ロイヤル クラウン ダービー。 「ロイヤルクラウンダービー Royal Crown Derby」の商品一覧

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ロイヤル クラウン ダービー

1758年の 3 つの立像。 1745年、からの移民はダービーに住みついた。 彼はそこで1747年-1755年の間、の花瓶と小立像を製作した。 1756年のはじめ、彼は以前とロントン・ホールで絵付師をしていた(1725年 — 1786年)、銀行家のジョン・ヒースと共同事業を立ち上げた。 これがダービー会社の設立にあたるが、町の外れで活動していた同じメーカーのコックピット・ヒル工房の方が時期としては早かった。 それはが所有する1750年の印がつけられた ()の水差しから明らかである。 プランシェは会社設立ののち殆どすぐに姿を消し、事業はドゥーズベリとヒースの二人で、のちドゥーズベリ一人で運営された。 才能ある起業家だったドゥーズベリは、ガラス質、 ()、焼いて灰粉にした骨を含ませた新しい練り土を開発した。 これによって工房は高品質の食器を製作できるようになった。 彼は可能な限り最高の造形師と絵付師を雇うことによって、瞬く間にダービーを正餐用食器セットと小立像の主要な生産地とした。 人物画は、を特に得意とするリチャード・アスキューと、ジェームズ・バンファドが描いた。 ザカリア・ボアマンとジョン・ブルーワーは風景画、静物画、田園風景画を描いた。 複雑な花模様はがデザインし、描いた。 1770年にドゥーズベリはロンドンの名高いを取得することで、既に高い評価を得ていたダービーの名をさらに高めた。 チェルシーの工房は同地で1784年まで運営され(この時期の製品は「チェルシー・ダービー」と呼ばれる)、その後に工房は取り壊され、在庫、図案、型などの資産や多くの職人たちはダービーへ移された。 1776年に彼は再び、これもかねてから有名な ()を取得し、移転可能なものは同様にダービーへと移した。 1773年、ドゥーズベリの熱心な仕事ぶりはによって報いられた。 すなわち王はダービーの工房を訪れたのち、裏印に王冠を描き込むことをドゥーズベリに許した。 これにより、この会社は「クラウン・ダービー」と呼ばれることとなった。 1786年にドゥーズベリは没し、会社は息子のドゥーズベリ2世が受け継いだ。 彼もまた才能のある経営者であり、会社の名を高らしめつつ、多くのと型を開発した。 マイケル・キーン ドゥーズベリ2世は期待されながらも、1797年に早くも34歳で世を去り、会社は共同事業者だったアイルランド人マイケル・キーンが引き継いだ。 彼は後にドゥーズベリの未亡人と結婚している。 彼は熟練職人たちとそりが合わなかったようであり、腕の立つ職人たちの多くが会社を去った。 しかしキーンの経営の下で、花絵付師としてビリングズリーの後を継いだモーゼス・ウェブスター、鳥を得意としたリチャード・ドッドソン、風景画や海洋画を描いたジョージ・ロバートソン、狩猟画を描いたカスバート・ロートンなど、残った職人たちが優れた製品を作った。 この時期で最も有名なのは、のウィリアム・ペグであり、際立った独特の花の絵付で知られている。 彼は1797年から仕事を始めているが、その宗教的信念から絵付を罪深い職業と考え、1800年に立ち去った。 彼は1813年に再び戻ってくるが、1820年にまた去った。 キーンの時期には多くの優れた製品が作られたが、経営は混乱し財政難に陥った。 ドゥーズベリ2世の息子として1790年 [ — ]に生まれたドゥーズベリ3世は、1791年 [ — ]に成人すると会社を受け継いだ。 キーンは株を自らの義理の父、3世の祖父にあたるシェフィールドに売り、この関係はドゥーズベリ・アンド・シェフィールドという名の下で続けられた。 ロバート・ブルア ダービー磁器の皿を重ねた形の ()。 1906年、 ()用にハドソン・アンド・サンズが製作した。 1815年、工房はそこで販売員と書記を務めていたロバート・ブルアに賃貸され、ドゥーズベリは経営から身を引いた。 ブルアは必要とされた支払いのため多大な借金をしたが、損失を埋め合わせ、事業の財政的な足場を再度固め直す手腕によって、自らが極めて有能な事業者であることを実証して見せた。 彼はまた事業の美学的な側面を完全に理解しており、彼の経営の下、豪華な色付けと優雅な様式の製品が作り出された。 例として、明るく色付けされた日本のの模様が挙げられ、これは優雅な幾何学模様に様々なデザインの花を重ねてあしらうのが普通だった。 これらのデザインは非常に、かつ永く評判を呼び、会社は成長を続けた。 しかし1845年にブルアは没し、3年間トーマス・クラークが後を継いだのち、コックピット工房は売却され1848年に閉鎖された。 キング・ストリート かつての職人たちの一団はダービーのキング・ストリートに工房を開き、名前こそ違うが、以前の型、模様、商標を使い、ダービーにおける優れた職人技の伝統を受け継いでいった。 機械化された工程は無く、二つとして同じ製品は無かった。 保存された品々の中にはドゥーズベリのオリジナルのもあり、これは今もロイヤル・ダービー・カンパニーが保管している。 オスマストン・ロード 1877年、クラウン・ダービーの名の新しい所有者がダービーのオスマストン・ロードに堂々とした新しい工房を建てた。 これがダービー磁器の近代期の始まりとなった。 後期においてクラウンダービーの模様は極めて人気を呼んだ。 その浪漫主義的で手間をかけた様式が、当時の嗜好とまさに一致していたからである。 ロイヤルクラウンダービー 1890年、はクラウンダービーを「女王陛下の磁器製造業者」として指名し、これによって「ロイヤルクラウンダービー磁器会社」という肩書きが認められた。 1935年、ロイヤルクラウンダービーはキング・ストリート工房を取得し、二派に分かれていた事業は統合された。 磁器連合 1964年、会社は S. ピアソン・アンド・サンによって取得され、後にも加わることになる連合イングランド磁器グループ Allied English Potteries Group の一員となった。 ロイヤルクラウンダービー II 2000年、かつてのロイヤルドルトンのディレクターでピアソン家の一員であるヒュー・ギブソンは買収を主導し、ロイヤルクラウンダービーを再度独立させ、個人所有の会社とした。 2006年時点でオスマストン・ロード工房に300人が働いている。 現在製作されているものには、1981年に登場し忽ち人気を博したペーパーウェイトもある。 ロイヤルクラウンダービーはまた、豊かな色使いと複雑な金模様が特徴的な伊万里様式のシリーズも製作しており、例えばオールドイマリ、トラディショナルイマリ、レッドエイヴィーズ、ブルーミカド、オールドアベスベリーといった食器セットが挙げられる。 オリジナルの同意書が今もに保管されている。 Blacker. he ABC of collecting old English china London : Opinion Curio Club, 1908 p. 101. 関連文献• Barret, Franklin A[llen], and A. Thorpe. Derby Porcelain London 1971. Bradley, Gilbert, Judith Anderson, and Robin Barkla. Derby Porcelain, 1750-1798 Heneage 1992. Gilbert Bradley edited a Derby Porcelain International Society Newsletter , c. 1985-95. Bradshaw, P. , Derby Porcelain Figures 1750-1848 London: Faber Monographs , 1990. John W, William Billingsley 1758-1828 1968. Murdoch, J. and J. Twitchett. Painters and the Derby China Works 1987. Rice, Dennis. Derby Porcelain: The Golden Years 1750-1770 1983. Sargeant, M, Royal Crown Derby Princes Risborough , 2000. Twitchett, John, Derby Porcelain London: Antique Collectors' Guide , 1980 , 2006. Twitchett John and Henry Sandon. Landscapes on Derby and Worcester Porcelain 1984. Twitchett, John and B. Bailey, Royal Crown Derby 1988.

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イングランドのダービー 現在300人ほどの従業員が働いており、 イングランドのダービー市のオスマストンロードに面した4. 5エーカーの敷地では 高品質なボーンチャイナの製造しています。 正確な日付はわかりませんが、1750年には創業していたようです。 ロンドンのチェルシーとダービー両方の工房で 製作が行われていた時代をチェルシー・ダービーと呼びます。 そのチェルシー・ダービーの磁器像や食器が、 ヨーロッパ中で人気が出るにつれて、非常に高い技術を持つ陶芸家がダービーに集まって来るようになりました🌟 リチャード・アスキューとジェームズ・バンフォードは磁器像の絵付け ザカライア・ボーマンとジョン・ブルワーが風景、静物、田園風景の絵付け ウィリアム・ビリングズリーとウィリアム・ペグが複雑な花模様のデザインと絵付けを得意としました。 残念なことに彼は1797年に34歳の若さで他界します。 マイケル・キーン その後会社は、マイケル・キーンの手に渡り、ダービー社の名声は転落して行きます。 またそれと共に優秀な職人もダービーを去って行きました。 ウィリアム・ブルア 1811年に経営の再建をするため、ウィリアム・ブルアが経営者となりました。 とても有能な経営者だったようです。 彼の美的センスも評価を得ています。 その例として、彼の指揮の元始まった 日本の伊万里様式を取り入れたデザインなど、豪華な色付けと優雅な様式を発達させました。 複雑な幾何学模様に様々な花を重ねる伊万里模様を製作するために新たに職人が雇われ、ダービー社は活気を取り戻したのです。 オスマントンロード 1877年、会社は刷新され新しい経営者の手に渡ります。 そして、ダービーのオスマントンロードに新工場が建ち、ダービー社の近代期が始まります。 ビクトリア朝時代を通して、ダービー社の絵文様は人気を博しました。 1890年にダービー社は「王室御用達の陶磁器メーカー」としてヴィクトリア女王より「王室御用達許可証」を賜りました🌟 そして会社名も「ロイヤルクラウンダービー」となったのです🎵 現在のロイヤルクラウンダービー 現在、ロイヤルクラウンダービー磁器会社はS. ピアソン・アンド・サンによって買収され、イングランド陶磁器グループ連合に一員となっています。 1981年に販売開始したペーパーウェイトと、伊万里模様の陶器は現在でも製造しています。 ここからはダービー社の製品に焦点を当てて歴史を見て行きます! ロイヤルクラウンダービー製品の歩み ダービー社製陶器の特徴は、陶器の底部に釉薬がかかっていない部分が3つあることだそうです👀 初期のダービー社製品は、イギリスで作られた陶器の中でも最も素晴らしい作品と言われています。 初期のダービー製品は、底の縁がいつびつな形をしています。 1770年代 ダービー社は素焼き用の型の使用を開始しました。 デューズベリーは初め社外の装飾専門家でしたが、1756年に責任者となりマイセン公認のイミテーションを製造していたようです。 ダービー社はこの時期、風景に小さく人物を描いたインク道具入れ、ポプリ用の花瓶や塩入れを多く作っていたそうです。 デューズベリーは1770年にチェルシー製陶所を1775年にボウ製陶所を買収しました。 1784年にチェルシー工房が閉鎖されるまでの製品は、チェルシー・ダービーとして知られています。 製品の展開はとても目覚ましく、骨灰を使った丈夫な陶磁器も作られました。 そしてマイセン陶器に影響を受けた、新古典主義的な装飾や緋色やターコイズなどの色彩豊かなセーブル陶磁器の製造が始まりました。 1770年代日本の伊万里に影響を受けた日本的な模様の陶磁器が製造され、 以来2世紀に渡ってダービー陶器の代名詞となりました。 また1811年からは低価格製品へ製造をシフトし、品質も下落してしまいました。 そして1848年に工房閉鎖となります。 次はそんなロイヤルクラウンダービーの歴代マーク(刻印、バックスタンプ)について 解説していきます。 ノッティンガム・ロード、キング・ストリ-ト、 オスマストン・ロードのダービー・マークのうち、 初期のダービー・マークと 新ロイヤル・クラウン・ ダービー・ベース・マークとはどんなものなのでしょうか? ダービー・マークは多くの種類がありますが、 そのほとんどが王冠とアラビア数字を描くという同じテーマで作られています👑 年代別に見る初期のダービーは、 近代のロイヤル・クラウン・ダービーと少し違うんです。 ダービーの磁器は、当初イギリスの磁器工場で作られていた磁器よりも、 とても簡単に作られています。 ダービーの磁器は、主に3つの工場で作られていました🏭 ダービーマークはどんなイメージかと言うと・・・ ノッティンガム・ロードでは1756年~1848年、 キング・ストリートでは1756年~1848年、 オスマストン・ロードでは1877年~近代 まで使用されています。 ノッティンガム・ロードの ダービー・マーク(1756年~1848年) 1775年にジョージ3世が、 ダービー磁器の底に印字する商標に、王冠を記載する権利を認めたのです。 1756年-1765年 ダービーの磁器作成工程の初期の段階の粘土をベースにしたものです。 この粘土は、磁器の光沢をつけるときに、 磁器が早く固まってしないような役割を担っていたものです。 1782年-1825年 王冠とDを描いたものです。 と番号を記載していました。 写真には、座席番号No. 314が記載されていますね キング・ストリートの ダービー・マーク(1848年~1935年) かつてノッティンガム・ロードで従業員として働いた人々が、 オリジナルのビジネスを行うために、ダービーのキング・ストリートに工場🏭を建てて、 名前を除く、型、パターン、商標を引き続き使用していました。 機械を使った作業はなくて、 手で作られているから同じものは作られることはなかったのです。 いくつか当時のものが保存されていて、 オリジナルの陶芸家用のものとして、 ドゥースベリーが使っていたろくろはが残っているんですよ 1863年-1866年 スティーブンソンとハンコックのマーク 王冠を上部に描き、十字にクロスしたバトンの左右片側に、 それぞれSとHを配置し、その下にDがあります。 多くの場合、赤色です 1916年-1935年 ウィリアム・ラーコンベのマーク 王冠を上部に描き、十字にクロスしたバトンの左右片側に、 それぞれSとHを配置し、その下にDがあります。 その下にWとLをクロスさせたものがあります。 多くの場合、赤色です 1917年-1934年 ラーコンベとパゲットのマーク 王冠を上部に描き、十字にクロスしたバトンの左右片側に、 それぞれSとHを配置し、その下にDがあります。 その後、このマークは変更され、 Lの先をPの線とつなげるLの組み合わせ文字としたのです。 多くの場合、赤色です 1934年 パゲットのマーク 上部にP、王冠に描き、十字にクロスしたバトンの左右片側に、 それぞれSとHを配置し、その下にDがあります。 多くの場合、赤色です オスマストン・ストリートの ダービー・マーク(1877年~近代まで) 1877年に、ロイヤル・クラウン・ダービーの磁器は、 オスマストン・ロードの素晴らしい新工場へ移動し、新しいマークを導入したのです 1877年-1890年 Dがつながったデザインの上に王冠があります。 最初作成されたマークは、王冠の下にDが交わったものを配したデザイン その後は、マークの下に製造年を配することが多くなりました。 1891年-1940年 最下部に、製造年を表す記号があり、 ロイヤル・クラウン・ダービーの文字を傘の形に配した囲みの中に、 王冠のしたに、Dが交わったものを配したデザイン 1891年~1921年ものは、右側に縦書きで、イングランドと記載されています。 1921年~1940年ものは、右側に縦書きで、メイド・イン・イングランドと記載されています。 1921年-1965年 ロイヤル・クラウン・ダービーの文字を傘の形に配した囲みの中に、 王冠、Dが交わったデザイン、最下部に、メイド・イン・イングランドがあります。 赤色で記載されています このマークのパターン番号は2451です。 1921年-1965年 ロイヤル・クラウン・ダービーの文字を傘の形に配した囲みの中に、 王冠、Dが交わったデザイン、最下部に、メイド・イン・イングランドがあります。 青色で記載されています このマークはKENDALというパターンネームと、 1909年-1910年に作成された製品の登録番号がデザインとして掲載されているのです。 1940年-1945年 戦時中のマークは、多くの場合、深緑色で 、 年号の記号も見られないのです。 上部に、王冠、続いてDが交わったデザイン、 ロイヤル・クラウン・ダービー、メイド・イン・イングランド、デザイン登録番号が配されています。 1921年-1965年 上部に、王冠、続いてDが交わったデザイン、 ロイヤル・クラウン・ダービー、メイド・イン・イングランドが配されています。 このマークは、ニューヨークのプランマーと、 1954年製造のXVIIというローマ数字を掲載されている小売業者の例です。 1950年 上部に、王冠、続いてDが交わったデザイン、 ロイヤル・クラウン・ダービー、メイド・イン・イングランド、パターン番号と名前 が、青色で記載されています 1964-1975 上部に、ダービーチャイナ、王冠、Dが交わったデザイン、 ロイヤル・クラウン・ダービー、イングリッシュ・ボーン、チャイナ が記載されています。 パターン名、番号、ローマ字記号もあわせて記載されることもあります。 1976年~現代 上部に、王冠と、Dが交わったデザインが、ロイヤル・クラウン・ダービー 、 イングリッシュ・ボーン・チャイナで囲まれた円内に記載されています。 著作権の文字が、ダービーロゴの下に、記載されています。 このマークは有名な伊万里焼のパターン番号1128と、 1982年というローマ字が記載されています。 ロイヤル・クラウン・ダービーの 製造年を表す記号(1880年~現代) ダービー磁器には、 オスマストン・ロード工場で製造されたほとんどのマークは日付記号も記載されています この時代のメイン・マークの下部には、小さいイラストがあります。 ダービー・マークと製造年記号のスタイルと、工場の製造年を比べてみましょう! 個人アーティストが物を作ったときに、 製造年を記載したマークを、個人アーティストの作品に刻印してもらうとします。 ノッティンガム・ロードの工場で、 1782年と1825年の間に使用されていたマークは、乱雑なイメージがあります。 これは手書きだったからで、1806年まで青色 で、その後は赤色 になっています。 フレドリック・チバ-ス、サンプソン・ハンコック、 タブリュ・ハーグリ-ブス、ジョージ・ジェソップなどの優れた画家がキング・ストリート工場🏭で働いていたんです。 ある時代や、ある画家の良質なものを収集することで、 自分の分野における専門家となることができるんです。 日本でも馴染みのある「イマリ」の発表は1880年です。 華やかな藍と朱と金彩の組み合わせが目を引き、 王侯貴族の間で東洋趣味がもてはやされることになります。 日本に輸入された際「イマリ」の名が紛らわしい為、「ジャパン」と変えられました。 かつて「ウィッチーズ」と呼ばれていたパターンが、現在「イマリ」と称されています。 伊万里風のシリーズには、「オールドイマリ」「トラディショナルイマリ」 「ブルーミカド」「レッドエイヴィーズ」「オールドアベスベリー」などがあります。 オールドイマリ(伊万里) トラディショナルイマリ(伊万里) ブルーミカド レッドエイヴィーズ オールドアベスベリー また、エッグシェルと呼ばれる超薄手の素地に、金の装飾や透かし彫り、 銀食器のモチーフとシェイプを取り入れ、他にない技巧を生み出していきます。 現在でも愛されているシリーズには、 18世紀にデザインされウィンザー城の朝食用として用いられている「ロイヤルアントワネット」、 やはり18世紀にビリングズレイがデザインした花模様の「ピンクストーンローズ」、 愛らしい野の花を描いた「ポジー」と青一色のバリエーション「ポジーブルー」、 格調高い「グリーンダービーパネル」とカラーバリエーションの「レッドダービーパネル」などがあります。 ロイヤルアントワネット ピンクストーンローズ ポジーブルー グリーンダービーパネル レッドダービーパネル 「プラチナ・エイヴィス」は、精緻に描かれた楽園の鳥をプラチナの輝きが彩る、 オリエンタルで印象的なデザインです。 ウェブという情報を発信してる人が見えてない中で、いろんな間違った情報がネット上にあるのを度々見かけます。 特にアンティークにおいては ・間違った情報 ・信ぴょう性のない情報 ・そもそも情報がない などたくさんの課題がありました。 そこで私は、これまでのお客様との取引の実績、知識、経験、情報を元に正しい情報をウェブを通して発信していくことを会社の方針と掲げました。 ただ物を売る会社ではなく、これまでブラックボックスとされてきてた商品の真贋の見分け方を発信するというのが大切なことではないかと思ったからです。 なぜならアンティーク品の場合は情報量の不足から、買い手側が圧倒的に不利な立場にあったからです。 このアンティークの世界をもっとクリーンで、信頼のおける分野に成長させていく事が私の使命だと思っております。

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