「一般社団法人三陸アーカイブ減災センター」の秋山真理代表はこう話す。
浅田政志さんは震災が起きた後、写真展を開いたことのある青森県八戸市に行かれたそうですが、その後沿岸沿いを南下し、たまたまここ野田村にいらっしゃり、 そのままボランティア活動をしてくださったそうです! 今日いらしてくださった皆さん10名ほどでしたが、 東京からだったり、八戸からだったり、北海道からだったりと遠方からも。
結局、写真は見つからなかったが、久しぶりに故郷の昔の姿に思いを巡らせた。
しかし、年々探しに来る人が減る中、震災後10年の節目を機に、21年2月末で終了することを決めた。
また'18年の西日本豪雨でも写真をきれいに洗浄して、地域の人にとても喜ばれました。 その後は、規模を縮小しつつも続けられてきましたが、最近は訪れる人が減少し、各地でその役目を終えようとしています。 それをボランティアの皆さんが洗浄し、展示し、さらに探しやすいように選別したりファイリングしたりしてくれたそうです。
それらの「思い出の品」の返却事業は、「心の復興」事業として続けられてきたが、震災から10年がたち終了するところが多い。 しかし、、年々探しに来る人が減る中、震災後10年の節目を機に、21年2月末で終了することを決めました。
おもいでかえる理事の丹野ゆみさんは「ここには買い替えることができない写真がたくさんあり、その写真にまつわるエピソードや思い出は持ち主の方にしか分からない。
中には、めでたくアルバムを見つけお持ち帰りになった方もいらっしゃいました! 野田村に何度か来てくださっている、写真家の浅田政志さんが記念写真を撮っていらっしゃいました。
市とNPO法人が2011年から毎年、実施してきましたが、今回で最後となりました。
市内ではまだコミュニティーがしっかりしているので、見つけた人が心当たりがある人に伝えてくれることもあります。 写真を見る喜びよりも、悲しみのほうが勝ってしまうのです。 本棚と大量の本と土砂でいっぱいだった館内もこのとおりきれいに。
14「何もかもなくなったので、1枚でも取り戻せたらと思って」 震災直後に見つかった「思い出の品」は、写真100万枚、記念品や位牌(いはい)など1万8千点。 もちろん、災害時に限らず、他に用途があれば是非ご活用いただきたいと思います。
津波で流された写真など思い出の品の返却事業が役割を終えようとしています。
しかし、もし起きたら、このノウハウを広く役立てていただきたいという観点から、開発したプログラムや担当スタッフの気づきなど、多面的な情報を包括した「活動の記録」をWebサイト上に本日3月9日に公開いたします。
スナップ写真や、お子さんや結婚式などのすてきな記念写真もあるんですよー。
皆さん、とっておきの写真を選んでまいります じっとりぬれてカビているものも。
事業をいつまで続けるべきか、市は震災5年目以降、議論を重ねてきたが、復興も進み、来場者も減っていることから、10年を区切りとするのが最適だと判断した。
'17年の北九州豪雨では、高校生が思い出の写真を救済するプロジェクトを立ち上げました。
写真の画像は全て市が保管し、所有者が見つかれば、画像データを印刷して提供する方針だ。
そして、野田村役場のすぐ近くにある小林フォトさんの方では・・・ 東北地区の写真館の団体「東北PGC」さんによる、写真復元サービスが行われました! 津軽衆有志野田村支援隊さん、ありがとうございます。 損傷がひどくて廃棄した分を除き、写真68万9千枚、物品1万3300点が遺族らの元に戻された。
13いくらソフトがあるとはいえ、これは手間がかかる作業でしょう。 洗浄、デジタル化した写真枚数は、合計で40万枚を超え、震災後4年間でこのうち約9万枚を5カ所の写真センターを通じて返却しました。
「お祭りで使っていた小道具は陸前高田のお祭り道具ではないものもあります。
事業終了後、持ち主の見つかっていない写真11万枚は、市内美術館に民俗資料として移管。
泥まみれの写真にランドセル……岩手県陸前高田市にある「思い出の品」返却事業のリアル。
(この集まりは2度目だそう) 集まった仮設住宅の皆さんも、賑やかに談笑してとても楽しそうでした。 震災直後から被災地に入り、取材を重ねてきたジャーナリストの渋井哲也氏による現地からのリポート第二弾。
その後、'19年の大風19号で被災した長野市でも、写真洗浄の技術を伝える講座を開きました」(同前) まだ見つけたいタイミングではない人も しかし、どんなに写真をきれいに蘇らせたとしても、時間がたつと返却が難しくなる。
この10年、生活するのに手いっぱいで、気になってはいたものの、探しに来ることができなかったという。
結局、写真は見つからなかったが、久しぶりに故郷の昔の姿に思いを巡らせた。
復興事業を請け負ってきたのは、一般社団法人「気仙沼復興協会」というところです。 同事業は、復興事業を請け負う一般社団法人「気仙沼復興協会」に委託。
今日6月1日は写真の日なんですって!知らなかったー 泥と塩水で汚れた写真は、放置しておけば変色が進み退色してしまいます。 入口にはメッセージと、かわいいのんちゃん画。
このお茶会でめでたく写真の主が分かった写真は、お名前を付けてピックアップ。
3月3日~14日(8日は除く)は、宮城野区文化センター(仙台市宮城野区五輪2)で開催する。
東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。
できる限り皆さんの元へお返ししたい」と話し、今後の保管や返却方法は市で検討するという。 持ち主の元に帰るのが、写真にとってもボランティアさんにとっても一番うれしいことだと思います! 野田村民の方はぜひぜひ、思い出の写真を探しに行ってみてくださいませね。
9陸前高田市の三陸アーカイブ減災センター(秋山真理代表理事)の常設会場には、がれきや汚泥の中から見つかった7万点が今も残る。
被災された方は、探したいと思ったらいつでもご覧になることができます。
リコーグループは、これからも「imagine. 『ルポ 平成ネット犯罪』(筑摩書房)ほか著書多数。
市内の複数の閲覧会場には、被災者1万人以上が探しに訪れ、約70万点が持ち主に返された。
写真は、宮城野区・若林区、サイズ、集合写真などに分けたアルバムやカタログのほか、会場内のパソコンでも閲覧できる。 拾得物データベースを閲覧できる「市東日本大震災遺構・伝承館」に訪れる人はここ数年、月に数人だったが、終了の知らせを聞きつけ、11月は20倍程度に急増した。
。 位牌などは供養と魂抜きをして処分する。
写真や物品のデータをリスト化して、そのファイルを市内の美容室などに置いた。
皆さんは、1枚でも多くの写真が持ち主の元へ帰るよう活動されています。
写真と共に思い出もよみがえったらいいなと思っているので、まだお越しになっていない方、迷っている方、一度探された方も足を運んでいただければ」と呼び掛ける。