サスペンションの形式は前後ともにストラット式と、とくに凝ったところはなかった。 このランティスは、動力性能や操縦安定性に優れたバランスの良い車でしたが、個性的なスタイリングは消費者受けせず、国内での販売は振るいませんでした。 結局、JTCCへのマツダスピードによるワークス体制での参戦も1996年途中からファミリアに切り替わってしまい、以降ランティスがメジャーレースに参戦することはありませんでした。
しかしよくわからん車種を多チャンネル向けにとりあえず濫造したことで、1993年当時のマツダのブランドイメージは地に落ちていました。
3kgmでした。
他社勢が直列4気筒エンジンで参戦を表明する中、唯一のV6エンジン搭載車だったランティスは有利、と見られていたのです。
デザインの妙であまり気付きませんが、全高は1,355mmとなっていて、天井高も低くはなく、長距離ツーリングでも疲れにくい移動空間を実現しています。
そんな状況下で「玄人好みのマツダ製5ドアハッチバック」を発売したところで、あんまり売れないのは残念ながら明らかです。 ひとつはオートラマ店にて従来から販売されていたフォードブランドのレーザー。
18開発はニュルブルクリンクで進められ、ハンドリングや走りに磨きがかけられた 実際、その後は経営が完全に傾いて、1996年にはフォード傘下になっちゃいましたし。 ボディ剛性は欧州製スポーツモデルを凌ぐほどで、乗ると即座にしっかりとした感触が実感できるレベルに達していた。
しかも、窓枠のないサッシュレスドアを採用することで、スッキリとしたイメージだった。
査定額の差は 【18万円】となる事もあります。
ロータリーエンジンというのは技術面での代表格だし、ロードスターもマツダだからこそ生まれたと言っていいだろう。
エンジンは、ファミリア アスティナから引き継いだ1. 」として今でも忘れられない1台です。 とく前後サスペンション取り付け部の強化は入念で上級モデルではタワーバーも標準で装着していた。 手前が5ドアハッチバック。
又、運転席SRSエアバッグシステムやABSを全グレードに標準装備し、フロントビスカスLSDを装備するなど、安全装備の充実や走行性能の向上が図られました。
しかし、このトランスミッションにも工夫があります。
誌による発売当時の誌上テストにおいて、0-400m:16. マツダも、のちに自社基準の衝突安全ボディを「MAGMA」と名付け、日本のみならず欧州勢の高い衝突安全性、高いボディ剛性に対抗していくことになります。
現代でも通じる独特のスタイルを構築 バブルも終わり、5チャンネルの失敗も濃厚になってきた1993年にランティスは登場した。
そして、5速マニュアルには通常のワイヤー式ではなく、ダイレクトな操作感を得られるロッド式をわざわざ採用していました。 4速オートマチックは変速時のエンジントルクなどをコントロールする電子制御式。
5駆動方式はFFで、かつ同排気量の直列エンジンよりも重いV6エンジンを載せているにも関わらず、アンダーステアをほとんど感じさせない優れたハンドリングを実現しています。 その後もランティスを地方のジムカーナイベントなどでファンが走らせることはありましたが、ジムカーナやラリーなどの全日本級イベントで使われることは実現していません。
リアに大型ハッチゲートを備えるなどユーティリティも高かったが、それ以上にスポーツライクなプロポーションが訴求ポイントだった。
栄えある第一回日本カーオブザイヤーを受賞した1980年に発売された5代目のファミリア。
ランティスは見た目だけでなく、走りもスポーティーで、搭載されるエンジンは、直列4気筒 1800ccとV型6気筒 2000ccの2種類。
ちなみにランティスのスタイリングはマツダ欧州デザインスタジオの作品である。 いずれにしても自動車産業は水物ではあるが。 筆者を含む車好きはたいていランティスのデザインを激賞するものですが、当時の一般的な人にとっては「何コレ? 変なカタチ!」としか思えなかったのかもしれませんね。
4マツダもフォード傘下に下る前で、提携状態だった。 衝突安全ボディと専用プラットフォームを採用 このボディは、個性的なデザインのみが特徴ではなく、他車に先駆けいち早く衝突吸収構造を備え、来る衝突安全基準に最初に適合した事も画期的でした。
ラリーで活躍した名車、フォード・エスコートRSコスワースにも、同じような巨大なリアスポイラーが装着されていましたね! バブル崩壊後、全日本ツーリングカー選手権で期待された戦績も残せず、マツダの多チャンネル販売体制も失敗、1996年にはマツダはフォードの傘下に入る…といった逆風の中で販売されていた隠れた名車・ランティス。
下取り査定を受ける前に、まずは愛車の買い取り相場を調べておきましょう。
1に輝いたランティスだった。
エンジンはロードスターにも使われた1. ブレーキは、前輪ベンチレーテッドディスク、後輪ディスクの4輪ディスクブレーキでした。 4ドアクーペに関しては、1994年から始まった「自然吸気2,000cc フロントエンジンの4ドア車両」で行われる(JTCC)への参戦を強く意識し、他社が直4エンジン搭載車で参戦表明をする中、唯一新型車両にV6エンジンを搭載したため、前評判が非常に高かった。
20なお、このモデルの安全機構については、4W-ABS、LSD、ハイマウントストップランプなどを標準で装備しています。 そして1989年式。
4ドアクーペはさらに大胆な造形で、張りを強調したフェンダーラインと短い前後オーバーハングが躍動感を演出する個性派だった。
これは当時のCAR GRAPHIC誌のテスト記録の中で、2. また、今では珍しくなくなってしまいましたが、ランティスのランニングプロトタイプと最終試作車の開発ではニュルブルクリンクでの走り込みを実施。
1台は4ドアハードトップ、1台は4ドアクーペ アスティナ同様、実質的には5ドアハッチバック で、2リッターV6、1. バブル真っただ中の1989年に始まったそれは、「販売チャンネルをたくさん作ればたくさん売れる(はず)!」という、かなりのイケイケ路線でした。
その後は車好きの記憶にもなかなか残らないモデルとなってしまいましたが、今もしその姿を見る機会があれば、やはりその個性に目を奪われてしまうのでは無いでしょうか。
13総計4万3,300台ほど販売された。 ランティスとは、どんなクルマだったのか? マツダが創立100周年を記念し、実施した人気投票で、1993年発売のランティスがダントツの1位になるという驚きの結果が出た。
足をかためて、エンジンをちょっといじってあげると見違えますよ! 上を見たらきりがないので、ランティスと同等の車と比べてみればスタイリングや4ドアの使い勝手の良さを考るだけでも、ズバ抜けて良い車だと思います。
反面「日陰の存在」、今では超マイナーの烙印を押されたクルマが多かったのも事実で、記憶の彼方に行ってしまったモデルは数え出したらキリがないほど。
ランティスの発売前まで日本はバブル経済に沸いていたこともあり、クルマがどんどん3ナンバー化していく中で、ランティスは日常的な使い勝手を維持しつつ、コンパクトなボディで高い安全性をも確保したのです。