八 時 だ よ 全員 集合。 無料視聴あり!お笑い『8時だョ!全員集合』の動画

8時だョ!全員集合の歴史

八 時 だ よ 全員 集合

DVDだよ! 全員集合 ザ・ドリフターズ結成40周年記念!ついにDVDで「全員集合」が登場! 昭和39年(1964年)9月に結成、2004年に結成40周年を迎えた「ザ・ドリフターズ」。 これを記念して1969年(昭和44年)から85年(昭和60年)まで、およそ16年間全803回にわたってお茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ「8時だヨ!全員集合」がついにDVD で発売になりました。 【DVDBOX収録内容】 数々の爆笑コントから、当時の番組スタッフ協力の下厳選して構成。 番組前半の大がかりなコントを中心に、もちろん番組後半のショートコントも収録。 大変だ!19」1982. ピラミッドの謎」1982. 視聴率50%以上、40%以上の輝かしいレコードを全803回の中でも数回記録しているという、テレビ史上類を見ない怪物番組。 念入りに作り込まれたコントは、当時を知る人には懐かしく、始めて見る人にとっては今まで見たこともないスタイルのお笑いに、きっと新鮮に感じられるに違いありません。 その年を飾るはやり言葉となったものも数多くあります。

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東村山ご当地グルメイベント『さと八だヨ!全員集合!!』/東村山市

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「 全員集合」はこの項目へされています。 映画「全員集合!! 」シリーズについては「」をご覧ください。 8時だョ! 全員集合!! 」 (ザ・ドリフターズ) エンディング 「」 (ザ・ドリフターズ) 放送期間 1982年10月2日 - 1985年9月28日 放送時間 土曜 20:00 - 20:54 放送分 54分 特記事項: 放送回数:全803回 ドリフフェスティバル 全員集合ベスト100 ジャンル お笑い番組 公開バラエティ番組 () 出演者 ザ・ドリフターズ (いかりや長介、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん) 製作 制作 TBS 放送 放送国・地域 放送期間 1985年10月12日 - 12月28日 放送時間 土曜 20:00 - 20:54 放送分 54分 『 8時だョ! 全員集合』(はちじだョ! ぜんいんしゅうごう)は、(44年)から(昭和46年)、およびから(昭和60年)までで放送されていた・公開である。 全803回。 本項では、番組が終了した後のである『 ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』についても記述する。 「」も参照 主演は。 番組名は「 全員集合」と略される場合もある。 毎週、20時(午後8時)から実尺53分間の放送。 稀に数回ほど、放送時間を拡大しての放送を行うことがあった。 番組の終了後には、通常20時54分からの『』が放送されていた。 番組は16年にわたって放送された。 ただし途中、1971年4月から9月までの半年間は、ドリフの先輩格であるがメインの番組『』が放送されていた。 番組は、ドリフによるが中心の前半パートと、あるいは合唱団などによるショートコントが中心の後半パートとに分かれていた。 前半パートと後半パートとの間には、ゲスト出演者による歌のコーナーがあった。 基本的にはであったが、事前収録の録画放送となる回もあった。 例えば、番組がスタートしてから1か月の間は録画放送であった。 また前半までは、やでの舞台公演があったこと、ドリフの休暇やスケジュールの都合などから録画放送となる回があった。 このほか、ドリフが『』に顔出しするため、1975年3月26日に事前収録したものを同年4月5日に流したことがある。 この回は、におけるネット局がからへ移行して最初の放送回となった。 毎週各地の劇場・ホールで公開生放送あるいは公開録画を開催した。 第1回は公会堂からの録画放送。 原則としてTBSエリア内のを中心とし、時には系列局の開局記念企画として、、(ドリフのメンバー・の出身地)、、、、、、、、、といった地方での収録も実施している。 1984年10月以降はTBS本社(旧社屋)Gスタジオでの公開生放送となることが多くなり、ホールからの中継放送が著しく減った。 2005年10月2日の復活特番では、1994年に落成したTBS本社(新社屋)Bスタジオからの公開生放送を実施している。 随時、回りを活用する大掛かりな舞台装置 と、入念に練り込んだコントや、大仕掛けのに代表される豪快なオチなど、出演者たちの身体を張った笑いが、を中心とした老若男女を問わず幅広い層の視聴者に熱狂的に受け入れられた。 また、にこだわったために停電やボヤ騒ぎやゲストの負傷等のアクシデントに見舞われた回もあった。 ゲストには、当時の売れっ子やなどを3 - 4組ほど招いていた。 回によっては、、、、などの大物やスポーツ選手、TBS系の他番組からゲストが出演することもあり、しかも彼らが積極的に番組のコントに参加していた。 ドリフメンバーのスケジュールは木曜日から土曜日までの3日間押さえており、基本的には木曜日に次週分(9日後)のネタ作り、金曜日に翌日分の立ち稽古、土曜日がリハーサルと本番という流れ。 「番組がスランプに陥っている」と言う理由で、通常のレギュラー放送を一時休止して(その間は総集編を放送)、ドリフメンバーによる「合宿」までしたという。 このように莫大な労力を費やして制作していた番組であった上、セットや出演者への保険といった諸経費の高騰・安全性の問題・その後の様々な表現規制・芸能事務所の生放送番組に対するスタンスの変化 などといった業界を取り巻く事情の大幅な変化もあり、現在ではこの様な規模の公開生放送番組を毎週1回のペースで作ることは極めて困難である。 かつてドリフのを務め、現在ドリフメンバーが所属する社長の井澤健も『』ので [ ]「時代が変わり過ぎて、現在ではもう再現不可能な要素が多過ぎる」と語っている。 番組全体の平均は 27. このため、この番組が全盛期を迎えていた頃は、TBSでは土曜夜のが組まれることはほとんどなかった。 後半から前半にかけては、19時台前半の『』【第2期】(1976年1月 - 1994年3月、制作)、19時台後半の『』(1976年1月 - 1990年3月)、21時台の『』(1975年5月 - 1982年4月)や『』(1984年10月 - 1985年4月)などとともに、TBSの土曜夜の黄金期を象徴する番組であった。 しかし、1981年に仲本、志村の競馬のノミ行為事件の影響、その年の春から始まったの裏番組『』の台頭、さらに6月のギロチン事件の影響が重なり、1982年中頃から番組人気に陰りが見え始め、1982年10月2日の放送回で初めてひょうきん族に視聴率を抜かれた。 これ以降は視聴率争いに苦戦し、1983年8月13日に視聴率で初の1桁(9. 2%)を喫した。 そして遂に、土曜20時台枠の抜本的な見直しにより、1985年9月28日に通算 15年6か月の歴史に幕を閉じた。 TBSは、1985年7月19日の打ち切り発表の中で、「生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。 ナンセンスギャグもやり尽くした」ことを理由に挙げていた。 その後、1985年10月5日は『 電リクだョ! 全員集合』と称し、約2時間枠で形式で過去の名場面集を放送した。 そして年内いっぱいは番組『 ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100』でつなぎ、1986年1月から同じくドリフのとをメインに据えた『』が始まった。 ドリフのメンバーがメインの番組は、1992年9月終了の『』まで続いた。 番組の構成 [ ] 番組は下記の順番で行われていた。 オープニング 生放送開始1分前、すなわち19時59分の時点ではステージ上にはいかりやのみが上がっており、ドリフの残りのメンバー(前期は手前から加藤・荒井・仲本・高木、後期は加藤・仲本・高木・志村の順で縦に並んでいる。 なお、荒井がドリフ脱退後にゲスト出演した際は、志村の後ろに並んでいた)は観客席の通路に待機している。 20時丁度になると、いかりやがカメラに向かって大きく指を差しだし「8時だョ! 」と掛け声をかける。 それと呼応するように、観客席から観客とドリフの残りのメンバー4人が片手を拳にして上げながら「全員集合! 」と返し(連動して自動的にカメラの向きが変わる)、ゲイスターズの演奏と共に4人が客席後方から舞台上に登場する(1984年10月以降はメンバー全員が舞台に上がった状態でオープニングマーチが演奏されていた)。 4人は、この演奏が鳴り終わるまでに、素早くステージに上がる。 同時に舞台下手側からゲストが、両脇からレギュラー出演者が登場。 その後、いかりやのちょっとしたトークを5秒程度挟み(「寒くないか? 」「春休みでございますね」「いっていいか? 」「さぁ元気良く」等。 年内最後の放送に当たる場合は「本年最後の「全員集合」です」が挙げられる)、「行ってみよう! 」もしくは「ゆけ〜! 」「出発〜! 」という掛け声にあわせてオープニング「チョットだけョ! 全員集合!! 」 が流れ出す。 このオープニングテーマはのである「」の替え歌が長い間使用された。 北海盆唄の替え歌の使用は『8時だョ! 出発進行』と入れ替わりで番組が再開した1971年10月2日の放送からで、番組開始当初は放送当時のドリフの新曲(『ドリフのほんとにほんとにご苦労さん』や『』などの替え歌)を使っていた。 振付は。 1971年10月2日の第2期開始以降、オープニングは3コーラス(2コーラス目は当日のゲストが歌い、キーが低い)流していたが、1983年2月19日(第669回)の放送から2コーラスに短縮された(同時にキーも一定にされた)。 そして最後はいかりやの「よろしく〜! 」の叫びと共に、全出演者がお辞儀をして終わる。 一時期、「よろしくー! 」の前に加藤がVTRで一言しゃべっていた時期もある。 このオープニングテーマの演奏中に出演者・スタッフロールが縦方向に流れる。 回によっては、レギュラーとコーラスの間に殺陣やダンスグループ、ナレーター等が加わる)、続いて2コーラスではでスタッフが映される。 そして3コーラス冒頭ではロゴは2コーラス目と同じだが、画面中央に「企画 渡辺プロダクション」と「製作著作 TBS」が映された。 オープニングでのドリフの衣装は2種類ある。 また、ゲストは左襟に「8時だョ! 」、右襟に「全員集合」と書かれた(男性は水色、女性はピンク)、ゲイスターズは青い法被を羽織っている。 前枠番組『』が間もなく終わろうとする頃から、いかりやが観客に対し、何度も掛け声の練習を行わせる。 2分前〜数十秒前(19時58分以降)になると、いかりやは練習にあたって観客に対し、「ゲンコツを握って大きく上へ突き上げていただきます」と案内し、それと連動して残り4人のメンバーも観客とともに観客席通路上での練習を行い、本番開始に備える。 生放送である以上、オープニング終了後、出演者全員はそれぞれの出番に間に合うように、素早く着替えや化粧替えなどを短時間で済ます。 ここでいったん幕が下り、観客に対しいかりやは「只今、コマーシャルに入りました。 番組ではここが一番忙しいところであります」と案内する。 なお、第2期のオープニングの歌詞は最終回まで変わらず同じものが使用され続けたが、例外として1981年2月の「ノミ行為事件」発覚から1ヶ月間、本来3番の歌詞を1番とし、3番の歌詞を異なるものに差し替えて歌われていた。 前半コント この番組のメイン。 通称「前半」。 時間にして20時04分頃。 大体の場合はいかりやが観客に向かって「オイッスー!」と挨拶してコントが始まる(例外的に「おはようさん」などの挨拶で始まったこともあった)。 概ね20時26分頃にオチがつくと「」が流れ、大勢のスタッフがステージに繰り出しゲストの歌1に間に合うように、30秒にも満たないといわれる短時間で素早くコントのセットや小道具類をステージ脇に撤収させる。 短時間での撤収を可能にするため、大きなセットは全て可動する仕掛けになっている(建物類ではが付けられていたため、その建物類と床面との間にわずかな隙間があった)。 この時点で演奏席はスタンバイを完了している。 撤収作業が終わるのと前後して基本的にステージ下手側から歌手が登場し、そのままゲストの歌1に入る。 ゲストの歌1 歌手・アイドルグループ。 「盆回り」が流れる3 - 5分前には舞台袖方向でスタンバイしている。 このゲストの歌1が終わるとCMとなる。 ゲストの歌2・3 若手から中堅の実力派歌手・など(2組)。 ・が主体だが、若手・中堅の歌手が入ることもある。 またゲスト歌手が3組(普段より1組少ない)の時は、キャンディーズなどの女性レギュラーが歌う事が有った。 なお、このゲストの歌1・2・3については、当日の出演者の顔ぶれや他コーナーの状況などによって順序が若干左右する。 少年少女合唱隊 1972年から始まったゲストと共に歌うコーナー。 階段様のステージが設置され、が奏でるの「」と共にスタートし、司会役のいかりやがのような格好、残りの出演者が白いスモックに白いベレー帽、すなわちの様式で登場する。 この衣装に憧れたアイドル歌手も多かったという。 いかりや以外のドリフのメンバーは半ズボンを穿いていた。 基本型は童謡などをドリフとゲストで合唱。 しかしコントでだんだん脱線していく。 1976年、志村が「」を披露して以来、志村がトリを務めるようになった。 東村山音頭に続いて、志村の「ディスコ婆ちゃん」「早口言葉」「ワンダードッグ」「ナターシャとアヤコフ」はこのコーナーより誕生した。 末期(1983年2月19日)には消滅。 1年7ヵ月後の1984年9月29日放送「15周年だヨ! 全員集合」で1度限り復活した。 このコーナー終了後、その流れでゲストの歌3の出番が待っているゲストは、素早く白いスモックを脱ぎ、またショートコントの出番も待っているゲスト(ドリフターズは全員)は、それに間に合うように短時間で衣装替え等を済ます。 クリスマスの時期になると、実際の少年少女合唱団と競演した回もあった。 のちに『』のコーナーとして復活。 なお時期によっては、このコーナーの代わりに、出演者全員がスポーツを行う「 今週のスポーツコーナー」や、いかりや扮する老婆の家で、女性歌手が花嫁修業を行うコント「 今週の花嫁候補」などが行われていた。 ゲストの歌4 基本的には当日のゲスト出演歌手の中で最も実績のあるベテラン格の歌手が担当。 演歌・歌謡曲が主体であるほか、デビューから長く(概ね10年前後)トップクラスの実績を積んでいるアイドル歌手が入ることもある。 ショートコント 通称「後半」、正式名称は「ベスト100」。 」の叫びと共に音楽を始めようとするも、「集計が出来てない」などの理由を付けて第100位から第2位まですっ飛ばし、第1位の曲でオチとなるが、すぐにネタが尽きて普通のコントになった。 いかりやは進行役で、コントは主にいかりや以外の4人とゲストによる(初期の頃はいかりやもコント本編に出演していた)。 初めにいかりやの指揮によりゲイスターズが後半のテーマを演奏後、いかりやの「後半参りましょう、後半出発! 」で始まる。 コントの変わり目には「次行ってみよう」や「次の方どうぞ」や「次参りましょう、次どうぞ」。 CMへ行く際には、いかりやもしくはコントの出演者がカメラに向かって「コマーシャル」と言う。 ショートコントは基本的に1回の放送につき2本、少年少女合唱隊のコーナーが廃止された末期は4本行われた。 ショートコント終了後のセットの撤収もエンディングに間に合うように短時間で素早く行う。 その為、多くの大道具類には前半コントと同様に素早く撤収できるための仕掛けが取り付けられている。 加藤茶の『ちょっとだけよ』や仲本工事の体操コーナー、ヒゲダンス、ジャンケン決闘はこのコーナーの一部。 番組末期は中CM1が終わった後に放送され、当コーナーの後にゲストの歌2 - 4が集中して歌うか、22分コントの後にゲストの歌1・2を、ショートコント終了後にゲストの歌3・4をそれぞれ続けて歌う構成に変更されている。 エンディング エンディングテーマは「」(の「」の替え歌)。 中間部分にある「はぁビバノンノン」の部分は加藤がゲストの一人にを振りそのゲストが歌う。 生放送ゆえ番組の残り時間次第でペースが少なからず変化する。 時間が押しているときはタイムキーパーの(巻け)サインがもの凄く速かったとのちに加藤が他の番組でエピソードを語っていた。 高木は『』の中でエンディングのペースは5パターンあった事を打ち明けている(ちなみにオープニングのペースも同様5パターン用意されていた。 3コーラス:1分40秒、1分20秒 2コーラス:1分10秒、1分5秒 1コーラス:40秒など)。 テレビの画面では2コーラス目の演奏中に翌週のゲストを紹介するテロップが出る。 エンディング曲の終盤に加藤の「風邪ひくなよ」「お風呂入れよ」「頭洗えよ」「宿題やれよ」「歯磨けよ」など、主に子供たちに向けた色々な掛け声が入り、最後は「また来週!! 」で番組が終了した。 特に「歯磨けよ」「お風呂入れよ」は、初回から最終回まで一貫した筆頭スポンサーである(1979年12月以前は、ライオン歯磨・ライオン油脂、ライオンマコーミック)にも配慮した内容である。 「後半」の後のCM明けに放送されており、ほとんどの場合「後半」が押して途中からの放映になったが、まれに最初から見ることができた。 放送素材では、番組開始数十秒前から本番終了後数分程度までCM中であってもそのまま会場内の中継映像をノーカットで収録していたため、「後半」が押して途中からの放映の場合でも実際のステージ上では最初から流れている。 なおその場合であっても、歌が中途半端な部分から始まることは滅多になく、CM明け(基本的には遅くとも2番の後半入りには明けており、ここで次週の予告がテロップで出た)〜加藤の掛け声まですべて時間内に収まるように指揮者が演奏時間を計算していた。 進行タイム [ ]• オープニング:20:00:00 - 20:01:00• 前CM1、前提供、前CM2:20:01:00 - 20:03:20• 22分コント、ゲストの歌1:20:03:20 -• 中CM1:1分30秒• ゲストの歌2・3、少年少女合唱隊、ゲストの歌4• 中CM2:1分30秒• ショートコント• 後CM:1分• エンディング: - 20:52:35• 後提供、後タイトル:20:52:35 - 20:53:00(終了)• :20:53:00 - 20:54:00• :20:54:00 - 初期は56分番組であった。 1972年10月7日から55分、1982年10月2日から54分に短縮。 提供は一貫して筆頭にライオン(現在も土8枠の筆頭スポンサー)、その他1〜2社が付いていたが時期によって変わっていた。 番組史 [ ] 詳細は「」を参照 コント・名物コーナー [ ] これまでの会場 [ ] 生放送は日本各地の市民会館や大型体育館を使って行っていたが、次第に関東近辺の市民会館のみで行うようになり、末期になるとTBSのスタジオを使うようになった。 東京都• (136回使用)• (78回使用)• (65回使用) 埼玉県• (38回使用)• (現:さいたま市民会館おおみや)(35回使用)• (35回使用)• (45回使用)• (27回使用)• 千葉県• (31回使用)• 神奈川県• 茨城県• (31回使用) 栃木県• 群馬県• 北海道• 宮城県• 福島県• 新潟県• 静岡県• (後の静岡市清水文化センター。 2012年閉館) 愛知県• 三重県• 石川県• 岡山県• 広島県• 福岡県• 宮崎県• TBS局内スタジオ• 旧社屋Gスタジオ• 旧社屋Hスタジオ• 旧社屋Fスタジオ• 新社屋Bスタジオ 番組発の流行 [ ] 本番組からは、当時の小学生に影響を与えたギャグが誕生した。 幾つかの代表的なものを記す。 流行語(出演者別) [ ] CMや別番組からのコピーを除く。 オィッスー! いってみよー! さあ後半まいりましょう、後半しゅっぱ〜つ! (番組後半のコント開始時の決まり文句で後半開始時には自ら指揮を執っていた。 番号! 加藤:1!高木:4! 出発!! 後述の志村・仲本のノミ行為で「三人ドリフ」時に「探検コント」の隊長に扮したいかりやのギャグ• なんだバカヤロー• This is a pen! 1、2、3、4、やったぜカトちゃん!! くるりと回ってうんこチンチン• いっかりやに、怒られた(または、「いかりやさんに怒られた」)• ちょっとだけよ〜。 あんたも好きねぇ〜。 (この言葉は当時PTAの槍玉に挙げられた。 また伴奏曲の「」(楽団風のアレンジ)は、当時は劇場のとして広く親しまれていた。 いかりや長介も病院のコントで1度だけ行ったことがあった。 どうもスンずれいしますた• 風呂入れよ! 痛いの痛いの飛んでけ〜• いや〜まいった! まいった! (仲本とのペア。 志村時代にはほとんど使われなかった)• 母ちゃん、いっぽんつけろや(「母ちゃんコント」の最中、子供の役で登場しつつこれを言う)• タバコ シル! (といいながら、シャツをまくる)• 平賀整形外科! (いかりやを指して)• やはり人形は顔が命です。 吉徳大光作ブス人形!! (いかりやを指して)• 5秒前、4、3、2、1、デーン(変な顔をする。 ノミ行為で志村・仲本が謹慎となったいわゆる「三人ドリフ」時に、いかりやが苦し紛れに編み出したもの。 舞台の左端でやったら再度右端で、といった感じに使用された)• お前、それはないだろ~! (上の立場にいて横暴の限りを尽くすいかりやに対して、報復手段として小馬鹿にした態度で「ため口」を叩く、というのが基本パターンだった。 ちょうど「東村山音頭」のブレイクと時期的にリンクしており、言い回しはモノマネで登場する橋幸夫のようであった)• ちょっとちょっと! いかりやさん! いかりや! おじさん!! マラリヤさん!! ギモール!! (上記と同じパターン。 最後のギモールは、おそらく当時、いかりやが実際に使用していた、ふりかけタイプの頭髪用化粧品。 さすがのいかりやも苦笑していた)• カラスなぜ泣くの カラスの勝手でしょ(童謡「」の替え歌フレーズ。 このフレーズは当時PTAの槍玉に上がった)• おこっちゃヤーヨ! (相手、特にいかりやを怒らせた時に取る、肘を前にして腕を突き出すポーズ。 「アイーン! (実際にそうしたギャグは存在しなかった)」の原型はこれと下記のものに、ドリフ大爆笑でも加藤と志村がやっていた「ニン」とのポーズとを合成したものである)。 なんだ! (あんだ! )バカヤロー!! (荒井注のギャグにアントニオ猪木のフレーズを織り交ぜて、志村なりにアレンジしたもの。 下あごを突き出すのもここから派生した。 上記とともに「アイーン! 」の原型)• 最初はグー(仲本とのじゃんけん決闘。 「最初はグー、いかりや長介(チョキ)、頭はパー」などと発展。 これ以後の掛け声の前に「最初はグー」が付くようになった。 志村が大人数で酒を飲んでいた際、酔ってなかなか手が揃わないことから思いついたという。 このギャグがきっかけで現在では日本中に認知され、一般的に用いられている)• ア〜ミ〜マ〜、ユ〜ヤ〜ユ〜、ヒズヒムヒ~、シ〜ホ~ヒ~(「I, My, Me」「You,Your,You」などのデタラメな用法。 学校コントより発生。 この言葉は、子供がデタラメな英語の用法を覚えるということで、当時PTAの槍玉に挙げられた。 また後に『』でも使用された)• はいポーズ! 観客(公開生放送が売りのこの番組にとって観客も重要な者の一人である)• 後ろ〜!! (志村が一人になったときに後ろからお化けなどが出てきて志村が気づいていない時に観客が叫ぶ。 この「後ろ〜! 後ろ〜! 」は、実際のギャグの間の取り方にも使用。 このことは、いかりや自身の著作である「だめだこりゃ」に書かれている) いかりやの「 だめだこりゃ」、「 次いってみよう」は『』から、加藤の「 加トちゃんペッ! 」は『ホイホイミュージックスクール』から、仲本の「 コ・マ・オ・ク・リ・モ・デ・キ・マ・ス・ヨ」は松下電器産業(現:)のホームビデオ「」のCMから、志村の「 キントキント〜」はドリフターズ出演のであるTBS系の『飛べ! 孫悟空』からそれぞれ生まれた流行語である。 加藤と志村の「 もう酒」「 やめますか? やめられない? 」はの「パンシロン液」(正式にはパンシロン胃腸内服液)のCMでのギャグだが、『全員集合』のコントでも披露されたことがあった。 流行ギャグ(出演者別) [ ]• いかりや長介• メガホンどつき• ダメだこりゃ• 荒井注• いじわるじいさん• 先生と同級生の落第し続けた小学生• 加藤茶• 嬢(ちょっとだけよ)• ドジなおまわりさん• はげづらおやじ(加藤茶太郎)• オエ〜ッ• ヘーックション!!()• 5、4、3、2、1、デーン(寄り目)• (志村とのペア)• カトちゃん、ペッ!• 志村けん• の歌いだしから始まる)• (東村山音頭内の「一丁目」の衣装)• (の「」との「」の振り付けをミックスしたギャグ。 の同名曲のタイトルの元ネタになっている)• ヒゲダンス(加藤とのペア)• のムカデダンス(加藤とのペア。 ムカデ行進の後、扇のポーズを模したあと、横っ飛びでコケる所のみオリジナルの振り付け)• ディスコばあちゃん• (後にフジテレビにて独立した番組となる)• ジャンケン決闘(仲本とのペア)• のミノルタ(現:)のの物まね(当時流行したCMのコピー)• スイカの早食い(ただし、観客から見えない部分はくりぬいてある)• 仲本工事• 体操(ハイポーズ)• 決闘(志村とのペア)• 高木ブー• (当時流行したCMのコピー)• (後のすわ親治)• 鏡に映った志村けん(沢田研二がゲストの時は沢田がやることもある)• 桜田淳子• 夫婦コント• 小柳ルミ子• 浮気コント(志村との二人羽織) 名物キャラクター [ ]• カラス• 舞台を走って横切る全裸の男の子、バスタオルを巻いた若い女性• 猫やポニーやラクダ(仲間外れにされた志村が一人で歌を歌うとそれにちなんだ本物の動物が舞台を横切る)• (のCMアニマル) 名物小道具 [ ] 金ダライといえばドリフとも言うべき定番小道具である。 まず最初にやが落下してきて、その後に金ダライ、というのがパターン。 多くは仕掛けやスタッフによる落下が常だが、ドリフメンバーが他のメンバー(主にいかりや)にめがけて落下させることもある。 金ダライは他のコメディ系バラエティ番組にも波及し、ドリフメンバーによる『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『』はもとより、他のコントグループ、番組でも「 ネタに困ったら金ダライ」というような使われ方が、現在もなおしばしば見受けられる。 天板が外れる机 学校コントや会社コントでズッコケの時の効果が出るように、いかりやの机の片側が軸になり、天板の手前側を強く押すと反対側が跳ね上がるようになっていた。 いかりやがずっこけると顔面を机の天板が直撃する。 なお、顔面直撃の際にいい音が出るように材質はトタンを用い、また、リハーサルで用いたものはそのまま使わずに本番前に新しいものに付け替えていた。 いかりやがツッコミに使う小道具。 忍者やコンバットコントなどでツッコミを入れる時にメガホンで相手の頭を叩く。 本来の拡声器として使われることは少ないが、その場合は遠く広く声を飛ばすのではなく、メンバーの耳元で怒鳴る事が多い。 また、それをやる・やられるのは加藤・志村が多い。 時折メガホンが叩いた影響で横に広がって変形する事もあった。 鈍器 鈍器ではあるがハンマーやの類ではない(ただし、は使われたこともあった)。 や 缶のフタ等、視覚的、聴覚的に派手なものが使われる。 志村や加藤のオーバーリアクションが特に一般に受けた。 一方、いかりやは(特に志村に)全力で殴られるため、本番中に痛がっていたこともある。 変形し衝撃を吸収しやすい素材であるため、打撃力はそれほど大きくないが、「子供が真似をしたらどうするのか」と前述の金ダライ共々槍玉に挙げられた。 なお、一斗缶は叩かれた際、痛くないようにするためと音が強く響くようにするために上蓋を1枚まるごとくり抜いて外してある。 しかし、志村はあえて一斗缶の角でいかりやに殴りかかることもあった。 スタッフ [ ]• :、、前川宏司、、佐々木史朗、、福地美穂子、松原雅彦、堀英伸、宮田和実、、かとうまなぶ、石川雄一郎、、鈴木哲、栽松美晴、原すすむ、前田昌平、前岡晋、小川美篤、柊達雄、 ほか• 振付:一の宮はじめ• 技術:市川英夫、村上敦彦、大野健三、橋本英一• TD:三島木好光、太田博、木村敦彦、日野治隆、大野健三、椙浦正明、斉藤清一、倉松賢三、遠藤和夫• カラー調整:新田隆、中島章、小林忠雄、斉藤清一、白取靖弘、山田茂、佐藤満、佐藤利弘、西沢正捷、岩永義輝• 映像:平沢一夫、椙浦正明、田名部誠一、鈴木克彦、遠藤和夫、佐藤秀樹、村上敦彦、小林稔雄、梶一郎、浜田泰生• 音声:大野信弘、椎木洋次、古川守、山岡三郎、飯島雅宏、丸山勝、浜田毅、和田英雄、山田紀夫• 照明:吉田武志、橋本英一、和気文雄、松村劦、小島久明• 音響効果:飯田寿雄、若林宏夫、鈴木敏夫、大鐘信慶、荒井忠利• 美術デザイン:(第1 - 765回)、浦上憲司(第766回 - 最終回)• 美術製作:西川光三• :中村寿雄、井原利一、副島恒次、峰岸進、西川章、服部晴治、豊原隆太郎、平山賢一、赤地偉史、中畑義昭、保坂奉正、東修、高柳等、、西内綱一、深尾隆一、水留章、、• 企画:• 製作著作: 演奏台の背景デザイン [ ] 岡本章生とゲイスターズのいる演奏台(バンドステージ)と背景のデザインは年代により変わっている。 初代デザイン:ひげ柄をモチーフにしたデザイン。 背景の頭上に当時のスポンサーである『』、『』の看板が掲げられていた。 1969年 - 1971年前半。 2代目デザイン:丸の形をいくつか重ねたような七宝文のデザイン。 9代目と同じデザインだが、2代目が七宝文のサイズが大きく、円弧部分に色が付いている。 1971年後半 - 1972年前半。 3代目デザイン:左右対称の三角形の斜辺部分を湾曲したデザイン。 1972年前半 - 1972年後半。 4代目デザイン:丸や楕円形をモチーフにしたもの。 1972年後半 - 1973年前半。 5代目デザイン:枠の中に丸をモチーフにしたもの。 1972年後半 - 1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていたが、廻り舞台のある週でも設置されていたことがある)。 6代目デザイン:三角をモチーフにしたもの。 1973前半 - 1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていた。 また週によっては、前代の5代目のデザインと併用して使われることも多かった)。 初代から6代目デザインの演奏台は基本は橙色だが、6代目デザインの演奏台や7代目デザインの演奏台もあった。 7代目デザイン:三角をダイヤモンドの様にモチーフにしたデザイン。 1973年後半 - 1975年7月(廻り舞台のある週、演奏台は常時同じデザインに固定されている)。 8代目デザイン:左右対称の三角をモチーフにしたデザイン。 1974年前半 - 1975年7月(廻り舞台のない週に設置されていたが、廻り舞台のある週でも設置されたことがある。 演奏台は7代目デザイン)。 9代目デザイン:丸の形をいくつか重ねたような、 "七宝文"をモチーフにしたデザイン。 廻り舞台のある週とない週とでは、配色が異なる。 1975年8月の「夏休み傑作特集」期間明けとなる1975年9月 - 1985年の最終回,2005年10月2日の「」(常時、同じデザインに固定。 1回だけの絵画が掲げられていた)。 番組の背景デザインとしては最も長い10年間も使用され、番組の象徴を表す最も知られているデザインである。 番組のディスク表面、ジャケットおよびあらすじが書かれている「コントファイル」も一部この背景デザインが使われている。 なお、初期のバンド席(ボックス)には「TBS」(旧ロゴ)が入っていた(これは『』でも同様である)。 のちにゲイスターズオリジナルのものを使用するようになった。 全国の様々な会場で生放送を行ったため、会場の規模によって、2種類の大きさのもの(横幅の狭いもの・広い物)が使い分けられていた。 1975年4月26日のと、1976年3月6日のからの生放送では、バンド席(ボックス)ではゲイスターズオリジナルのものでなく、それぞれの略称である「 RSK」ロゴ・の略称である「 BSN」ロゴ(1992年3月まで使われていた1世代前ロゴ)と、各放送局のロゴが入っていたものを使用していた。 廻り舞台のある週では背景デザインは2分割になっているか、アクリル板の後に白い幕で覆っていた。 舞台の回転によってバンド席が現れた後に上半分のデザインが会場の美術バトンにより降ろされ上下一体化するようになっている。 バンド席の配置も会場により異なり、横1列(ほとんどが9代目デザイン以降)の場合や上下2段、TBS・Gスタジオでの収録では3段配置となっている。 ただし、1985年9月21日放送分(第802回)のみオーケストラコントを行った関係上、Gスタジオでも横1列の配置が見られた。 1974年4月6日より正メンバー)• (付き人 )• マリア()• (当初は「キャンディーズJr」)• (トライアングル時代は「加藤アキ」名義)• 殺陣 [ ]• 國井正廣• 若駒冒険グループ コーラス [ ]• コールアカシア• ライトエコーズ 演奏 [ ]• 高橋達也と東京ユニオン(第1回・第640回)• ニューシャープオーケストラ(第2 - 4回)• 森剛康とゲイスターズ(第5回 - 1973年)• 『』の立木大和バレー部メンバー、、、、、といった特別ゲストもしばしば登場した。 男性 [ ]• (68回出演)• (63回出演)• (56回出演)• ACTION• [ ]• (・・)• 女性 [ ]• (95回出演)• (60回出演)• (54回出演)• (48回出演)• (47回出演)• (46回出演)• (燕奈緒美・真由美)• (現:声優)• (・)• 番組にまつわるエピソード [ ]• 当初企画段階で、TBS社内外から「ドリフよりも世間に名の知れているクレージー(ハナ肇とクレージーキャッツ)を使った方がいいのでは」という声があった。 番組初期には、のコーナーもあったが、すぐに消滅した。 理由は不明だが、ミゼットレスラーを笑いのネタにすることによって差別やいじめを助長するという批判により、打ち切られたという記述の文献がある。 この番組が放送されている時期のTBSの4月や10月の番組再編成の時期に放送される特別番組は『4(10)月だョ! 全員集合』(2時間番組で火曜日夜に放送、土曜日昼にも再放送された局もある)と題され、ザ・ドリフターズが進行役として出演していた。 番組後半の「少年少女合唱隊」は出演者全員が参加し、非常に好評だった(もやったことがあった)。 また、特番(末期)の中で史上最大のが行われる時は、ドミノの最初の牌を倒すのは必ずいかりやだった。 1980年代のが登場するまで、生放送の同時録画はが使われていたが、当時はテープが高価(60分あたりの当時の単価は10万円)だったために他の番組ではほとんどが消去される中、この番組は第2期開始の1971年10月放送分以降1985年9月の最終回までほぼすべての回がに記録され保存されている(TBSのバラエティー番組の中では2インチVTRで最も多く残されているとされている)。 これが後のリクエスト特集などの特別番組やDVD化に活用された。 ただしDVD版の収録に選ばれたコントは、化された1982年以降のものが比較的多く選ばれている。 のには、1978年3月4日放送の第412回と1984年9月29日放送のスペシャル版「15周年だョ! 全員集合」が保存されている。 特別番組放送時とDVD化された作品の一部にはの映像処理により一部の表示テロップを伏せている部分がある。 これは放送素材のVTRテープ(主に前半のもの)にCMテロップ(当時は番組本編中、画面下に商品名や企業名のテロップを数秒表示することも珍しくなかった)や(開始初期は前半・後半に分けていたが、後に1つの枠に統一された)・その週の中継会場の名称テロップがそのまま入っていたためである。 なお、CMテロップは志村加入と相前後して廃止された。 いかりやが後にインタビューで「決して子ども向けの番組にしたつもりはない」と述べている通り、加藤のストリップを題材にしたギャグや人形の首をちょん切るギャグ、小型のギロチンを使うシーン 実際に切ったのは などがあり、他にもシュールなネタや下ネタが所々で含まれるなど、後世に言われるほどファミリー層向けの内容ではない。 生放送であった故に、は一切禁止されていた。 加藤がで楽屋落ちを行った際にはを通して直々に加藤が叱責を受けた。 裏番組『』のメインキャストであったは、この番組を「今見ても面白い」「それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ」と高く評価している。 一方で自身が担当した『ひょうきん族』については「今になって『ひょうきん族』を見ても面白くも何ともない」「古臭くて笑えるもんじゃない」とし、『ひょうきん族』で行った楽屋話的な笑いを「芸の笑いとは別のもの」と述べている。 テレビ放送は新法人のTBSテレビが承継 (HBC) (ATV) 1974年10月5日にネット開始 1975年3月まではとの (IBC) 現:IBC岩手放送 (TBC) (FTV) 1972年4月1日にネット開始、1983年9月24日に打ち切り 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局 (TUF) TBS系列 試験放送期間中の1983年11月26日にネット開始 (正式には開局後の1983年12月10日から放送) (UTY) 1970年4月の開局時から (SBC) (BSN) (SBS) (CBC) 現:CBCテレビ (MRO) (ABC) 1975年3月29日まで 現:朝日放送グループホールディングス 持株会社に移行。 TBS系列局以外への遅れネットはなく、原則であった。 当時クロスネット局だった・・の3局は以下の対応が取られていた。 青森テレビはNET系列メインのクロスネット局として開局したため、1974年9月までNET系列の番組を同時ネットしていたが、JNN正式加盟の半年前の1974年10月5日からネットを開始した。 テレビ山口はフジテレビ系・NET系とのトリプルネット局として開局したため、1975年3月までの番組を同時ネットしていたが、1975年4月5日からネットを開始した。 なお、同局では『』は、本番組直前の土曜19時から放送されていた。 福島テレビは1971年10月に実施した(現在は)とのネット交換(福島テレビは脱退ならびにJNN・FNS加盟)の半年後の1972年4月1日からネットを開始。 1983年4月1日にTBS系列メインのクロスネット局からフジテレビ系フルネット局に再(JNN脱退・加盟)したが、視聴者保護も兼ねて同年4月2日からはスポンサードネットにより放送していた。 しかし同年10月1日のフジテレビマストバイへの完全移行に伴い、1983年9月24日放送分をもって打ち切りとなった(打ち切り後は『』を遅れネットから同時ネットに変更)。 このため、福島県では1983年10月から11月19日まで本番組は未放送となっていたが、この年に開局したが同年11月26日のをもって福島県における放送を再開している。 は1984年3月まで日本テレビ系列の番組を同時ネットしていたが、1984年4月7日からネットを開始した。 なお、未ネット地域の内、山形県では開局と同時に、富山県では開局と同時に後継番組『』からネットを開始した。 備考 [ ]• 番組のオープニングテーマ曲のアレンジ版が「淡麗グリーンラベル」のCMに使用されている。 このCMには志村けんのほか、公募で選ばれた、ザ・ドリフターズのメンバーに容姿がよく似た外国人5人が出演している。 2007年秋からは志村のを使ったバージョンも放送された。 エンディングテーマ曲は、2007年に「ポスカム」のCMに使用されている(こちらもアレンジ版)。 番組内のコント「志村けんのバカ殿様」のために番組スポンサーであるコナミ(現在の、コナミのゲーム諸権利はが継承)がソフト『』のプレイヤーの片方が殿様となっている特別バージョンを製作している。 コント内で志村がプレイする姿が好評だったため、1986年1月4日に限定版として市販されている。 2012年 に、が当番組とのコラボキャンペーンを実施している。 放送、「」にて、全員集合の最古の映像として、第1回の予告映像(ゲストのいしだあゆみとのコントの一部)が放送された。 関連書籍 [ ] 番組関係者による回顧録として、以下の書籍がある。 著, 加藤義彦構成『8時だョ! 全員集合の作り方』(、2001年5月15日刊 )• 著 『8時だョ! 全員集合伝説』(双葉文庫、2001年7月10日刊 )• いかりや長介著『だめだこりゃ』(、2003年6月刊 ) 関連ソフト [ ] 番組の映像ソフトは下記のタイトルが発売されている。 制作著作・発売元:TBS、販売元:。 いずれも3枚組DVD-BOX。 ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だョ! 全員集合(2004年1月7日発売 PCBX-50558)• TBSテレビ放送50周年記念盤 8時だョ! 全員集合 2005(2005年6月24日発売 PCBX-50718)• 番組誕生40周年記念盤 8時だョ! 全員集合 2008(2008年7月16日発売 豪華版:PCBX-50890、通常版:PCBX-50891)• 8時だョ! 全員集合 最終盤(2010年3月17日発売 豪華版:PCBE-63402、通常版:PCBE-63403)• 8時だョ! 全員集合 ゴールデンコレクション(2012年2月15日発売 豪華版:PCBE-63406、通常版:PCBE-63407) 第1集は33万本を超える大ヒットを記録し 、第4弾までで累計約74万本が出荷された。 ゲストの歌唱シーンが収録されているソフトとしては以下のものがある。 『』(2009年3月25日発売 ビクターエンタテインメント VIZL-324)付属DVDに『全員集合』出演時の映像を収録。 『スーダラBOX』(2010年11月3日発売 発売元:TBS、販売元:ポニーキャニオン PCBE-63404)ディスク2に1979年4月28日放送分の一部映像(植木が「これで日本も安心だ」を歌う)を収録。 『GOLDEN DAYS』(2011年10月26日発売 ユニバーサル TOCT-28012)付属DVDに『全員集合』出演時の映像を収録。 桜田淳子『Thanks 40 〜青い鳥たちへ』(2013年10月23日発売 ビクターエンタテインメント VIZL-568)付属DVDに『全員集合』出演時の映像を収録。 キャンディーズ『キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM』(2015年11月4日発売〈ネット通販限定〉 発売元:渡辺プロダクション・渡辺音楽出版・TBS、販売元:ソニー・ミュージックダイレクト DQBX-1222)ディスク2に『全員集合』出演時の歌唱映像のみを収録。 TBS番組の映像では他に『』・『』出演時の映像も収録している。 オンデマンド配信 [ ] 2013年6月15日からで、23回分のオープニングからエンディングまでノーカットでの配信が行われた。 2016年現在、計62回分の映像が配信されている。 2016年現在、1969年 - 1971年、1973年 - 1977年の映像は1回分も配信されていない。 またOPテロップはスタッフ名を省いてのニュープリント、EDは「次回の出演者」テロップは省いていた。 TBSオンデマンドが2018年6月30日を持ってサービスを終了したが、それに先駆け2018年4月1日から動画配信サイト「」で視聴可能となっている。 2019年11月1日からはでも視聴可能となった。 参考文献 [ ]• 1973年12月から。 当初はメンバー見習いとして出演。 ドリフターズの正式メンバー入りは1974年4月から。 1974年3月まで。 本格的に行うようになったのは1982年1月からだが、それ以前にも1980年5月3日と1981年5月9日放送分でステレオ放送を行ったことがある。 最後に回り舞台を使用したのは1985年6月1日のからの放送で、1985年ではこの回のみだった。 現在では、出演芸能人の生放送での不用意な問題発言によるイメージの瑕疵の発生を芸能事務所側が警戒するようになっている。 例外は、TBSが土曜日に開催されるオールスターゲームの放映権を獲得した場合だが、このケースも1977年までは一度もなかった。 この「熾烈な視聴率争い」について、当時のひょうきん族と全員集合のスタッフはしばしば会遇し、その際に視聴率は話題に上らなかったと語る関係者の視点もある。 2016年4月8日閲覧。 『朝日年鑑1986』p. 331。 1973年6月10日にシングルとしてリリース。 1番の歌詞に「5人の色男」という歌詞がある為。 仲本と志村が復帰直後も差し替えた歌詞のまま歌われていたが、すぐに元の歌詞に戻った。 『1955〜1989 ちょっとだけ狂気TVの35年 昭和バラエティ番組の時代』、2018年、P. 137 - p. 138。 第1期の最終回(1971年3月27日放送分)ではゲストではなく仲本と荒井が担当、(仲本)「おい、楽しかったな」「仲良くしろよな」(荒井)「いつまで見てんだよ」「もう終わりだよ」という台詞だった。 年内最後の放送は「餅食い過ぎるなよ」「また来年」。 第1期最終回は「長い間どうもありがとう」「別れるのはさびしいけどもさ」「また逢えるもんな」「病気だけはするなよ」、そして最終回は「長い間ありがとう」「元気で」。 2016年4月14日. 2016年4月24日閲覧。 後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』のプロデューサーも務めた。 2000年の化に伴い、芸能プロダクション事業などは新設のに移行した。 付き人はすわを含め数人が出演していたが、オープニングの出演者・スタッフロールには名前が出されなかった• 各回のゲストは、『8時だョ! 全員集合の作り方』(双葉社、2001年5月15日刊)に詳しく掲載されている。 盆が故障した回に、故障した盆の前で歌った。 livedoor news 2009年4月22日発信、2018年7月12日閲覧。 現在ではむしろ障害者の門戸を狭くしてしまう、また障害者差別に繋がるという理由で逆に出演者側や団体からのが来る場合もあるが、当時はこの件についてはあまり問題にされなかった。 北野武『超思考』幻冬舎 2013 p161 - 162• 当時はにはで参加していた(1975年3月31日に脱退・JNN正式加盟)。 ただし、1983年4月にがに(JNN脱退・加盟)した後も1983年4月から9月の間は視聴者保護のため放送された。 また、10月1日から11月19日放送分は福島県では『全員集合』は未放送。 なお、福島テレビは『全員集合』の番販ネット終了後、『』の同時ネットに切り替えている。 本番組の放送期間中、直前の土曜19時が『』の遅れネット枠にあてられた時期がある。 TBS系列ではあるものの、当時はニュース以外事実上・テレビ朝日系列とのトリプルネット状態であった。 2011年2月8日. 2015年5月17日閲覧。 2012年2月7日. 2015年5月17日閲覧。 当初は2011年12月21日に発売される予定であった。 - CD Journal(2015年10月1日閲覧)。 まんたんウェブ 2013年6月15日• [ ]• 荒井注在籍時代の放送分で配信されているのは1972年12月30日放送分の1回だけである。 関連項目 [ ]• - 『』()で放送された、ドリフのもう一つの代表番組。 全員集合とは違ってスタジオコントがメインだが、には『全員集合』を模した公開コントや少年少女合唱団が登場した。 - コント終了のBGM。 現在でも『』の一部コーナーで流用されている。 外部リンク [ ]• 土曜20:00枠 前番組 番組名 次番組.

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「ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だヨ!全員集合」

八 時 だ よ 全員 集合

「8時だョ!」「「「「「~!」」」」」 8時だョ! 全員集合とは、~までで放送されたの番組である。 通称 「」。 概要 出演の開番組。 16年にも及ぶ長きに渡って放送され、まさに「下を獲った」番組として君臨した。 番組最高均視聴率はに記録した. 5、全3回の均視聴率も 27. 3を記録し、数々のも送り出した、 「記録にも記憶にも残る番組」である。 で上にを模したをの上に飛ばす、が動いて歌いだす、が崩れ客席側に転がってくるなど、では安全面や予算面で到底のな演出での度肝を演のや、歌ののやも積極的に参加させ意外な一面を引き出すことに成功した隊や後半など、番組終了から年近く経った でも色あせることのい脅威の。 放送当時、抽選で当たった番組の開収録のはチケットとして羨望の的になった。 はこの番組でその民的を不動のものとし、もこの番組を中心に数々の番組を連発しにを迎えた。 また、この番組のだった、もこの番組から巣立って行き、を代表するとなった。 放送期間中にはのによる出演、の所属側の独断による不本意な形での放送中断、のの脱退とに加入したのが定着するまでの不遇時代、ノミ行為事件によるとの出演など、数々のが起こったにもかかわらず何度もを盛り返した不屈の番組でもある。 ちなみに、 この番組のにあった「」がきっかけとなってにおける「」が全に普及・定着した。 放送当時のこの番組のがい知れるである。 終焉 しかし、に転機が訪れる。 この年に「」()が始まり、前半に正面対決を繰り広げることとなった。 このしい消耗戦は 「」(両番組の放送時間が8時だったことに由来)と呼ばれ、業界や業界では未だにのとしてり継がれている。 の時点では年間均視聴率で6以上のテージを保っていたが、翌年には「」の20. 8に対し「」が19. 0と猛追し、年には遂に逆転されてしまった(「」18. 、「」19. 結果、「」にを奪われ同時間帯の視聴率の座を奪われることが多くなったことや、やとの間の意思疎通がうまくいかなくなったこと、そして「 やりたいことは全てやりた」ことが原因となって、惜しまれつつにその幕を閉じることとなった。 なお、の話になると決まって『』が『』を打ち負かした、という表現が散見されるが、でも均15前後(の. 0を含めた1~の年間均視聴率が. 0)の視聴率を記録していた。 ゆえに、視聴率が原因で打ち切られたと言うほど低迷していた訳ではなく、それよりも開形式でののや気・体の、そして前述のとおり現場のがあったことや「やりたいことをやり尽くした」ことなどが番組終了最大の要因であったことを書き添えておきたい。 では、前半にいかりや演じると他演じる達による名物「」、後半に16年のを振り返るが流され、ではに駆けつけた多数の(旧のも含む)とともに「のビバノン」をし幕を閉じた。 最後には観覧客もを行った。 後継番組はとのみ出演の 「」。 番組終了後 「」終了後もされ後半まで新作とを交えつつ不定期で放送された「」()と異なり、「」はに番組開始20周年を記念してが放送されて以降、はされる機会がほぼであった。 しかし、にを多数収録した-BOX第一弾が発売されると大。 これに気を良くしたがさらに第2弾、第3弾と続編を発売し、飛躍的に番組に触れることが容易になった。 放送でもにのが他界した際に放送した特別番組「長さんだョ!」が高視聴率を記録したことから徐々にという形で不定期に放送される回数が増えていった。 この番組は当時の番組としては驚異的に番組が現存していたこともあり(以降放送分は当時まだしかった音で収録されたが今も現存している)、その豊富に残されていたや歌を再編集し、では一時期よりも頻繁にが放送され、そのたびに安定した視聴率を取っている。 未だその「番組」ぶりは衰えていない。 いかりやの「」や観客の「、後ろ~!後ろ~!」など名物は、放送当供であったによって後にされたもあり、放送時にはまだ生まれてもいなかった世代ですら知っているほどである。 の実質的結成周年を記念して、頃に新作を作ろうという動きがあった。 もだったのだが、残念ながら同年に、を引っり続けてきたである が死去し、新作の可性は限りなく薄くなってしまった。 をはじめとするは、いかりやの死後もとして活動していく旨を表明して、ものに出演するなど活動している。 しかし既に4人ともかなり高齢であり、でドタバントを活発にやれているのは実質的よりも一回り若いのみであった。 さらにそのもに急逝したため、新作は困難であると思われる。 余談であるが、当気、、が毎週多く出演し歌を披露していた番組であったため、そのが、では における ~のの として、「」「」と並んで番組などでされている。 この番組で生まれた有名なギャグやフレーズ• 「チョットだけよ~」• 「~!後ろ!後ろ!」• 「の勝手でしょ~」• 「入ったか~?を磨いたか~?」• 「!」• 「マヤ~ン!」• の 関連動画 関連商品 関連コミュニティ 関連項目• のナップ 代前半 ( || 8時だョ!全員集合| 代前半 ( |||.

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