そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。
それを自分で本当に納得承知する。
そういう心で接していき、また八十の病気で寝ておる老婆に会った時には、その老婆と同じ気持ちになって接していかれたもんですね。
そして夕方行くと、「やってくれたか」と言うんですね。
終戦詔書の奉読(玉音放送と同内容)• の著書『八月十五日の神話』(ちくま新書、)では、「当時の人々は、玉音放送の内容を理解できなかった(のちに流されたアナウンサーの解説で理解した)」「報道機関には前もってが知らされ、記者は敗戦を知ってうなだれるポーズを撮影したを、放送前にあらかじめ準備した」といったエピソードが紹介されている。 またこれは山本先生とよく一緒に龍沢寺へ来ておられた居士の方で、この方も一橋大学へ行く時分から老師のところへ来ておられた方でして、これは日本でも有数の大会社を作り上げた人ですがね、学生の時分に龍沢寺へ行ってみると、老師が手習いをしておるんですね。
9詔書(昭和天皇の録音盤再生)• 何を言っているのかなと思うと、ネズミに向かいましてね、「お前たちは、先祖代々この山に住まっておって、儂は余所から来た余所入りだが、まあどうぞ今晩もよろしく頼むよ」と言って、ネズミにね。
希望を抱くと裏切られた時の反動が大きいから. 着物も人の織ったものを布施してもらう。
読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp. 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp. 実際には内閣総辞職を決定する閣議が行われたため、19時のニュースに続いて放送された) 15日の放送 [ ] 1945年(昭和20年)8月15日のラジオ放送は下記の6回であった。
原文からは分かり難かったのだけど、「耐える」、「忍ぶ」の主語は「We」で、天皇と臣民という事になる。
こんなものは説明してもダメなもんですけど、人間の本心というものは、これは人と自分とを区分けしない清らかな、人が喜んでおれば、その喜びを自分の喜びとし、人が悲しんでおれば、その悲しみを自分の悲しみとする温かい心、そういう清い温かい心。 山本: 一言で申し上げるのは難しゅうございますけど、先ず非常に親切で温かい感じのする方というふうなことが一番印象に残っております。
そうすると、太玄和尚は、「いや。
それらの番組の中で流れる玉音放送の定番のセリフが「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」であることは皆様もご存知だと思います。
それですからおそらく生みの母親と、そして岡本には子どもがなかったので、岡本の母親とが相談のうえで、一々養子手続きをするのも厄介だから、「庭先へ置いておくから、持って行って」ぐらいのことで、それで岡本へ拾われて行ったんだろうと思いますね。
昔は間引きということをしたらしいですね。
これは玄峰老師ができあがる蔭には、こういう人がたくさんおりますね。 京都円福寺に再行脚。
今でも覚えておりますが、「万里有青光」と書かれたのと、「青山白雲」という、晩年の書とはちょっと違いますけど、その二枚を私、頂いて、それで龍沢寺から東京へ帰る時に、鎌倉に一高の教授で、当時書家としても一流だった菅虎雄 すがとらお (一高 現東京大学 独文学科を卒業した最初のドイツ語学者で、書家としても著名)という先生がいらっしゃって、夏目漱石 なつめそうせき の日記を見ますと、「菅虎雄来る」というのが毎日のように書いてございましてね。
朕は茲(ここ)に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。
平和は力ではなくて、最後の最後は相互理解を深めることでしか守れない。
私は、に、・・・の4国に対して、それらの共同宣言()を受諾することを通告させた。
録音盤が宮内省内部に存在することを知った師団参謀少佐の指示により、録音盤の捜索が行われた()。
そのことを言った歌なんですね。
ということは、今も金に対する心が正常な状態と言いますかね、汚染せられておる状態、そういう先入観がいつの間にか人間はできておる。
の『』・『』では父・とで玉音放送を聴くが、その際もが動いていたことが描写されている。
あなた方臣民は、これが私の意志だとよく理解して行動してほしい。 「それで儂は九峰老師のところへ行った」ということをおっしゃっておりましたけど、ご自身には厳しい方でございましたね。
これまで、既に1年有余のコロナとの交戦を経て、医療従事者の勇戦、官僚の精励、更に一億庶民各々最善を尽せる協力あるも、戦況の劣勢必すしも好転せず。 そう思って決心をして、それでまあ郷里へ帰って家督整理をして、そして奥さんも離婚をして、そして雪蹊寺の小僧になった。
よく簡単な達磨を描いて、ちょんちょんと、達磨って数字の三の字みたいなのを描いて、ちょっちょっと二つ目を付けて、「これでも達磨大師だ」と賛をされますね。
それを自分で本当に納得し承知する。
放送は正午に開始された。