如 才 なき こと ながら。 論語 (國譯漢文大成)/泰伯第八

清澤滿之 我信念

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

また、この年ごろ、かかる聖になり果てて、今は限りと、よろづを思し捨てたり。

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法名は如覚。

腰越状を読む

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

まだ信ぜざる前には、效能があるかなきかは、分らぬことである。 被服仕土民百姓等。 「如才なきことながら」は、「あなたはいつも間違えないけれども」と同じ意味です。

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すさまじげなるけしきなり」 と、御供の人びと見知りて言ふ。

如 才 なき こと ながら

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

先言也。 さすがに、広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変はらで、いといたう荒れまさるを、つれづれと眺めたまふ。

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十分な配慮をせず、手抜かりがあること。 しかしこのように夜に甲冑を枕として眠り、昼に弓を持って戦うことの真意は、ただ偏に亡き父君の御霊の怒りを鎮めるという長年の悲願のみにて、義経にそれ以外のいかなる望みもございませんでした。

源氏物語/橋姫

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

何が善だやら惡だやら、何が眞理だやら非眞理だやら、何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るものでない。 私が信ずるとは、どんなことか、なぜ、そんなことをするのであるか、それにはどんな效能があるか、と云ふ樣な色々の點があります。 ちなみに「妙齢」とは「若い年頃、としごろ、うら若い」という意味です。

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容貌なむまことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける。

腰越状を読む

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

〉 八之七 曾子曰:「士不可以不弘毅,任重而道遠。 (白石良夫訳, 2009, p. 中将の君、なかなか、親王の思ひ澄ましたまへらむ御心ばへを、「対面して、見たてまつらばや」と思ふ心ぞ深くなりぬる。 音読みの成り立ちは実際にはもっと複雑ですが、長くなるのでここでは割愛します また、「ご如才なきことながら」尊敬語表現ですので、その文章も全て敬語表現を使うのが一般的です。

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硯召して、あなたに聞こえたまふ。 私の信ずる如來は、來世を待たず、現世に於て、既に大なる幸福を私に與へたまふ。

論語 (國譯漢文大成)/泰伯第八

才 なき ながら 如 こと 才 なき ながら 如 こと

高杉本家の家督は末妹・の婿に迎えたが継いだ。

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然るに、私は宗教により、此苦みを脱し、今に自殺の必要を感じませぬ、即ち、私は無限大悲の如來を信ずることによりて、今日の安樂と平穩とを得て居ることであります。 「山おろしに耐へぬ木の葉の露よりも あやなくもろきわが涙かな」 山賤のおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず。