『高丘親王航海記』のコミカライズ版が登場! 実はこの記事を書こうと思ったのは、本作のマンガ版が登場すると聞いたからなのである。
良い夢を食すると芳香を放つ糞を出す獏。
話は、3巻へ続く。
つまり、親王が羅越国にて虎害によって亡くなったというのは、同時代の史料が無く、あくまでも伝説の域を出ないのだ。
大丈夫でした。 それでいて、原作の世界観や空気といったものがまったく損なわれていない事実は、近藤の素質がもともと澁澤のそれと似ているということなのだろう。
当然修復作業をしなければならないのだが、莫大な費用がかかる巨大プロジェクト の責任者を高丘親王が務めている。
ある夢の場面で、高丘親王は、師である空海からこんなことをいわれる。
澁澤龍彦にとっての高丘親王は、死を目前に控えた自身の姿を投影したものであっただけに、 『閑居友』描くところの哀れな末路は採用出来なかったのではないかと思われる。
それほどに近藤が描く親王の旅の描写は素晴らしいのだ。 『高丘親王航海記』にはそのような場面が何度も描かれ、それがこの小説の特徴にもなっている。
数少ない高丘親王研究本 2002年刊行。
先ごろ第1巻と第2巻が同時発売されたばかりだが、これがなんというか、描き手の並々ならぬ意欲を感じさせてくれる熱のこもった力作だ。
主要なポイントだけかいつまんでご紹介しよう。
北海道大学、成城大学の教授を歴任。 海の向こうの暗黒面に思いを馳せた彼は、日本人離れした、まことに不思議な日本人であった。 ちなみにこの天竺を目指す高丘親王一行だが、広州の港を出発したのち、船で海に出るたびに強い風に流されて、つまり、南の海をひたすらぐるぐるとまわるばかりで(その都度、海沿いの奇妙な国に立ち寄りもするので)、いつまで経っても目的の場所へ辿り着くことができない。
4幻獣のようなものは描くのが苦手なので、動物としてのジュゴンを描くことにしました。 幼い頃に、父帝の寵姫であった藤原薬子より、寝物語で天竺の話を聞かされていた皇子・高丘親王は、長年、彼の地への憧憬を抱き続けていた。
あらすじ 貞観七年(西暦865年)、日本から唐へと渡った高丘親王は仏道を極めるため、更に天竺へと旅立つ決意を固める。
造立から100年を超え、毘盧遮那仏は相当傷みが進んでいたらしい。
2)薬子の変(最近の教科書では「平城太上天皇の変」って言うみたい)で、父親の平城太上天皇が嵯峨天皇に敗れて失脚。
『西遊記』みたいでもあり『水戸黄門』のようでもあり、貴人と年若い従者たちというスタイルは、旅モノの一つの定型パターンでもあるのかもしれない。
16それは、添い寝する薬子の微妙な手の動きとともに、 幼き日の高丘親王が「総身のしびれるような陶酔を味わった」記憶として描写される。
穴に落とされても、バナナを食べて楽しくやっている、みたいなところですね(笑)。
そこに謎の少年が飛び込んできたのだが親王の心遣いで旅の一行に加わり、 というあたりも「プリニウス」風味なのだが、むろん作品としては「高丘親王航海記」の方が古い。
しかも、その顔は薬子そっくりだ。
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オオアリクイは、親王の「薬子の珠」をめぐる記憶を物語として回収することになるのだが、 そんなことを含めて、「なんじゃ、そりゃ」というしかない。
しかし、澁澤さんは高丘親王に「美」を選ばせたのだ。
親王の魂の旅に物理的な制約は無いのだ。
しかも、仏道に帰依する身とか言いつつ、親王の興味というか好奇心の源泉が、 幼い時に感じた薬子の妖しい女の魅力だったりするので、ますますやっかいなのである。 気になって調べてみると、13世紀に書かれた『真臘風土記』という中国の旅行記に出てくる名称なんですね。
9きっと漫画という表現ジャンルに対する偏見や先入観は、最初の4ページを読んだだけで吹き飛んでしまうはずだから。 自身の姿が湖面に映らないことを知った親王は、初めて自身の生の終着点が近いことを悟る。
内陸部の移動なのに、帆を張っただけの丸木舟でこんなに移動できるのか?このあたりは幻想小説なので深く突っ込んではいけないところである。
そればかりではない。
更に天竺行きを発意し、渡航に及ぶもその後消息不明に。