内容的にも、そう難しいことを言っているわけではないので、特に現代語訳がなくても、すーっと理解できると思います。
すべて、あられぬ [とんでもない、あってはならないような]世を念(ねん)じ過(す)ぐしつゝ [堪え忍んで過ごしながら]、心をなやませる事、三十余年(さんじふよねん)なり。
なるほど現代人にもすっと入ってくる 平明な英語で、三者のうちでいちばん 直訳的ともいえますね。
そして、方丈庵の間取りや周辺の風景も含めて住居論を展開し、そこでの生活を賞賛しながら紹介していきます。
仮(かり)の庵(いほり)のありやう、かくのごとし。 徒然草の冒頭 原 文 つれづれなるままに、 日ぐらし硯に向かひて、 心にうつりゆく よしなしごとを そこはかとなく書き付くれば、 あやしうこそ物狂ほしけれ。
現代の火事というと、一軒のおうちだけが燃えるような、ニュースでそんな映像を見ますが、当時は、消火するのも時間がかかるし、家が木造でできているため、燃え移って大火事になることが普通でした。
ふだん何気なくボーっと見ていた時には思いもしなかったことを発見したよ。
方丈記の冒頭 原 文 ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず。
万宝と合わせて、「あらゆる宝もの、価値あるもの」といった意味] そのたび、公卿(くぎやう)のいゑ、十六焼けたり。 よどみに浮かんでいる水の泡は、消えたり生まれたりを繰り返しながら長いあいだとどまっていることもない。 山はくづれて、河を埋(うづ)み、海はかたぶきて、陸地(くがち)をひたせり。
15」(『方丈記』より引用) 本作はこのように、無常観をたとえた冒頭部分から始まります。 「方丈記」全体の傾向として、和歌的な言葉のリズムへの傾倒が極めて大であり、あるいは実数を犠牲にしてでも、「十」を取ったかと考えたくもなる。
大きな流れを作っています。
流れのよどみに浮かぶうたかた [泡沫。
。
その 主人 あるじ と 栖 すみか と、無常を爭ふさま、いはば、朝顔の 露 つゆ に異ならず。 その齢(よはひ) 離れたる事ことのほかなれど、心をなぐさむること、これ同じ。
20去(いんじ) [「いにし」の略。 おびたゝしく鳴りとよむ [響く、騒ぎ立てる]ほどに、 人々の叫び声やもの言ふ声も聞こえず。
波の音(おと)、つねにかまびすしく [やかましく、うるさく]、潮風(しほかぜ)ことに激(はげ)し。
保元の乱・平治の乱とうち続く兵乱をよそに、子供時代の鴨長明は何不自由ない暮らしを送ったはずです。
諸本により補うも、鴨長明の意図かは不明]、夏植(なつう)ふるいとなみありて、秋刈(あきか)り、冬納(ふゆおさ)むるぞめき [「騒ぎ、浮かれ騒ぎ」もともと「そめき」は、種まきや収穫の作業を述べたものらしい]はなし。
もし、狭(せば)き地に居(を)れば、ちかく の家に炎上(えんしやう)ある時、その災(さい)をのがるゝ事なし。
下鴨神社 禰宜 ねぎ 、長継の子、早く父を失い、社家の人々との交際は乏しかった。
前半はこの世の無常を認識し、後半では草庵における世俗を捨てた閑居生活の楽しさを語っています。
私たち人間は、時代の流れや大きな自然の力に翻弄される、ちっぽけな生き物に過ぎません。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし。
810年に嵯峨天皇の時、平城上皇が平城京に遷都を試み失敗した後と考えたものか] されど、とかく言ふ甲斐(かひ)なくて、帝(みかど)より始めたてまつりて、大臣(だいじん)・公卿(くぎやう)、皆(みな)ことごとく移(うつ)ろひ給(たま)ひぬ。 。
平氏政権に変わって源氏による鎌倉幕府が成立したことも、人々には無常と感じられました。
武士への好意者の入れたるものか] そのなかに、ある武者(むしや/ものゝふ)のひとり子の、六つ七つばかりにはべりしが、築地(ついひぢ)のおほひの下に、小家を造りて、はかなげなる跡(あど)なしごと [たわいもないこと]をして、遊びはべりしが、にはかにくづれ埋(う)められて、跡形(あとかた)なく、平(ひら)にうちひさがれて、ふたつの目など、一寸(いつすん)ばかりづゝうち出(い)だされたるを、父母(ぶも)かゝへて、声(こゑ)を惜(を)しまず、悲(かな)しみあひてはべりしこそ、あはれに悲(かな)しく見はべりしか。
そのうち社会的に善なるを善業(ぜんごう)と言い、悪なるを悪業(あくごう)と言う] もし、 過ぎ行く人生という舟のあとの白波(しらなみ)に、この身を寄(よ)する朝(あした)には、岡屋(をかのや) [宇治市五ヶ庄岡屋のあたり]にゆきかふ船をながめて、満沙弥(まんしやみ) [沙弥満誓(しゃみまんせい)、万葉集にその歌を残す。
よどみに浮かんでいる水の泡は、消えたり生まれたりを繰り返しながら長いあいだとどまっていることもない。 。
暗記力はかなり悪い私でも、覚えられそうですか? あと、方丈記のかくのごとしの「かく」とは何をさすのでしょうか? あと、この方丈記を読んだ方は、簡単にでいいので感想をお願いします。
したがはねば、 こころは狂(きやう)せるに似たり。
しばらくの間]と思ひしかども、今すでに五年(いつとせ)を経(へ)たり。
下鴨神社(京都市左京区)境内の河合神社に展示された方丈の復元(画像 : より) この方丈の小庵で生活しながら、世間を観察し、綴られた随筆が『方丈記』です。
そのような雲を眺めることは、吉兆ともされた]のごとくして、西方にゝほふ [もとは嗅覚より視覚に訴えてひときわ美しい様を述べた言葉。 現代語訳 春は、夜が明ける頃 がいい。
財産があれば心配が多くなるし、貧乏なら悔しさや恨みの気持ちが去らない。
本日は『方丈記』の冒頭。
作者の鴨長明について 平安末期から鎌倉時代初期にかけての歌人、随筆家であった鴨長明は、1155年に京都の下鴨神社の神官、鴨長継の次男として生まれます。
和歌の名人としても名高かった鴨長明は、その後、歌人として何とか生計を立てていきますが、生活は決して楽なものではなかったようです。 彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外へ出ることができなかつたのである。
ところ河原(かはら)近ければ、水難(みづのなん)も深(ふか)く、白波(しらなみ) [「白波」は盗賊の例えでもある]のおそれも騒(さわ)がし。 『 方丈記 ほうじょうき 』は、鎌倉時代に 鴨長明 かものちょうめい が執筆したもので、中世文学の代表的な随筆とされています。
また、勢(いきほ)ひある者は、貪欲(とんよく)ふかく、独身(とくしん/どくしん)なる者は、人に軽(かろ)めらる。
それを元にした琴の曲]をたぐへ [「たぐふ」は「並ぶ、添う、連れ立つ」、松に吹く風の響きに合わせて琴を弾くということ]、水の音(おと)に、 琵琶の秘曲である流泉(りうせん)の曲 [下補註]をあやつる。
世のみだるゝ瑞相(ずいさう) [前兆、きざし]とか聞けるもしるく [「~も、しるく」は「~も、まったくそのとおりで」くらいの意味]、日を経(へ)つゝ世の中うきたちて、人の心も収(おさ)まらず。