長い付き合いでもあり軽口を叩き合えるこの会を西川は愉しみにしていて、毎回欠かさずに顔を出していた。
2不幸中の幸いとも言えるが、余りに寂しい幕切れではないか』 國重の不倫騒動が週刊誌に書かれた後に書いたものだ。 本人がそれを自覚しているかどうかは別ではあるが。
しかし、あることをきっかけに銀行を追われ、その後に務めた楽天副会長の座もスキャンダルで辞任。
普通の人間ならば、絶望してしまいそうな額だ。
西川が愛してやまなかった古巣、旧住友銀行の多くの関係者さえも後日知らされて慌てふためいたほどだ。
戦後最大の経済事件と言われるこの事件では、住友銀行による平和相互銀行合併のきっかけを作ったイトマンをめぐり、法外な価格での絵画取引やゴルフ場投資により多額の資金が闇社会に流出、多くの逮捕者が出た。 國重はといえば、酷く汚れてはいたがお気に入りだった赤のダウンジャケットを脱ぎ、Tシャツ1枚のリラックスした姿になっていた。 楽天証券役員会には必ず顔を出し、國重や三木谷浩史社長とともに鰻を食べた。
國重が楽天証券の会長だった時代だ。 com そして、國重が最近、接触を繰り返している人間としてあげた名前は、1人は大手消費者金融に深く関与している人物であり、もう1人は何でもダボハゼのように利権にすることで有名な政治家だった。
この尋常でないカネを工面せねばならない。
しかし、あることをきっかけに銀行を追われ、その後に務めた楽天副会長の座もスキャンダルで辞任。
部屋の乱雑ぶりは相変わらずだ。
部屋の乱雑ぶりは相変わらずだ。 楽天入りした國重の背後には、いつも西川という後光がさしていた。
住友銀行からほっぽり出された國重にとって、西川の存在は何よりも強力な守護神だった。 國重はといえば、酷く汚れてはいたがお気に入りだった赤のダウンジャケットを脱ぎ、Tシャツ1枚のリラックスした姿になっていた。
しかし、あることをきっかけに銀行を追われ、その後に務めた楽天副会長の座もスキャンダルで辞任。
生涯、西川の目標は磯田だった。
長い付き合いでもあり軽口を叩き合えるこの会を西川は愉しみにしていて、毎回欠かさずに顔を出していた。
「西川さんは、自身の父親が認知症になっていたことと、親族にも認知症になった人がいたことから、もの凄く認知症になることを恐れていたんだよ」 「遺伝ってことですか?」 國重はしかつめらしい表情で頷いてみせた。
(中略) 國重が住友銀行本体から体よく追い払われ、傘下の証券会社に転出する際、西川は國重を守れなかったことを詫び、そして号泣したという。
面接に来た大阪大学の学生だった西川を住友銀行に強く誘った。
その西川がアルツハイマーに冒されたのが2014年(平成26年)のことだった。
西川が住友銀行に入行を決めるきっかけとなったのは、磯田だった。
西川は間違いなく國重の最大の庇護者だった。 ある月刊誌に筆者は次のような原稿を書いた。 聞けば、政治家、二階俊博の周辺で「仮想通貨」市場に乗り出そうとしている人間たちに会い、知恵を授けているとも話していた。
10部屋にはやはり、微かな尿の臭いが漂う。 部屋の乱雑ぶりは相変わらずだ。
元気に過ごしていたという國重は、やたらと「仮想通貨」に強い関心を持っていた。
「西川さんは、自身の父親が認知症になっていたことと、親族にも認知症になった人がいたことから、もの凄く認知症になることを恐れていたんだよ」 「遺伝ってことですか?」 國重はしかつめらしい表情で頷いてみせた。
その日も赤坂に國重を訪ねた。
登場人物はゆっぺさん含めすべてフェイクです。 また、銀行家となった西川も終生、磯田を尊敬し続けた。
12元銀行家なんだよ、これでも」 と口を尖らせた。 母のことから、思い出したようだった。
「西川さんはどうしてるのかな?」 國重によれば、西川はいつの日か自分が認知症になるのではないかということを酷く気にかけていたという。
西川の自著『 ザ・ラストバンカー 』(講談社)にこんな一節がある。
國重のオフィスは東京・六本木の「六本木ヒルズ」19階にあった。