家で自由にできると喜びを表現していた冒頭の歌詞とは違い、 だんだんと孤独に苦しめられていく様子が伝わってきます。 混乱している社会ではあるけれども、自分の心まで拐われない(影響されない)ようにnervous(ナーバス・落ち込む・神経質)にならないようにね!と言っているのです。 今回は後者で解釈してきます。
4この事からこの曲の主人公は何かしらの仕事(趣味)をしている事が推察出来ます。
何かしらのSNSでのメッセージや作品や動画などあげても、相手から反応がなかったり、悪口を言われたり、何かしら落ち込んでしまったり、無感情になってしまうことがあるのです。
そしたら「時がきた今!」と言葉にする人はどんな人なのでしょうか? それは、インターネットを軸として働いている人(YouTuber・ブロガー・ボカロP・ライブ活動をしていない歌い手・プログラマー・ゲームプログラマーなどなど)等、いろんな人が思い浮かびますが人と人の接触が断たれてしまった現在、 この曲の主人公は少なくとも外出自粛が求められている現在の状況において 「時がきた今!」と言える仕事をしている人物、即ち物理的な人間の交流が少ない仕事をしようと考えている人物、そのような趣味や興味を持っている人物だと言えるのです。
まさに 現在の状況と重なるような歌詞ですね。
グッバイ宣言の「宣言」についてまず思い浮かぶのが緊急事態宣言の事です。 Chinozoさんが踊ってみた動画で爆発的ヒットしている、ボカロ曲「グッバイ宣言」をどうやって作ったのかと言うと、コロナ禍で我慢はせず「家の中で狂い咲け」をテーマに勢いで作られたそうです。 奴らとはこの楽曲のテーマともいえる「 引きこもり」のことでしょうか。
15もちろんこの曲はコロナ禍で発表された曲でありその「緊急事態宣言」の事を言っている可能性が高いと推察できます。 一体何にグッバイ宣言するのか?皆様気になっているとは思いますが、この記事を読むとその事を理解して頂けます。
「即興演奏が行われるようなにぎやかさの残る街」や「未知のウイルス対抗策に詰まっている街」どちらの解釈もできますね。
緊急事態宣言が発令されている状態では、町中は人で混雑はしないですが、様々なコロナの影響により社会は混乱しているのです。
何故なら外出自粛しなければいけない緊急事態宣言は必要最低限の用事以外の時は家にいることこそ正しい!即ち正義【ジャスティス】だと言えるからです。
「引きこもり」とは、まさにジャスティス。 現在のインターネット界ではSNSなどで音楽配信、ライブ配信、動画配信などで世界中のいろんな人の声を聴く事が出来るのです。
1またサビの「聴き殺してランデブー」というパンチ力のあるフレーズは「家に籠って曲を聴きまくっているだけで、状況が好転し今までのように会いたい人に会えるようになる」 そんな 希望のメッセージが込められているように感じます。 グッバイ宣言の歌詞部分で 「引きこもり絶対ジャスティス!」と、とても印象的なサビは私も 「どういう事だろう!?」と心惹かれたのを覚えております。
曲名になっているグッバイ宣言の意味や全体的な解釈を考察しました。
外出自粛しなければならない緊急事態宣言によってグッバイ、サヨナラ、最後になる事、それは何なのか? 即ち現在のコロナ禍によって自分自身がこの人生からもう二度と関係がなくなってしまった事を指しているのだと私は推察しました。
「意味を持たない都会にサヨウナラ!」 この部分の考察は 「意味を持たない」までの歌詞と「都会にサヨナラ」を分けて考察するのが正しいと私は推察しました。
今までの常識も全て覆されていく日々や、善悪のつかない混沌とした都会の情景が浮かび上がります。
スポンサーリンク グッバイ宣言【ボカロ曲】の意味とまとめ このボカロ曲の曲名になっているグッバイ宣言の意味を最後に解説致します。
そしてボカロ曲名の「グッバイ宣言」が歌詞には出てくる事がなく、何にグッバイするのだろう?と疑問に思う曲でもあります。
直接顔を合わせられなくても、決して独りではありません。
私も完全なるインドア派の人間でして、かなり自分の感情も入っているような考察でしたが、皆様!どうでしたでしょうか?。 ところで、この「グッバイ宣言」のフィンガーダンスってかなり特徴的な動きですよね。 グッバイ宣言の解釈の考察(一番) エマージェンシーすなわち「緊急事態」から始まる歌詞は現在でもよく耳にするコロナ禍での言葉であり、外出を自粛する緊急事態宣言の事を指しているようにも思える。
「Jamる町」とは混乱している社会という事なのです。 正論も常識も意味を持たない都会ではなく、 正論も常識も意味を持たないインターネットの世界であり、その世界の方が好きでもあるし、緊急事態によって町に出かける事も少なくなったので、都会にサヨナラするという意味なのです。
ここでの引き籠り(ひきこもり)は緊急事態宣言が出た事による外出自粛のことなのか? 何かしらの理由(いじめやパワハラ)で引きこもりになってしまったのか?が問題になりますが、 ここでは緊急事態宣言のための自宅待機による引きこもりが9割ぐらいあると推察出来ます。
家に籠ることが正義だとわかっていても、誰にも会えないことで薄れていく人間関係。
人と顔を合わせない日々が続き、だんだんと親しい人たちの顔がぼやけていくような寂しさが募っていきます。
相も変わらずJamる街 止まぬNervousに 拐われないで 「Jamる町」とはどういう事なのか? 「jam」は英語の意味は混雑するとして使われますが、「Jamる」はコピー機が紙詰まりを起こしてしまった時によく使われる言葉で、混雑するという意味より何かしらのトラブルの意味が込められていると私は推察します。 できるだけの外出自粛、人との交流しない事が必要とされる現在の状況において、沢山の人でパーティをしている画像をSNSに投稿しようとする人ももうほとんどいないでしょう。
8この歌詞に込められた意味がわかれば、かなりの事がわかってくるのです。 そんな中、神経質になってしまうのも無理はありません。
そしてその他に「時がきた今!」と言える人は、引きこもりまでとはいかないけど、インドア派の人で、昔何度もアウトドア派の人に馬鹿にされた人だとも推察出来ます。
『グッバイ宣言』は、 さまざまな状況下で頑張る人たちへ捧げる応援歌のよう。
もっと深く考察すると、インターネット関係の仕事したかった、または興味を持っていたこの曲の主人公は、この家に籠もりっきりになる仕事や趣味について、友達や家族など身近な人に「不健康だ!」などと否定されていたのです。