自分の信じた正義を守りたい。
しかしながら、なんで本当のことを言ってくれないんだという気持ちは自分のエゴであり、元来他者のせいではなく他者に向けるものではない。
答え合わせをしようにも、尾崎豊はもういないから。
尾崎豊もまた、些細なすれ違いに心を痛めていた。
自分がなくなってしまう。
『僕が僕であるために』は、まさにそんな曲だ。 しかし人に宿るもの(コア)には希望を持ち続けており、サビ以降では僕を守りながら正しいものを探し続けるという強い決意と覚悟がみられる。
13「正しいものはなんなのか」 『僕が僕であるために』「正しいものはなんなのか」自我、自立、自律という人間の永遠のテーマに、彼はどんな答えを見つけたのだろう。
そんなことは頭ではわかっていても、分かり合えないたびにいちいち傷つき、悲しむ。
あきらめや嘆きを隠さず、人間本来の姿を、自分の正義を貫きたいと願っている。
歌詞と動画を見ることができます。
些細なすれ違いや若さゆえの弱ささえ「傷つけてばかり」と思うのならばもう、二人は一緒にはいられない。 尾崎豊は「僕が僕であるために」勝ち続ける、いや「勝ち続けなきゃならない」というもっとも難しい道を選んだ。
1そばにいたいから 僕が僕であるために… 馬場俊英の「僕が僕であるために」歌詞ページです。 自分にとっては 傷つけたくないというのは別の意味では人を傷つけることをしたくないという自分自身の欲望であり、最終的には他人ではなく自己中心的な利益を率先しているということ。
分からなくなるんだ でも 答えなんて出ないままさ ドコにいたって必死なモノさ うつむいた視線を 少し上げ 見えた朝は澄んでた. 勝ち続けるということは、すなわち一度たりとも負けてはならないということだ。
尾崎の生き方などから考えるとおそらく前者の方が意味が近い。
流される心地よさに慣れてしまう。
作詞:尾崎豊 作曲:尾崎豊 心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた だけど この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ 人を傷つける事に目を伏せるけど 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく 僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる 別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ こんなに愛していた 誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆わがままだ 慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから 君が君であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 君は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる 僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に歌い続けてる kokoro sure tigau kana sii i ki zama ni tame iki morasi te i ta da kedo kono me ni utu ru kono mati de boku ha zutto i ki te yuka nakere ba zin wo kizu tukeru koto ni me wo hu seru kedo yasa si sa wo kuti ni sure ba hito ha mina kizu tui te yuku boku ga boku de aru tame ni ka ti tuzu ke nakya nara nai tada sii mono ha nani na no ka sore ga kono mune ni waka ru made boku ha mati ni noma re te suko si kokorobakari si nagara kono tume tai mati no kaze ni uta i tuzu ke teru waka re giwa ni mou itido kimi ni tasi kame te oki tai yo konnani ai si te i ta dare ga ike nai to yuu wake demo nai kedo zin ha mina wagamama da na re ai no you ni kura si te mo kimi wo kizu tuke te bakari sa konnani kimi wo su ki da kedo asita sae osi e te ya re nai kara kun ga kimi de aru tame ni ka ti tuzu ke nakya nara nai tada sii mono ha nani na no ka sore ga kono mune ni waka ru made kun ha mati ni noma re te suko si kokorobakari si nagara kono tume tai mati no kaze ni uta i tuzu ke teru boku ga boku de aru tame ni ka ti tuzu ke nakya nara nai tada sii mono ha nani na no ka sore ga kono mune ni waka ru made boku ha mati ni noma re te suko si kokorobakari si nagara kono tume tai mati no kaze ni uta i tuzu ke teru. 人というのは自分と他人であり、それぞれに対して傷ついていくの意味合いが異なっている。
それをわかっている自分にため息をもらし、苦しんでいる(傷つく)。
歌詞:ジグザグ 世界は回り 溜め息ついて誰かが立ち止まるけど 現実は続く愛を愛として愛らしく 夢を夢として夢らしく本気(まじ)… C 2001 PAGE ONE All Rights Reserved. 歌詞と動画を見ることができます。
ライブでも度々演奏されていた曲。
表面的な優しさといったが、それは他者からしてみれば自身が傷つかないようにフォローしてくれた優しさなわけで、なんで本当のことを言ってくれないんだという気持ちと優しさ(フォローというおもいやり)に対して真摯に受け取らなければという気持ち(真心)の二つの対立した気持ちの葛藤がでてくる。 それらの歌詞とメロディの起伏が非常にシンクロしており、非常にエネルギッシュな曲に感じさせられる名曲である。
というのは抽象的な歌詞の中でも特に抽象的だが、いままでの歌詞と勝ち続けなきゃならないという部分で意味がおおよそ推測できる。
だから、その欲望を持つ自分に対してもため息が出てくる。
そして純粋すぎた。
『僕が僕であるために』というストレートなタイトルには、そんな決意を感じる。 鈴木英哉(すずき ひでや)ドラムス。 「僕」のイメージとしては自分らしさや芯、ー、真心などのコア的なもの。
しかし人に宿るもの(コア)には希望を持ち続けており、サビ以降では僕を守りながら正しいものを探し続けるという強い決意と覚悟がみられる。 自分にとっては 傷つけたくないというのは別の意味では人を傷つけることをしたくないという自分自身の欲望であり、最終的には他人ではなく自己中心的な利益を率先しているということ。
見失ってもなお、自分で自分を見て見ぬ振りしている。
表面的な優しさといったが、それは他者からしてみれば自身が傷つかないようにフォローしてくれた優しさなわけで、なんで本当のことを言ってくれないんだという気持ちと優しさ(フォローというおもいやり)に対して真摯に受け取らなければという気持ち(真心)の二つの対立した気持ちの葛藤がでてくる。
To embody myself,,,,embody【@】インボデー、エンボデー、【変 アーティストの音楽番組出演情報や番組関連トピックスを掲載。
-今すぐkkboxを使って好きなだけ聞きましょう。 僕は街にのまれての街とは前述したように社会そのもの、社会にinしている様子。
だが悲しいかな「優しさ」すらも、人それぞれで価値観は異なる。
歌いだし 心すれちがう悲しい生き様に 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。
All Rights Reserved 「 」では、著作権保護の観点より歌詞の印刷行為を禁止しています。