かつてとを結んだはその一つでもある。 (1980年代表)• 神崎工場の復旧は、旧王子製紙より分離するという条件で GHQ が許可したため、条件に沿って1948年9月、受け皿となる新会社・神崎製紙株式会社が設立された。
剛性をさらに高めた紙質で、紙器加工適性を向上させており、食品一次容器にも適した新特殊白板紙です。
なお、かつてはとも存在したが、春日井に統合されている。
その後生産規模は順次拡大され、紙を生産する(マシン)はまでに6台に増強されている。
さらに(昭和3年)には千歳川の支流であるに恵庭発電所(出力2,150キロワット)が完成し、王子製紙の主力工場である苫小牧工場の操業を支えた。
11月 - 感熱紙の生産を開始。 1960年代後半からは拡張が進められ、までに5台の抄紙機を増設、抄紙機8台の主力工場となった。
2001年(平成13年) 王子板紙株式会社設立。
11月 - ノーカーボン紙の生産を開始。
- 神崎製紙株式会社設立。
申し入れは森下議長以下5人が鈴木法務室長などを相手に行った。
社史合併各社編、p302• 1993年 - 王子製紙・神崎製紙が合併し、新王子製紙株式会社が発足。
主要拠点 [ ] 本社 [ ] 所在地は4丁目7-5で、王子ホールディングスの本社ビルである「王子ホールディングス本館」に入居している。
苫小牧工場に続く王子製紙第2の拠点として(昭和28年)6月に操業を開始した。
(OEM生産されています) そもそもO&Cアイボリーボード㈱は王子製紙㈱と中越パルプ工業㈱の合弁会社(O&Cは両社の頭文字)で、王子製紙富岡工場の10マシン(2010年3月停機)を改造して雑誌の表紙や菓子箱に使われる高級白板紙や紙コップ・食品容器に使われる加工原紙を生産しています。
王子製紙との合併や大規模なスクラップ&ビルドを経て、生産性の高い主力工場になった今でも、かつての塗工技術は脈々と受け継がれております。
工場の止まる8月からは電気も水も止められるので、発電機やバイオトイレの手配もはじめ、会社の法的措置に対抗するために弁護士との打ち合わせも行った。
1893年(明治26年) 商号を「王子製紙」と改称。
- 4丁目9-8• 剛性を高めた(しっかりと堅い)紙質と肌合いは滑らかでスッキリとした白さを持ち、きめ細やかな面感良さが特徴です。 関連記事• 社史合併各社編、pp290-293• これが「千歳第一発電所」であり、認可出力10,000は当時としては日本最大級の水力発電所であった。
10さらにアート紙原紙であるの生産をに再開、その原料であるの生産も同年再開した。
改称により佐賀板紙が発足。
社史合併各社編、pp275-276• 現在でもの広さ日本一であるを形成する「」である。
さらに、6月27日には株主総会行動が予定されている。
王子製紙は王子特殊紙の親会社であるばかりでなく、約40年に渡って安倍川製紙の経営を支配し続けた。 旧王子製紙から神崎製紙として独立した契機が、である。 、神崎工場は()に遭い、事務所などのごく一部の施設を除いて焼失、工場としての機能を喪失した。
4月 - 亜硫酸パルプ SP の生産を開始。
(1984年代表)• 支援共闘の申し入れを理解していない。
(平成5年)10月合併により王子製紙の工場となった。
建設が行われたのは、千歳川が支笏湖より流れ出て、現在の中心部に出るまでの狭窄部。
転勤は実質解雇 従業員は富士地区の工場で雇用を継続するというが、50キロ離れた工場で三交替勤務というのでは、「解雇」以外の何者でもない。 (1998年代表)• 千歳第二発電所 : 1916年3月運転開始。 4月に学校法人「関西大学」のケースが明るみに出たように、私立校でも労務管理があいまいなケースが多く、労働基準監督の指導が相次いでいる。
6社史合併各社編、pp281-282• 国外進出 [ ] ()後のにより、従来の製品輸出では収益性が低下した。 マットコートの代名詞と呼ばれたニューエイジなど、塗工紙の生産においては定評のあった工場でした。
1972年10月 - タック紙(粘着紙)を生産するタック事業部発足。
9月 - 抄紙機復旧、アート紙原紙等洋紙の生産を再開。
千歳第一・第二・第五堰堤は構造的にはではあるが、高さが15. (昭和10年)に創部され(平成14年)4月に廃部となった。
発電所を含めた工場建設のための総工費は当時の額で約400万円という高額であり、王子製紙単独では拠出不可能であったことから、の資金援助を仰ぎ建設が始まった。 創業時の真島製紙 旧王子製紙神崎工場の起源は、に設立された真島製紙所である。
17偽装請負を告発 5月29日静岡ふれあいユニオン・斎藤梱包分会の組合員たちが支援共闘とともに偽装請負を4月23日に静岡労働局へ告発してから1ヶ月、5月に入り、労働局は二回の立ち入り調査を行っているものの、働いている当人への聞き取りなどをまったく行っていないこともあり、会社の「かつてはありましたが、直しました。 千歳第三発電所 : (大正7年)運転開始。
」とのことだったため支援共闘は、「ただ伝えるだけでなく、解決のための指導を行え。
- 初代社長 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 出力3,600キロワット(取水口・千歳第四ダム)• あわせて設立時の「王子製紙分割準備株式会社」から王子製紙(4代目)に社名を変更している。
「製紙大手6社、軒並み減収 大昭和は最大の経常赤字 3月期決算」、1994年6月1日付朝日新聞朝刊• 1948年10月 - 塗工機復旧、アート紙の生産を再開。
(1998年代表)• 今回も同様に 回答を する。 民間企業がダムを含む水力発電施設を有している例は(JR東日本)や日本軽金属などごく少数に限られているが、王子製紙はその中でも古くから水力発電を自前で行う企業であり、の指定を受けている数少ない民間企業でもある。
また、千歳第一堰堤は日本では唯一となるというである。
偽装請負の是正は被害を受けた労働者の救済の立場で行うこと、直接雇用すべきであることなどを主張しました。
これらの会社は、王子製紙との合併・王子ホールディングス発足を経た2012年現在も王子グループのグループ企業として存在している。
0m以下であるため、の規定によりダムとは見なされず、の扱いとなる。