2006年4月、酒井政利のJポップの歩み(古賀ミュージアム)にて。 1971年暮れので新人賞を受賞し、同年の『』にも初出場。 () - アルバム『The Reborn Songs 〜シクラメン〜』収録。
11秋の午後 カヴァーした主な歌手 [編集 ]• 21、ソニーレコード)参照。
色づく街• には、"Cynthia" 名義でとしての活動を1曲のみ行っている。
集『Hello! 本楽曲で『』に出場をした(通算3回目)。
- 70年代・80年代にヒットした女性ヴォーカル・ソング集 脚注 [ ]. 『』(フジテレビ) 1974年11月12日 - よしだたくろう、かまやつひろしとともに出演 1975年5月13日 - 、とともに出演 1976年9月28日 - あおい輝彦とともに出演• 紀信との間には3人の息子をもうける。
発売の「」ではが作曲を担当。 (笑) 1991年(平成3年)の年末の紅白歌合戦に、30代後半で、久し振りに出てこられたときは、シンシアも結婚して、ママさんになったんやなぁ、あゝ通り過ぎたんやなぁ~と、時の流れを感じたものです。
葉山ユリ(1974年) - アルバム『私はシャンソン』収録。
秋の午後(3:32) 収録作品(LP・CD) [編集 ]• 義父はが故郷で、後にの軍属として沖縄に来ている。
M-5• 後に同社より『ガサコ伝説 -「の時代」の仕掛人-』のタイトルで2010年に書籍化された。
あゝ少し大人過ぎるみたい 身体的にも精神的にも、異性への関心が自然と高まりゆく思春期の頃から、親子の関係も大きく変化していきますが、ことに、親子間が、異性か同性かでも、大きく異なることでしょう。 信徒で、英語名「(Cynthia 月の女神、蟹座の守護神の意)」を愛称としている。
デビュー時の南のについて、のは「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と述懐しており 、の酒井政利は「そのタイミングは、南沙織が持つ気運のひとつであったのではないか」と著書で書き記している。 はMHCL-4。
現役時代 1971年の春、前の沖縄から母親と二人で上京。
そして「詩心を大いに刺激した」という南のために書かれた詞の中から、「」がデビュー曲として採用され(タイトルはによる)、に「ソニーのシンシア」のを持って歌手。
21 洋楽カヴァーで構成された では「やさしく歌って」に改題 2 83. 本楽曲で『』に出場をした(通算3回目)。
母の勧めでのクライスト・ザ・キング・インターナショナル・スクールに通った。
「17才」は当初「誰もいない海」というタイトルが考えられていたそうだが、酒井の発案で替えられた。
また、『』に特別出場した際もこの曲が歌われた。
この「色づく街」は、1973年(昭和48年)、南沙織さんの9枚目のシングルとしてリリースされ、この曲で第24回NHK紅白歌合戦出場、その後学業専念を理由に引退して、篠山紀信と結婚、1991年(平成3年)第42回NHK紅白歌合戦に出場して、この曲を歌唱しています。
『』(2008年10月16日発行、第63巻39号・通巻3137号)内に掲載されたシンシアの寄稿で明かされている。 1971年暮れの『第13回日本レコード大賞』の新人賞を受賞し、さらに大晦日の『第22回NHK紅白歌合戦』にも初出場を遂げる。 南沙織「17才」「色づく街」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト ソニーミュージック 南 沙織公式サイトはこちら 【著者】鈴木啓之 すずき・ひろゆき :アーカイヴァー。
11デビューから35年を経て発売されたCD-BOX『Cynthia Premium』の外箱には、同様に蟹座のマスコットがプリントしてある。
(南沙織公式ページ). シンシア自身も「南沙織の代表曲のひとつ」とコメントしている程である。
07 歌手デビュー30周年記念メモリアル特別企画 日本の音楽CD-BOXで初めてが収められた 3 04. また、『』に特別出場した際もこの曲が歌われた。
CBS・ソニー社長との顔合わせを経て、デビューに向けたプロジェクトが開始された。
それら映像は、発売の35周年CD-BOX『』に収められたでも見ることが出来る。 01 提供の「黒い瞳」収録 ライヴ・アルバム タイトル 発売日 主な収録曲 録音会場 1 74. その中でこんな傑作が生まれてしまうのは、どれだけ彼女を囲むスタッフが優秀なチームであったかが窺い知れる。 青い枯葉かむ代わりに、青汁を飲むようになったいま。
素直に喜べなかった。
- Sony Music Shop 脚注 [ ]. (笑) 愛のかけらを抱きしめたり、男や女になる気がする、さよならはその日のしるしの色づく街としての記憶ならば、やはり京都の嵐山などや、奈良の奈良公園あたりなどが、やはり記憶として強いのかもしれません。
通常のCDショップのほか、コンコース等の即席CDショップで販売されていることも多かった。
本人が「テレビよりもファンと直接触れ合えるコンサートが好き」と語っていたように 、芸能活動の多くは音楽活動に費やされ、テレビドラマや映画出演などの女優業はほとんど行わなかった。
(1982年) - シングル『色づく街』収録。 ただしデビュー当時の1971年、製作の『』に、主人公・鏡京太郎(、当時・柴本俊夫)の恋人・ユミ役で出演したことがあり、翌年にも柴が主演した『』()の第6話にゲスト出演している。
2- 1971年 - 1973年。
日経産業新聞2014年12月12日付「仕事人秘録 スターは世につれ 音楽プロデューサー酒井政利氏」より。
星座が「」であることから、デビュー曲「17才」のジャケットの写真にも「蟹座」のデザインのシャツを着用しているほか、発売時のキャンペーンでは蟹のマークのシールが配布されていた。
そして年を経るごとに、思い出たちは丸くなっていくような気がします。
2000年以降 6月、歌手デビュー満30周年を記念した完全生産限定『』が発売された(5枚+1枚の全6枚組)。
17集『Hello! 放送の『』には、デビュー年の1971年から引退前年 の1977年まで連続7回の出場を果たし、現役時代フル出演となった。 30周年となった、「」(付)ので沖縄への思いを語ったほか、7月には姿で被写体となった新聞広告(撮影: 篠山紀信)が掲載された。
CDジャケットの衣装を着衣している姿は、シングル「 」(1973. 藤沢和美・著、ベスト・アルバム『』(1998. 作詞: 、作曲: 、編曲:• また、この曲での歌唱賞を受賞。
』収録。
以後、やなど、系のライターも起用するようになった。