邦訳の『人間の尊厳について』の解説には,ピコの研究者エウジェニオ・ガレンとポール・オスカークリステラーによる「現実の中心となっているものが,人間である」という人間の尊厳のテーマと「すべての真剣な思想主張は,その根底においては一致している」というシンクレティズムのテーマの二つが示されている。 ピコ・デラ・ミランドラの名を高めたのは、1486年に計画されたローマでの大討論会である。 彼はこうした知識を武器に、カトリックの狭い知的空間を越えて、世界大的な視野を持つようになる。
それらの命題は、従来のスコラ哲学の範疇を超えて、プラトンとアリストテレスの一致、アヴィケンナとアヴェロエスの調停、ユダヤのカバラ教とキリスト教の融合など、当時としては斬新な主張があふれていた。 ピコは若い頃からサヴォナローラと親交があったが、そのサヴォナローラが預言者のような風貌で民衆の心をとらえるようになったとき、その動きに危機感をもった勢力によって、サヴォナローラを囲む危険人物の一人と目され、密かに殺されたのではないかと推測するものである。
ピコ・デラ・ミランドラは、あらゆる思想・宗教は同じ真理の表現であると考え、諸思想を一つに融合しようとした。
だからイタリアの人文主義を研究する際には、格好の材料を提供してくれる。
サヴォナローラはピコの死後、フィレンツェに共和政治を樹立するとともに、厳格な神権政治を行なった。
しかし,その一方でこの著作の最後には中世的な神秘思想とプラトニズムが近代的な世界観と人間観を成熟させたという観点も示している。 いわゆる「ルネサンス」という時代概念の形成に大きな影響を与えたのはスイスの歴史家ブルクハルト(1818-97)だった。
14しかしローマ教会にとって、それらの区別などあるわけもなかった。 641• しかしローマ教会にとって、それらの区別などあるわけもなかった。
23歳の頃、あらゆる思想・宗教は同じ真理の表現であると考え、それらを一つに融合すべく、ローマに諸国の知識人を招き、900の命題についての大討論会を企画した。
具体的な議論というよりは放言に近いのだけれど、このあたりの先取り感はやはり見逃せない。
ピコの主著である「人間の尊厳についての演説(Oratio De Dignitate hominis)」の中のDignitateは、立場や序列のような意味で、今でいう尊厳の意味は無かったとされるが、ピコは人間は望むならば獣にも天使にもなれ、神そのものとすら合一できる潜在性があるとされたので、尊厳という訳でも意味的には間違ってもいない。
しかしそのサヴォナローラも4年後の1498年、民衆の怒りの対象となって、火あぶりにされて殺された。 また,中世文化の中にイタリア・ルネサンスの先駆性を見いだし,中世文化とルネサンスの連続性を強調する歴史観もあらわれる。 人間は自分の自由な意思によって何にでもなることができる。
14ルネサンス問題とは何か 教科書記述を確認する前に,イタリア・ルネサンス研究の概況をおさらいしておこう。
人間の自由意志を高らかに歌い上げたこの演説は、中世的な世界観を覆し、人間を世界の中心に据える画期的な発想だったといえる。
鳥には羽を、魚にはひれを与えたのだったが、人間のためにはもう何も残されていない。
そういえばかなり前に取り上げた『 』では、伊藤博明氏がこの『演説』の人間観と『ヘプタブルス』『ベニヴィエニ註解』などの人間観との比較を行い、宇宙の階層における人間の位置づけと、人間=ミクロコスモスという図式の両方から、この『演説』の人間観が逸脱していることを指摘している(!)。
この神的背景を備えた概念は、世俗的微調整の中でその神的含意を解除されながらプラグマティックに使用され続けるという趨勢の中でも、依然として人間存在の超越性を示唆し続けることをやめないだろう。 ジョヴァンニ ピコ デッラ ミランドラ(1463年 - 1494年)は、ルネッサンス時代を代表する哲学者、人文学者、カバリストである。
||| 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2007-2008 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである. 以下の10冊を参照した。
こうした動きが顕在するきっかけを作ったのは、東方からギリシャの古典が流入し、プラトンやアリストテレスなどの著作を原文によって読むことが可能になったことがある。
これはギリシャ以前の思想に直に触れることによって、中世を通じて人々を束縛してきたキリスト教と、それを体系化したスコラ主義の教義を脱却し、人間を含めた自然をありのままにとらえなおそうとする動きと定義することができる。
この時東ローマ教会から来た人々は多くのギリシャ古典の原文を携えてきていた。 次の項目では,図式化されたルネサンス観がピコ=デラ=ミランドラの思想を現代的な枠組みで解釈せざるを得ない様子を確認しよう。
12そのためピコはフランスに逃亡しなければならなかった。 一説では、サヴォナローラと緊密になっているのを恐れた自らの秘書によって毒殺されたという(当時フィレンツェはメディチ派とサヴォナローラ派の間で暗闘が繰り返されていたので、この秘書はメディチ派なのだろう)。
それ以降「ルネサンス」というフランス語が時代概念として広く理解されるようになった。
これらは中世とルネサンスの連続史観といわれる。
ピコ・デラ・ミランドラ Pico della Mirandola 1463-1494 は、そうした人文学者の中でも、ひときわ重要な意義を持つ人物である。
この辺がブルクハルトのルネサンス文化に対する価値判断であるといえるだろう。 ピコにとっては、キリスト教も、ユダヤ教も、ギリシャの密議も、バビロンのカルデア教もペルシャのゾロアステル教もみな、同じことを教えている。 そこで神は人間に「自由意志」を与えることにした。
8ギリシア語圏からはシンプリキオス、テミスティオス、アフロディシアスのアレクサンドロス、テオフラストス、アンモニオス、さらにプラトン主義系ではポルフュリオス、イアンブリコス、プロティノス、プロクロス、ヘルミアス、ダマスキオス、オリュンピオドロスなどなど。
新プラトン主義は,自然の中に神の存在を見いだそうとする汎神論的傾向をもっており,人間の本性の内部にも神的な性質がひそんでいると説く。
ピコは占星術については、これを否定していた。
それらの検討を通してわれわれは、この概念が十全に機能するためには、神のような超越的存在との関係における人間の定位を必要とするということを示した。
ピコは占星術については、これを否定していた。
『人間の尊厳について』ピコ・デラ・ミランドラ 『人間の尊厳について』への異端批判 若干23歳であったピコ・デラ・ミランドラが企てた討論会に対し、当時の教会には許しがたく多くの批判があった。
だが,近年の研究ではルネサンスの一般的定義や統合原理を特定することは不可能であるという見解が一般的になってきているようだ。
また高名な修道士サヴォナローラとも終生の友情を結んだ。
338• (柴田治三郎『世界の名著56ブルクハルト』「イタリア・ルネサンスの文化」p. 1438年、東ローマ教会と西ローマ教会との間で、両教会合一を話し合う会議がイタリアのフェラーラで開かれ、ついでフィレンツェでも開かれた。
3だからこそ、旧来の価値に固執するローマ教会から激しく弾圧されるようにもなったのである。
これは形なきものではあるけれども、人間として生きていく上で相応しい贈り物と考えられたからだ。
そして、 こうした プラトン・アカデミーにおける 古代文献についての研究を通じて、新プラトン主義に基づく哲学的探究を深めていたフィチーノは、その後、自分自身の 新たな哲学思想を打ち立てていくことになり、 そうした フィチーノの哲学における宇宙観においては、世界全体の構造は、 神・天使的知性・理性的魂・質(形相)・物体(素材)という 神を頂点とする五つの階層から成り立っているとされたうえで、 そうした五段階の階層の中間に位置する 理性的魂としての人間は、 神へと向かって上昇していくとも、自らの魂を捨てて単なる 物体へと下降していくことも可能な自由ではあるが不確かな存在として位置づけられていくことになります。
ルネサンス期の哲学だけでなく,空海や平田篤胤の思想,さらには現代の新興宗教のいくつかにもみえるように,シンクレティズム的な思想にはオカルト的な側面も付随してくることが少なくない。