反対に、 市場調査を調査会社に委託する、市場の開拓を現地企業に丸投げする、という例をよく耳にするようになった。 早稲田大学卒業後、会社勤務の傍ら執筆を続け、1958年(昭和33年)、小説「あざやかなひとびと」で第7回文學界新人賞を受賞。 おもしろい、いい小説だからベストセラーになったのであって、失敗作がベストセラーになるなんて話、あまり聞いたことがないのですが・・・ 『沈まぬ太陽』の文学的評価はさておき、週刊現代の記事で驚かされるのはモデルとなった小倉氏への誹謗中傷です。
6フィリピンを舞台に、日本の商社マンの姿を描いた経済小説「炎熱商人」で57年に直木賞を受賞した後、日本航空を退社した。 これだけのテーマが詰まった壮大なスケールの物語は他にないのではないのでしょうか? 話は変わって、僕のゼミの夏の課題は、「わたしのアジア本」というテーマでアジアに関する本を一冊読み、プレゼンで実際に、「読みたい!」をどれだけ獲得できるか勝敗を決めるというもの。
『われら海を渡る』文藝春秋 1980 のち文庫• この夏イチオシの一冊、深田祐介さんで、「炎熱商人」でした。
日本兵がフィリピン人を捕虜にしている場面を想起させるお祭りと、アジアを彷彿とさせるローカルマーケット。
(小説のなかでも強烈に考えさせられる一説があったから引用しておく。
葬儀・告別式は親族で行った。
『深田祐介の東西旅案内』新潮社, 1982 のち文庫• 『ビジネスマン新人学』 1986• 12人のリーダーたち』 1986• フィリピンなど、貧しい労働者で溢れかえり、材木の原産国にしか過ぎないと考える鴻田貿易の日本本社は過酷な要求をマニラ支店に次から次へと要求し続ける。 東京都出身。
『ワーキングガールナウ』集英社 1990• 家電メーカーは市場の規模や水準だけでなく、現地の流通制度や庶民の生活様式まで丹念に調査していた。
読了後の虚脱感ともやもや とっても読み応えがあったし、なにせ5年越しの想いがのっていたから、それを裏切られなかった内容であったことは確かなのだけど、それ以上に、なんともいえぬ虚脱感ともやもやに襲われました。
週刊朝日にしろ、この週刊現代にしろ、『沈まぬ太陽』を批判しているのは、日本航空の経営サイドにいた人ばかり・・・というのは、気のせいでしょうか。
『神鷲(ガルーダ)商人』新潮社, 1986 のち文庫、文春文庫• 『新・さらりーまん野戦学』講談社, 1983 のち文庫• 『北朝鮮・狂気の正体 金王朝の謀略と崩壊の行方』 扶桑社 2003• 82歳没。
『歩調取れ、前へ! その間フランクは、戦時中の幼少期の記憶を何度も蘇らせるのである。
「餅は餅屋」の視点での市場調査で十分である。
しかし当然理想ばかりでは陳腐な物語にしかならない。
大戦期に旧マニラ日本人小学校に通ったフランクこと「佐藤浩」は、日本憲兵隊の「馬場大尉」にひどく慕われて、また浩は大尉を生涯の師のようにして付き添った。
『新日本人事情』講談社 1988 のち文庫•。
『鍵は朝鮮半島にあり! 『金正日亡命』 2005• 『決断は我にあり』講談社 2000 「決断」文庫• 物語は、1971年のニクソンショックまでに飛躍的な成長を遂げた日本の、とある木材会社「荒川ベニヤ株式会社」と、材木取引(ラワン材)を仲介する「鴻田貿易」、肝心な材木の原産地であるフィリピンの現地会社と関係者達を中心に進められます。
特記事項 日本航空の機内誌『ウィンズ(Winds)』で長年対談連載のホストを務めていた。
『対談・新西洋事情』[講談社]] 1977 のち文庫• 『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』文藝春秋 1991 のち文庫、「大東亜会議の真実」• 以 上. ところがどっこい、我慢して読んでいるうちにどんどん物語のスケールのでかさと深さにはまってしまい、本を読んで泣いたことのなかった僕が、気がつけば終盤で号泣していました。
ところが、新興国・途上国の市場開拓への派遣人材を選定する際に、TOEICなどの英語力を重視してはいないだろうか。
『深田祐介の最先端ウーマン学』 1986• 著作 [ ]• 「著しい偏向」とは一体どういう意味なのでしょう。
9『男の本音 対談』 1984 「男のホンネ」• ほかの作品に、堀ちえみさん主演でドラマ化され大ヒットした「スチュワーデス物語」や「革命商人」「新東洋事情」などがある。 1970年代後半から盛んな執筆活動を再開、1976年最初の著作であるエッセイ『新西洋事情』で、第7回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
本書は、JAL女子バスケ部員たちを題材にした物語。
CAを中心としたJAL女子バスケチームの発足から、韓国を代表する名監督である 林永甫氏を招聘してリーグ優勝を争う黄金期を築き上げるまでの物語。
この話は、 単なる一商社の話ではなく、岸信介首相やスカルノ大統領が関与していて、戦後日本の根幹となる日本-インドネシア間の経済関係・政治関係・外交関係、全ての根源が形作られた起源話です。
語調を戻して、(ごほごほ) 不意に、去年フィリピンで撮ったこんな写真が頭に浮かびました。 答えの一つは、なんとも救われぬ切ないエンディングによるものなのだと思うけど、それとは別に、深田の親分から投げかけれてる問題意識が、この発生源なんだと思う。
『地球味な旅』新潮社, 1992 のち文庫• もしまだこの本を読んでいないのであれば、ぜひ読んでみて下さい。 これは敵に拠る、という旧陸軍のの発想とどこか似かよってはいはしないか。
『日本悪妻に乾杯』文藝春秋, 1978 のち文庫• 経済や企業論理に精通した経済作家です。
受賞歴・候補歴• 糧は全線で全線の責任において調達せよ、しかし勝たねばならぬ、という発想と、資金は現地で、現地の責任において調達せよ、しかし儲からねばならぬ、という発想といったいどこが違うのか。
フランクの中では、戦後を生きる小寺と戦中の馬場大尉がどうしても重なってしまう。