作曲は、当時のクラシック畑の前衛的作曲家、黛(まゆずみ)敏郎、 黛さんの歌謡曲は、他に美空ひばりちゃんの「お針子ミミーの日曜日」があり、こちらはシャンソン風のいい歌で、リュウちゃんもカラオケでよく歌いますが、 「カルメン純情す」はあまりにもメロディが過激なので、未だにカラオケで歌った事がありません。 夜がわらっている(作詞:、作曲:船村徹、1958年) - 90万枚• 放送では当初、声楽家・が起用されていたが、コロムビアからレコードが発売されるにあたり、織井に白羽の矢が立った。
5(作詞:、作曲:、1953年) - 110万枚 、200万枚超 とも• このうち、・・は織井の歌のラジオ中継の音声が現存し、は織井の歌の映像が現存する。
最近、関西のテレビのバラエティ番組で、カラオケ談義のトークショウがありましたが、その中でリュウちゃんより少し年上の、元TVデイレクターのオジさんが、「歌謡曲通の前で、ありきたりの歌を歌っても面白くないので、そういう時には、「カルメン純情す」を歌って歌謡曲通の諸氏を煙に巻くのです」なんて発言をしていましたが、リュウちゃんもカラオケをやる時には、誰も知らない歌を歌って、周りの人を煙に巻くような悪癖が多少ありますが、さすがに「カルメン純情す」までは行きませんでした。
こうなったら、行掛かり上、歌謡曲の創成期まで一気に踏み込みたいと思います。
このうち、・・は織井の歌のラジオ中継の音声が現存し、は織井の歌の映像が現存する。
に入ってからも、「」や「年忘れにっぽんの歌」などに定期的に出演し、亡くなる直前まで活躍した。 並外れた声量とテクニックで、乾いた翳りの感性をダイナミックに表現して、 独自の世界を築き、昭和27年「カルメン純情す」がヒット。 第40回に出場した当時は63歳11カ月で、2004年の第55回に出場した(66歳9カ月)に抜かれるまで、紅組の最年長出場歌手だった。
4第1部「昭和の紅白」に出演• この内、「君は遥かな」は佐田啓二さんの歌唱力が弱く、織井さんの歌唱も、佐田さんとバランスを取る為か、少々抑え気味で、やや影が薄い、やはり、「黒百合の歌」の圧倒的な歌唱が印象に残ります。
続く、映画『君の名は』の第2部主題歌『黒百合の歌』、佐田啓二とのデュエットである第3部主題歌『君は遥かな』もヒットし、織井茂子は全国的なヒット歌手としてスターダムにのし上がった。
(平成7年)12月31日放送のテレビ東京『』が最後の仕事となった。
リュウちゃんが、戦後生まれにも拘わらず、戦前戦後の古い歌をよく知っているのは、この母親の影響です。
今では「君の名は」と言ったら、すっかりアニメ映画の「君の名は。
「愛の灯かげ」は、昭和24年公開の新東宝映画「夢よもういちど」の主題歌です(作詞:西条八十)、この歌が発売された時に、リュウちゃんは、僅か二歳と六ヵ月、どうしてこんな古い歌を知っているかといいますと、やはり最初に述べました母親の歌を聴いていたからなのです。
に入ってからも、「」や「年忘れにっぽんの歌」などに定期的に出演し、亡くなる直前まで活躍した。
これは「 ミヤマクロユリ」だということになりますね。
織井茂子 織井茂子 (おりいしげこ) 大正15年1月10日、東京に生まれる。 1948年 (昭和24年)、先輩歌手であるのすすめもあり、芸名を本名の旧姓である織井茂子に戻して、コロムビアに移籍し、『安南夜船』で再デビュー。
17長年東京でクラブを経営していたが、と共に閉鎖。 前回、で「黒百合の歌」のことを書いておきながら、 「黒百合の歌」の記事を書いてないことに気づきました。
まー、ワタシが真知子巻きをすると、「何やってんだ?」ですが 笑 黒百合の歌 織井茂子 1970 歌詞より ニシパ 「北海の満月」の記事にも書きましたが、ニシパ 「北海の満月」では「ニシバ」 は 恋人、いとしい人、だんな、紳士、とかいう意味だそうです。
1996年1月23日に腫瘍の為、死去した。
黒百合の歌(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、1953年) - 110万枚• 昭和47年にはの作品を歌ったアルバムを発表し、話題をさらった。
に計6回出場している(詳細は参照)。
70歳没。
第10回は放送の『』の中で、織井の歌も含め全編がされている(音声はモノラル)。
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織井さんの姿をTVで見たのは、NHKなどの懐メロ番組だけで、リアルタイムで聴いた訳ではありませんが、あの圧倒的な歌唱力は、多くの懐メロ歌手(という言い方も何か変な気がしますが)の中でも、群を抜いた存在でした。
1996年1月23日に腫瘍の為、死去した。
なので、 「黒百合は恋の花」 で 「黒百合は魔物」 「黒百合は毒の花」 なんでしょうか? 「黒百合の花」は 以前、伴奏なしで歌ったのですが、かーにゃさんが伴奏を弾いてくださったので、飛びついて歌いました 笑 春樹に積極的に迫る女を思い浮かべて歌ってみました。 しかし、昭和40年代半ばごろからの懐メロブームで復活。
70歳没。
母の力は偉大なのです。
第1部「昭和の紅白」に出演• 「白いランプの灯る道」の1番の歌詞は、以下のようです(作詞:丘灯至夫) 通いなれた 歩きなれた 敷石道よ 今宵別れの霧が降る さよなら、さよなら 涙見せずに別れましょうよ 銀杏並木に霧が降る 格調高く、品のある詞、最近の演歌では、こういう格調の高い詞は見られないですね。
「君の名は」第二部では、後宮春樹が北海道に行きますが、北海道で出会ったアイヌの娘が春樹のことを好きになり春樹に迫るんじゃなかったかな。 前回の古関裕而さん特集のブログで、NHKラジオで録音した際にも、実はタイトル・歌手名を確認しないまま聴いていたのです(我ながら、何たる迂闊!)、キミちゃんには、タイトルと歌手名を教えてもらったという訳です。
20昭和28年には、岸恵子主演「君の名は」の主題歌が 爆発的なヒット(110万枚)を記録して、その声価を高めた。 脚注 [編集 ]. 作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而 歌:織井茂子 「黒百合の歌」は昭和に大ヒットした映画「君の名は」の第二部の主題歌なのですが、 映画の中でも流れています。
平成のアニメ映画「君の名は。
昭和30年代は、作品に新境地を見出し『東京無情』『夜がわらっている』などのヒットを飛ばすが、結婚したこともあり、徐々に一線から退いていった。
映画「君の名は」第二部主題歌。
異色作といえば、「夜が笑っている」も異色作ですね、この曲、歌謡界のゴールデン・コンビであります星野哲郎=船村徹の最初期の作品です、 歌詞のサビの部分、「夜がクスクスわらうから」(一番)、「夜がジロジロ見てるから」(二番)、「夜がゲラゲラわらうから」(三番)、は衝撃的なフレーズでした。 歌手も奈良さんのような品のある人は、最近はいないような気がしています。
5君は遙かな(作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、1954年) - 60万枚• また思い出したら、追加します。 昭和30年代は、作品に新境地を見出し『東京無情』『夜がわらっている』などのヒットを飛ばすが、結婚したこともあり、徐々に一線から退いていった。
あれはマネしたくなるでしょう. (昭和27年)にようやく、松竹映画『カルメン純情す』(監督:木下惠介)の同名ので脚光を浴びることとなる。
7才で童謡歌手として活躍。
映画「君の名は」の主題歌、挿入歌で、織井茂子さんが歌ったのは、全体の主題歌である「君の名は」、それと、「黒百合の歌」、それと、佐田啓二とデュエットした「君は遥かな」の3曲です。
脚注 [ ]. に計6回出場している(詳細は参照)。 リュウちゃんが歌謡曲を聴き始めたのは、そんなエッセイが書かれたずっと後ですので、ひばりちゃんも、奈良さんも同じように、いい歌だなと感じたのかも知れません。
17今回は、歌謡曲の黄金時代というタイトルで、昭和30年代の女性歌手の歌の続きを書く筈でしたが、奈良光枝さんという大好きな歌手がリュウちゃんの頭にあった為、一部戦前の世界に足を踏み入れてしまいました。
(平成7年)12月31日放送のテレビ東京『』が最後の仕事となった。
奈良さんの曲で、現在リュウちゃんが一番よく歌っている「白いランプの灯る道」は、以前のブログで、渋谷のカラオケ酒場「季味」のママ、キミちゃんから教えてもらったと書きましたが、実は曲自体は、幼児期に聴いた記憶が明確にあります。
さらに同年に『君の名は』が・主演で松竹により映画化され、主題歌として使われると、この曲は空前の大ヒットとなり、総計110万枚の売り上げを記録した。