しかし、感情を語れば感情が伝わるのではありません。 私は、それまで石川さゆりの歌は、数多く集めたレコードやカセットで聴いていたのですが、ちょうどタイミングよく、1992年に20周年記念で発売された、石川さゆり全集「道」が、私が初めて買ったCDとしての、彼女のオリジナルアルバムでした。
17後から聞きましたが、この「見送りテープ」の習慣は、後日転落事故があったとかで廃止されたとのことですが、本当でしょうか。 そしてもちろん、歌うのは歌唱力・表現力抜群の石川さゆり。
彼女が目にした 津軽の光景は、孤独とそれに負けない強さが必要であることを痛感させたのだとも解釈できます。
この時は更に函館へも足を延ばしています。
桟橋から夕暮れの陸奥湾越しに遠く浅虫温泉らしき灯を見たのも忘れられません。
そして筆者が最も重要な部分だと考えるフレーズが 「さよならあなた 私は帰ります」です。 「鴎」がこごえそうになっていると見えたのは、女性自身が 東京で辛い思いをし、鴎に自分を重ねて涙したのでしょう。 一方で北海道は憧れの地という歌もあります。
投稿: 芳勝 2018年5月 6日 日 21時05分. ピッチが完璧じゃないことに魅力があるんです。
作編曲した三木たかし氏は、冬の津軽海峡の厳しい寒さ・海の荒さをイメージしてこの部分を作ったそう。
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動詞は「降りた」だけですが、「上野発」「夜行列車」「雪の中」という、全て「動き」のある言葉が使われています。
わたしは見送る人もない一人旅でしたから、余計印象に残っていたのかもしれません。
完璧なピッチを求められるオペラシンガーと違って、ダイレクトに感情が伝わってきます。
しかし普段人が感情を伝えたい・わかってほしいと強く思う時、多くはその感情表現に力を注ぎます。
わたしの故郷で起きた大地震でしたが、家族は既に埼玉の方に越して来ていましたので、身内の安否を心配する必要はありません。
しかし歌詞全体の雰囲気からすると、筆者にはどうにもしっくりきません。
本名・ 石川 絹代(いしかわ きぬよ)さんは 熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)出身です。
タイトル『津軽海峡・冬景色』とは タイトル 「津軽」は 津軽地方(つがるちほう)に由来し、現在の青森県西部を指しています。
小学校1年の時に 島倉千代子さんの歌謡ショーに感動したことをきっかけに歌手を志したようです。
それでも古びないこの歌を聴けば、昭和の北国の雪景色と凛とした女性の姿が目に浮かんでくる。
さゆりさんはそれを意図的にやっている。 翌年、念願の北海道一周をすべく再び青森に向かいましたが、台風の影響で函館本線が不通になって青函連絡船も欠航になっていました。 同曲は今年の紅白でも披露されます。
3さゆりさんの歌のうまさは誰もが知っていますが、歌のうまさと完璧なピッチとは全く別物。 (歌詞は2番の文字が大きく表示されています) 連絡船が通っていたときの時間が、今となってはたいした時間ではないのではないかと思うような気持ちにさせていただいたひと時でした。
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という類の話があります。
三田 マーティさんは、この曲とどのようにして出会ったのですか。
もう1つは「あなた」を 彼女自身としてみる考え方です。 10代の終わりからさゆりさんが歌い始めて、30歳くらいでやっと追いついた気がします。 三田 そうですね。
18歌詞は竜飛崎の回想までで、青函連絡船上の津軽海峡で北海道に帰る女性の心情を吐露させて終わる。 これがベースとなりその後のメロディーが作られていったことを考えると、イントロはこの曲の核と言っても良いのではないでしょうか。
ありふれた自己満足の感情表現より、たった一人の誰かの心にワープできる物語の方が、なぜだか人々の心に響いてしまうのではないでしょうか。
デビュー後も、TBSテレビ系「第19回日本レコード大賞」歌唱賞や、フジテレビ系列「FNS歌謡祭」グランプリ、最優秀歌唱賞、最優秀視聴者賞など数多くの賞を受賞してきました。
朝方目覚めた私は、噴火湾から眺める北海道の景色の明るさに目を奪われ、ブラキストン線の南北ではこれ程景色が違うものかと思いました。