まずいものを食ってみると美味いものが何か、そのクオリティの違いが分かるようになるのと同じ。 それは言い換えれば、父権制社会とその支配的な性イデオロギーの永続を切望するということである。 この言葉が日本のメディアで認知されたのは、おそらくは『セックスワーク』というタイトルの売春従事者たちの証言を集めた本が93年に刊行されて以後のことだろう。
16モノガミーの異性愛、つまり男女1対1の恋愛感情を基盤にした、クオリティの高い豊かなセックスこそ至高。
個人的好悪とかかわりなく、論理の経済がそれを要求するのである。
ポルノグラフィ、の陳列、管理者を伴わない単純売春に対する規制などがこれに当たる。
セックスワーカーの組織化 [ ] より良い労働環境を求めるセックスワーカーによるデモンストレーション。
しかし業界の中でも、「自分の意思に基づいて仕事として選ぶ」「続ける」人は多い。 でもその中でも、キャストが安全に働けるようにすることが何よりも重要だと私は考えています」 「心身の安全と健康を保ちながら経済的な対価を得たい」、それは、どの仕事をするワーカーでも考えることだ。 。
7寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。
セックスワークなんて考えたこともないという読者もたくさんいるだろう。
欲望の客体となって「やらせてあげた」セックスよりも、欲望の主体になるセックスの方が、クオリティは上がる。
風俗で働くにせよ、利用するにせよ、肯定もしくは否定するにせよ、現場の情報を学ぶことは必須である。
社会学者が言うように、性的身体を闘技場とした「権力のゼロサムゲーム」での勝利が売春婦たちに魂の救済をもたらすと信じるからでもない。 ボロボロになっちゃったから始めたことだったけれど、いろんな男の人が見れたし、今まで信じてきたタテマエの世界とは違う、本音の現実も分かったし。 12月6日、「改正生活保護法」と「生活困窮者自立支援法」という法案が可決した。
5年ぐらい前に、地下鉄のホームで、どう見ても母と息子には見えない年齢格差男女カップルが小声でジットリと口論しているのを目撃したことがある。
それは上野の意思というより、上野が採用した「論理の経済」の要請するところである。
なぜ労働としての性的サービスを、「セックス」と同じもののように扱ってしまうのだろう。
まことに不思議なことだが、政治家や学者のような、社会的影響力を持つ人ほど「話を簡単にしたがる」のである。
あと数世紀かかってもこの異文化の非対称性はなくならないと思う。 経験が私に教えるのは、この種の論争では、みなさんそれぞれにもっともな言い分があり、そこに最終的解決や弁証法的止揚などを試みても益するところがないということである。
5セックスワークの歴史研究者、ジョー・ドーズマは、セックスワークを「自主的」か「強制的」かの二元論でのみ語るのは、セックスワーカーの主体性を無視することだと書いた。 > 座談会の参加者たちが、「私はセックスが大好き」「私はセックスの対価にお金を受け取ったことがある」といった個人的な話をしているのに、上野千鶴子はそうではない。
それは、自分の子孫を確実に残したいという、男性たちによる本能レベルの欲求ではないでしょうか? なにしろ、女性のほうは、父親が誰であろうと自分が産んだ子どもは100%の自分の子であるという確信がありますが、男性は、女性の腹から出てくる赤子が自分の種じゃない可能性もあるわけです。
どうであれ本人不在の一辺倒なニュース 画像はイメージです 『ハフポスト日本版』が、新型コロナウイルスの影響で多くの女性たちがセックスワークに従事せざるをえなくなっているというイギリスの現状を掲載。
「性を扱う仕事って、いろいろな側面があると思っています」と原告は言う。
例えば、岩波書店の「女性学事典」の「セックスワーカー」の次のような説明は、知識人の困惑をよく表している。 セックスワーカー(現実には女性だけではないが座談会では女性に限定しているであろうことから、本稿でも女性に限定する)は、快楽や満足を求めて「セックス」をしているのだろうか。 ・大きな声でしゃべったりすることで、コロナウィルスが空気中に浮遊するエアロゾルが起こりやすいと言われています。
11自分が消費されていると理解した上で演じているので、男性を侮蔑している面もあるのですが、男性の欲望に加担して、男性からの承認に依存して生きている気がします。 他方で従業員は店と業務委託契約を結ぶ個人事業主とみなされ、給付金の対象となっている。
薫:う~んでも男と同じことやってるなぁって…。
性産業で働く人の健康と安全のために活動するグループとして1999年から活動を開始。
過去にワンナイトした相手にお金を少額ですが、もらいました。
当然それによって「今まで信じてきたタテマエの世界」の欺瞞性が暴露される機会が増大することにもなるだろう。 すなわち、売春を自由意志に基づくもの(自由売春)とそうではないもの(強制売春)とに分けて、前者の売春を行っている人たちをセックスワーカーと呼び、これらの人びとの売春する権利を認めるべきだとするような議論である。 当事者団体は主に、と一般的な労働者と同じを保障されるべきであると主張するのに加え、セックスワーカーがより安全かつ健康に仕事ができるような啓発活動、セックスワーカーに対してのカウンセリングや技術講習、風俗店オーナーに対する研修なども行なっている。
3ただし、それは保守派の売春規制派の人々が考えているように売春が「反社会的・反秩序的」であるからではない。 セックスワークの非犯罪化とは、どういうことか。
それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されねばならない」という立論はありうると私は思っている。
男性からの承認が自分の核になってしまっているようで、複雑な気持ちになるんです。
この無権利状態、無保護状態においてなお売春を生業とせざるを得ない女性たちに向かって、それに代わる生業の可能性を提示することなく、「犯罪だから止めろ」「抑圧されている仕事だから止めろ」「穢れた仕事だから止めろ」と言うことはむずかしいだろう。
・・・ 私は絶対後悔しない。 」( 同書、276-7頁) 上野が挙げた援交少女とこの学生売春婦に共通するのは、いずれも自分を「買う男」を見下すことによって、「相対的な」誇りや優越感を得ているということである。
3だが、フェミニストの立場からするならば、「娼婦と比べて『高待遇』の終身雇用制となっていると思われる」 妻たちは、父権制の無自覚な共犯者に他ならない。
問題なのは、日本には性の二重基準があるってことよね。
それは「売春者の権利主張の力点は、このような自己決定や自由意志に基づく売春の肯定という点にではなく、売春者の自己決定権の尊重という点にあると考えられる」というセンテンスの意味が取りにくいからである。
NSWPは世界中の多くのセックスワーカー当事者団体が所属する国際的なネットワーク組織。