誰か受け継いで歌って欲しい! まず頭に浮かんだのが、宮本浩次さん。 日本中の女子小中学生に振り付けの真似をさせたピンク・レディーの「UFO」で4度目のレコード大賞をとった阿久悠が、同じ年にこんな「どメロウ」な楽曲も残しているという事実は、いま音楽プロデューサーや作詞家を名乗るぼくの目には超人的所業として映ります。 余談ながら、1998年にMISIAがデビューするにあたってぼくはブレーンのひとりとして参加しましたが、そのとき頭のなかにははっきりと大橋純子の存在がありました。
6懐かしくて泣きそうになった曲がありました。 (2008年) - アルバム『歌鬼 Ga-Ki 〜阿久悠トリビュート〜』収録。
なんて引き出しが多い人なんでしょう、なんたって「サザエ」さんから、「雨がやんだら」だもの。
世代によっては「歌謡曲」と「演歌」はニアイコールなのかもしれませんね。
関連項目 [ ]• 卵料理をふんわり作るのが苦手なので、 いつかふんわりニラ玉を作りたいと、うんじゅーねん。
豊かな声量で知られた純子さんがこの曲では控えめに歌っているのも、哀しい愛の結末を暗示するうえでたいへん効果的(当時ご本人はそのことに納得がいかなかった旨の発言があったにせよ、です)。 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p. NHK• この項目は、に関連した です。 () - アルバム『「J」〜Sentimental Cover〜』収録。
16(1979年) - アルバム『』収録。 大橋自身の出身地であるがに認定されたことを受けて、夕張応援チャリティカヴァーアルバム『Terra』をリリース。
表現力のある歌唱と伸びやかな美声でソロシンガーとしての地位を築くきっかけになったのが、1978年に発表された筒美京平さんの「たそがれマイ・ラブ」だった。
シンガー大橋純子さんが、筒美さんが手がけた大ヒット曲「たそがれマイ・ラブ」の秘話を明かした。
九州・沖縄• テレビ番組 [ ]• 昨日、テレビを見ていましたら『昭和歌謡パレード」というのをやっていまして、 懐かしい顔ぶれの歌手の方々が、昭和の歌謡曲を歌っていました。
夏と冬の2部構成で綴られる、男女の機微。 まあユルく長く続けられればと思っていますので、どうかよしなにお付き合いくださいね。
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() - アルバム『』収録。
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- 同じ年にデビューした歌手 外部リンク [ ]• おふたりとも個性的な声質と素敵な歌心をもった歌い手さんですが、プロデューサーのぼくの力量が足りなかったせいでオリジナルのクオリティには遠くおよびませんでしたね。 ビール うまし 何故か指 〆は、リクエストされたペペロンチーノ 本当に好きなんですよ、ペペロンチーノが。
ちなみにぼくは「たそがれマイ・ラブ」のカバーにこれまで2度挑戦しています。
初のPiano Duo Tourを名古屋ブルーノート、ビルボードライブ大阪、東京で開催。
思ったんです。
』収録。 この曲の原題が「ベルリン・マイ・ラブ」ということを知ったのは、ぼくが音楽プロデュースの仕事を始めてからのこと。
丁度よいとのこと。
もとい「たそがれマイ・ラブ」。
まず1999年に嶋野百恵さん、2005年には稲垣潤一さんで。
moraスタッフからは「メロウなJ-POP」という仮題をいただいたのですが、J-POPというタームの登場以前に世に出た曲たち、つまり当時「歌謡曲」と呼ばれていたものを取りあげることも多くなりそうなので改題した次第。 それってゆゆしき事態だなとぼくは危惧してるわけですが。 () - シングル「冬の光」収録。
4のちに小説家として『瀬 戸内少年野球団』(篠田正浩監督によって映画化もされた)などの傑作を残す阿久悠の念頭にあったのは伯林=ベルリンが舞台の森鴎外『舞姫』なのか、ボブ・フォッシーのミュージカル『キャバレー』なのか、はたまたMGM映画の古典『グランド・ホテル』なのか……止まらぬ妄連想を持てあますのもリスナーズ・プレジャーのうち。 5年ぶりのシングル『大人の恋をしましょう』をリリース。
レモンを足しても美味しいです。
北本莉斗くん、小学5年生の男の子 テレビ東京の『THE カラオケ・バトル』で、モンスターと言われている男の子です。
亡くなられた方、今は歌手活動をされていない方は、違う方が歌っていましたが、 ほぼほぼ原曲の歌手の方。
全盛期のような声量がなかったり、高い声が辛そうな歌声もありましたが、凄く懐かしかった。 こちらは手作りです。
もう阿久悠劇場と言いきってしまいたい。
繰り返し言いますけど、何しろこっちは10歳ですから。
第3回世界音楽祭「シンプル・ラブ」第3位入賞。