四はと 信濃の善光寺 五つは 出雲の大社 オオヤシロ 六つ 村々鎮守様 または八幡さん 七つ 成田の不動さん 八つ 大和の大神宮 九つ 高野の高野山 十 トオ で 東京明治神宮 これだけ信心したけれど 浪子の病気は治らない 武雄が戦争に行くときは 白い白い真っ白い ハンカチ振ってネェあなた 早く帰って頂戴ね ボーボーボーボと鳴る汽車は 武雄と浪子の別れ汽車 二度と会えない汽車の窓 鳴いて別れてホトトギス または、泣いて血を吐くホトトギス しかしこの歌詞には矛盾が 「不如帰」の武雄が行った戦争は日清戦争で、当然明治神宮はありません。
微妙に自信ないですが・・・ 長谷川さんからもメールを頂きました。
一番はじめは一の宮 二また日光中善寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社 六つは村村鎮守さま 七つは長野の不動様 八つ八幡の八幡宮 九つ高野の高野山 十は東京心願寺 これほど心願かけたなら ナミコの病は治るだろう ゴーゴーゴーゴーと鳴る汽車は タケオとナミコの別れ汽車 二度と逢えない汽車の窓 泣いて血を吐く不如帰 いよいよ戦争が始まった 日露の戦争が始まった さっそく逃げるはロシア人 死んでも進むは日本人 八月十日の戦いで 6人残して皆殺し ココらへんがかなり曖昧なのですが あれはナミコの墓参り というものです。
小学1年の娘がお手玉に興味をもち、 教えてあげたいと思いこのページを開いて見ました。 「一番はじめは」の歌詞ですが、当地 富山・新湊 で曳山祭りの掛け声に使って いる歌詞は、次のようなものです。
13地方によっても、かなり歌詞が違うのでしょうが……、 うちの64歳になるお袋さんが、かなりのところまで 覚えていたので、メールします。 おかげで招魂社とわかり、すっきり。
富山県在住の、まちさんからメールを頂きました。
そしてその頑張りが教育業界、医療業界の発展にもしっかりとつながっていけるよう、これからも講師・職員一同、全力で努力を続けて参ります。
「一番はじめは」はいろんな歌詞があるのですね。
一番初めは一の宮 二また日光中禅寺 三また佐倉の宗五郎 四また信濃の善光寺 五つは出雲の大社 おおやしろ 六つは村村鎮守様 七つは成田のお不動さん 八つは八幡の八幡宮 九つ高野の弘法様 十で東京泉岳寺 これほど信 神)願 かけたのに 浪子の病はなおらない 武夫が戦地に行くときは 白きま白きハンカチを うちふりながらも ねえあなた はやくかえってちょうだいね 泣いて血を吐く ほととぎす 57歳のミセスまーさんが、子供の時実際に歌ってお手玉をしていた歌詞です。
世界的なコンクールでの受賞に加え各国の要人の舌を楽しませて来られた坂家シェフのお店をみかげ茶屋同様、可愛がっていただけますようお願い申し上げる次第です。
三重県久居市の中村さんから頂いたメールの抜粋です。
その中で一つわかった事があります。
歌の力は偉大だなぁ、と感じています。
これは、「一列談判破裂して、日露戦争はじまった、 さっさと逃げるはロシヤの兵、死んでもつくすは日本の兵、 五月十日の戦いは、六人残してみな殺し・・・以下不明」 と聞きおぼえております。 5月より坂家剛史シェフと奥様の幸子氏による欧州家庭料理のカフェレストランとして再出発いたします。
当方55年生まれの女子です。
kishitaさんから、メールを頂きました。
(楽譜がないのでお示しできませんが) 歌詞については、八番は 「八つは、大和の法隆寺」 十番は 「とおは、所の産土 うぶすな さん」 と歌っていたような記憶があります。