推測だけで物事を考えていくと 空理空論の深みにはまってしまうから気をつけなくてはいけない。
自然有故。
《》:「《施設論》說。
何況無因。
無法空 何等為無法空?若法無,是亦空,非常非滅故。
一一者執。
今明但有六根。
二能生所生。
即名決定無。
爲八空用所攝。
謂無此道理故名無法空。
何以故?性自爾。
所以中觀所說的世俗假名有,勝義畢竟空 ,他空論者是不能承認的。
真實無體。 無人無法之道理。
此之四空。
譬如觀花空,自空者說:花的當體就是空 的。
因五陰和合有故。
譬如岸崩。 此因此果。
十五無法空。
由分別性。
……大王。
誇張し過ぎていて、現実にはありえない大袈裟なこと」 「机上の空論」は「頭の中だけで考えられた、実際には役に立っていない理論や計画」 このように、「絵空事」と「机上の空論」では意味が異なります。 應須修道。
第五能知。
則知念外空。
如是觀時無間。
如『大毘婆沙論』卷七十 八說「如說自性,我、物、自體、相、分、本性,應知亦爾」。
「机上の空論」と「絵空事」の違い 「絵空事」は< えそらごと>と読みます。
謂如所說道諦。
無始空者,世間若眾生若法,皆無有始,如今生從前世因緣有,前世復從前世有,如是展轉,無有眾生始;法亦如是,何以故?若先生後死,則不從死故生,生亦無死;若先死後有生,則無因無緣,亦不生而有死;以是故,一切法,則無有始,如經中說,佛語諸比丘:「眾生無有始,無明覆,愛所繫,往來生死,始不可得。