アンダー カレント。 アンダーカレント【オススメ度10】

ビル・エヴァンス、ジム・ホール『アンダーカレント』を聴く

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ヴァイブラフォンをフィーチャーした室内楽ジャズのクールな感触に、ヴァディムは水との親和性を求めていたのかもしれない。 そして、このセッションで演奏した曲のひとつが、「スケーティング・イン・セントラル・パーク」だった。

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window. しかも、フルボリウムで。

ビル・エヴァンス、ジム・ホール『アンダーカレント』を聴く

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しかし、そのなかのふたり(スティーヴ・ブラウンとサム・ブラウン)はオーケストラ・セッションで顔を合わせただけで、実質的には1976年5月録音の『クインテッセンス』(ファンタジー)で共演したケニー・バレルしかいない。 もう1枚は、まだ作ったことのなかったソロ・ピアノ・アルバムにすることを決めた。 『アンダーカレント』を製作したレーベル、ユナイテッド・アーティスツは、もともと同名の映画会社がサントラ盤を発売するために設立した会社である。

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現実はその逆なのだろう。 柔らかでスイートなトーンが、ピシリと決まったギターの音像から活き活きと送り出される。

アンダーカレント【オススメ度10】

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とうとうスタジオの仕事を続けられなくなり、ついにホームレスとして生涯を終えたという。

また、光と水の揺れを描写した裏ジャケットは、ユナイテッド・アーティスツ・レコードのアート・ディレクターをしていた画家のフランク・ゴウナの作品である。

アンダーカレント (UNDER CURRENT)

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スタジオとピアノ エヴァンスは、リヴァーサイドへの初録音でありファースト・リーダー・アルバムでもある『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』以来、リーダーであるかサイドマンであるかを問わず、リヴァーサイドの録音セッションにはリーヴス・サウンド・スタジオを使っていた。

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1962年にこのレコードのカッティングを担当したエンジニアは、カッティング・マシンの前で、さぞかし頭を掻きむしったことだろう。

アンダーカレント【オススメ度10】

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しかも、スタジオで時間を超過して演奏しても、その分の払いなどなかった。 かと言って、RCAやコロムビアのようなメジャーレーベルは、基本的にモダン・ジャズに関心がなかった。

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オリジナルのユナイテッド・アーティスツ盤を聴いても、ステレオだろうがモノだろうが、再発盤より少しはましな程度で、のっぺりと平面的な音はあるべき迫力に欠けている。

アンダーカレント【オススメ度10】

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このセッションが陽の目を見たのは1984年で、エヴァンスのリヴァーサイド全録音を集めたコンプリート・ボックスに収められていた。 バレルはアーシーな表現から抑制の効いた演奏までを楽々とこなすヴァーサタイルなスタイルの持ち主で、エヴァンスとの相性がとても良好だったことは疑いがない。 前者は5月に録音された『アット・シェリーズ・マン・ホール』となり、後者は、1月に録音は終えたものの未発表に終わった。

しかし、そんな昔の録音にも恩恵があった。 ストーリーのその後を想像せずにはいられません。

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というのも、この日はセッションがダブルブッキングになっていて、ルイスは『ジャズテットとジョン・ルイス』(アーゴ)の録音セッションにコンダクターとして参加していたのである。

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音楽全般やオーディオについての執筆と翻訳を手がける。

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オリジナルのユナイテッド・アーティスツ盤を聴いても、ステレオだろうがモノだろうが、再発盤より少しはましな程度で、のっぺりと平面的な音はあるべき迫力に欠けている。

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マルコム・アデイやロン・マクマスターがこの異常な大量の低音をマスタリングで切ったのも当然の処置だろう。 しかし、その真価の全貌を聴くには、オリジナル盤でも再発盤でもなく、1986年に東芝EMIが世界に先駆けて出したCDを、大型の良質な装置で聴く必要がある。