中村 哲 医師。 【追悼】中村哲医師「ペシャワールに赴任したきっかけは、原始のモンシロチョウを見たから」

中村哲医師 貫いた志

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戦乱のアフガニスタンで人道支援に尽くし、昨年12月に凶弾に倒れた故中村哲医師のドキュメンタリー番組「カカ・ムラド~中村哲の信念~」が29日未明、テレビ西日本(TNC)で放送される。 現地映像や関係者のインタビューを通して、砂漠を緑に変えた中村医師の思いと業績が丹念に描かれている。 「カカ・ムラド」は現地の言葉で「中村のおじさん」や「情熱おじさん」という意味。 住民が中村医師のことを親しみと敬意を込めてそう呼んでいたという。 番組は4カ月間にわたる取材を重ねて制作した。 1984年にパキスタンの病院に赴任した後、隣国アフガンでも医療事業を進め、大干ばつを受けてかんがい事業も展開した足跡を紹介。 幼い頃に過ごした北九州市若松区なども舞台に、信念の「原点」にも迫った。 活動当初からの映像を軸に、中村医師のいとこや、活動を支えてきた福岡市の非政府組織(NGO)「」スタッフのインタビューを交えて構成した。 昆虫に夢中だった幼少期の表情や、危険を顧みずに川に入って作業の場所を指示し、迅速に工事を進めないと「飢え死にする患者が増えます」などとスタッフを督励していたという逸話も紹介されている。 放送は29日午前1時~同1時55分。 担当したTNC報道部の藤野龍太記者(26)は「中村医師を突き動かした心の芯の部分を感じ取ってもらえればうれしい」と話している。 (中原興平).

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中村哲医師が銃撃され死亡 アフガニスタンで復興支援活動に従事してきた日本人医師、中村哲氏が銃撃され死亡した。 現地メディアは、中村氏の乗っていた車が銃撃され、運転手1人と警備担当者4人が死亡したと報じ、事件の発生したナンガルハル州の知事報道官がその後、中村氏の死亡を発表した。 アフガニスタンで襲撃され死亡した中村哲医師(画像提供:ペシャワール会) アフガニスタンのイスラム武装勢力タリバンの報道官ザビーフッラー・ムジャーヒド氏はツイッターで、この攻撃についてのタリバンの関与を否定した。 しかしその真偽は明らかではない。 またタリバンが実際に無関係であった場合も、別のイスラム過激派の関与は否定できない。 アフガニスタンの、特に事件があったナンガルハル州は、「イスラム国」勢力が強いことで知られているからだ。 事件が発生したナンガルハル州ジャララバード 勢力を拡大させる「イスラム国」の存在 「イスラム国」は2015年1月、アフガニスタンとパキスタンにまたがる地域に「イスラム国・ホラサーン州」の設立を宣言した。 アフガニスタンの「イスラム国」は去年、首都カーブルだけでも20件以上のテロ攻撃を実行した。 今年8月には、カーブルの結婚式会場で自爆テロを行い、63人が死亡した。 アメリカは2001年の米同時多発テロ後、タリバンがアルカイダを匿っているとしてアフガニスタンに軍事侵攻して以来、現在も1万3000人の兵士を駐留させている。 米軍駐留の継続の必要性を主張する人々があげる理由のひとつが、この「イスラム国」の存在だった。 彼らはアフガニスタン政府軍もタリバンも、「イスラム国」を倒すことはできないだろうと踏んでいたからだ。 アフガニスタンではタリバンと政府軍の戦いが続いてきたものの、長年「よそ者」の侵入は阻まれてきた。 しかし「イスラム国」は確かにアフガニスタンに入り込み、間違いなく勢力を拡大させ、一部では支配領域も獲得した。 中村さんが銃撃されたと思われる現場(現地メディアのツイッターより) 今年に入り、アフガニスタン政府軍はアメリカ軍と共に満を持して掃討作戦を実施し、アフガニスタンのガニ大統領は11月、ナンガルハル州の「イスラム国」を壊滅させたと宣言した。 一方アフガニスタン駐留NATO軍のミラー司令官は今月1日、「イスラム国」はアフガニスタンで領土を失いはしたが、各地に多数のスリーパーセルがある以上、変わらずアフガニスタンの脅威であり続けるだろうと警告し、シリアとイランで「イスラム国」が領土消失後もテロ活動を継続していることを実例として挙げた。 中村さんが乗っていたとみられる車の窓ガラスに残る銃弾による穴(現地メディアのツイッターより) 「イスラム国」の問題は、ある地域で「イスラム国」の領土を奪還しても、多くの戦闘員を殺害しても解決されない。 ことも、10月の米作戦によるバグダーディーの死によって明らかになった。 米国務省のセールス・テロ対策調整官は、「イスラム国」イデオロギーが広まり続ける限り、「イスラム国」はアメリカにとって最大の安全保障課題であり続けると述べ、バグダーディーが死んでも「イスラム国」の壊滅はなお遠いと指摘した。 イスラム過激派をテロへと駆り立てるものは 「イスラム国」やアルカイダといったイスラム過激派の原因は、アメリカの中東政策のせいだとか、大戦後にヨーロッパ列強が中東に国境線を勝手に引いたせいだとか、それ以前の植民地支配が原因だ、といった「外部原因説」を唱える「有識者」は非常に多い。 しかしこれは誤りだ。 それらは確かに、イスラム過激派勃興の要因のひとつではある。 しかしイスラム過激派をテロへと駆り立てている根本にあるのは、ジハードというイスラム教の教義に由来するイデオロギーなのだ。 そのことは米国務省だけではなく、イスラム過激派テロと前線で戦うあらゆる国の当局者たちの共通認識である。 アフガニスタンで「イスラム国」が勢力を拡大した要因の一つは、タリバンがアメリカと和平協議を開始したことを批判し、あくまでも戦闘を継続し、イスラム法の統治する「イスラム首長国」を建国すべきだと考える強硬派がタリバンを離反し、「イスラム国」入りしたことにある。 是が非でも米軍に立ち去ってもらいたいタリバンと、アフガニスタンからの米軍撤退を成し遂げたいトランプ政権の利害は一致していたため、話し合いは思いのほか順調に進んでいるように見えた。 ところが今年9月、タリバンが米兵を殺害したのを機にトランプ氏が和平協議の中断を宣言、先週になってアフガニスタンを電撃訪問した同氏が協議の再開を発表した。 アフガニスタンを電撃訪問しアシュラフ・ガニ大統領と会談するトランプ大統領 目まぐるしく動くアフガニスタン情勢 アフガニスタン情勢は、目まぐるしく動いている。 中村氏が銃撃されたナンガルハルには、掃討作戦で大きなダメージを受けつつも、ゲリラ的なテロ活動に転じ再起をめざす「イスラム国」が存在している。 そしてもちろん、広い領域を支配するタリバンもいる。 アフガニスタンにおいて「イスラム国」とタリバンは、互いに殺し合い、武器や領土を奪い合うライバル関係にある。 しかし彼らは異教徒を敵視し憎んでいるという点においては、同じイデオロギーを共有している。 中村氏を銃撃した犯人が誰なのかはわからない。 しかし現地メディアの報道からは、同氏の乗った車が狙い撃ちにされたことがうかがわれる。 事件を伝える現地メディアのツイッターより アフガニスタンの人々に寄り添った中村医師 中村氏は長年、アフガニスタンの人々に寄り添い、復興事業に携わってきた。 アフガニスタン政府からは名誉市民権を得るほど、その貢献が讃えられてきた。 しかし異教徒を敵視しジハードを行うイスラム過激派は、外国の支援を受けるアフガニスタン政府とは敵対関係にある。 彼らが外国人に向ける眼差しは複雑だ。 長年に渡り復興事業に力を尽くした中村医師の功績は語り尽くせない アフガニスタンから名誉市民権も授与された中村医師 【画像提供:ペシャワール会】.

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「よそ者」の侵入を阻んできたアフガニスタン “外国人”中村医師を狙い銃撃

中村 哲 医師

こんにちは、KAORUです。 大変胸の痛むニュースが流れてきました。 アフガニスタンで貧困層への医療活動に従事してきた日本人医師の中村哲氏が何者かに銃撃され死亡しました。 中村哲医師は「ペシャワール会」の現地代表として灌漑事業などにも携わり、アフガン政府からも「最大の英雄」と評されるほどの方でした。 日本人として、そして人間として大変立派な方が、なぜこのような最期を遂げなければならなかったのでしょうか。 本当に心が痛む現実です。 恥ずかしながら私はこのニュースで中村哲医師のことを知りました。 中村哲医師のような素晴らしい方のことを少しでも多くの方々に知っていただきたく、記事を書かせていただきます。 ということで今回は『 中村哲医師の家族や経歴と生い立ち数々の功績・勲章や名言も』題しまして、中村哲医師の家族や経歴と生い立ち数々の功績・勲章や名言についてお届けしていきたいと思います。 それでは本題に入らせていただきます。 Contents• 中村哲医師の家族や経歴と生い立ちと数々の功績 【中村哲さんに聞く】「憲法9条が僕らを守ってくれてる。 政府側もタリバンも我々には手を出さない。 むしろ、守ってくれている」 — 海外の反応アンテナ 相互フォロー pDpzEAjyctlrsgy 中村哲(なかむら てつ)氏は1946年9月15日生まれ。 享年73歳でした。 福岡県福岡市出身で九州大学医学部を卒業後は国内病院に勤務しました。 中村哲氏は若い頃から「日本の医療過疎地域のために医療に従事する」という使命感を持っていたそうですが、「パキスタンやアフガニスタンの無医地域への診療」を実現することになります。 国内病院勤務ののち、中村氏は1984年にパキスタン北西辺境州のペシャワールに赴任します。 以来20年以上をハンセン病を中心とする医療活動に従事しました。 パキスタンでの活動がパキスタン政府の圧力により困難になったのち、1989年からはアフガニスタンに拠点を移し活動を続けてこられました。 また、2000年からはアフガニスタンで飲料水、灌漑用井戸事業を始め、2003年からは農村復興のための大掛かりな水路事業に携わるなど、医療以外の分野でもアフガニスタンの発展を進めてきました。 中村哲氏が灌漑用井戸事業に携わるようになったのは、2000年に発生した干ばつがきっかけでした。 大干ばつのたあめ、感染症が蔓延。 乳幼児らが多く犠牲となりました。 その惨状を目の当たりにし、井戸を掘る事業に携わるようになったといいます。 「 実際、病気のほとんどが十分な食料と清潔な飲料水さえあれば、防げるものだったから」 というのが灌漑用井戸事業に携わるようになった理由であると中村氏が著書で語っています。 さらにこの事業により200万人もの雇用を生み出すことになりました。 産業の少ないアフガニスタンの地で、若者が傭兵にならざるを得なかった現状に雇用を生み出したことは大変大きな出来事です。 アフガン政府は中村哲氏を「最大の英雄」「最も勇敢な男」とし勲章を授与しました。 中村哲氏のご家族については詳しい情報はあまり見られなかったのですが、結婚して奥さんとお子さんが5人いらっしゃるそうです。 年齢からするとお孫さんがいてもおかしくない年齢ですが、そのあたりはわかっていません。 中村哲医師の勲章や名言 中村哲医師はこれまでに数々の受賞歴がありました。 以下はウィキペディアからの引用です。 中村哲氏の著書 「天、共に在り」より 「平等や権利を主張することは悪いことではない。 しかし、それ以前に存在する『人としての倫理』の』普遍性を信ずる。 そこには善悪を超える神聖な何かがある。 」 「人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。 少なくとも私は『カネさえあれば何でも出来て幸せになる』という迷信、『武力さえあれば身が守られる』という妄信から自由である。 何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである」 中村哲氏の著書 「人は愛するに足り、真心は信ずるに足るーアフガンとの約束」より 「人として最後まで守るべきものは何か、尊ぶべきものは何か、示唆するところを汲んでいただければ幸いである。 」 以下は、 ペシャワーアフガニスタン市民証を授与されたときの中村氏のコメントです。 「日本の良心的支援とアフガン職員、地域の指導者による協力の成果。 これで文字通り現地に溶け込んだ活動になる。 私たちの試みでより大きな規模で国土が回復されることを希望する」 まとめ ということで今回は『 中村哲医師の家族や経歴と生い立ち数々の功績・勲章や名言も』題しまして、中村哲医師の家族や経歴と生い立ち数々の功績・勲章や名言についてお届けしてまいりました。 このような立派な方のことを、お亡くなりになってから知ることになったことは本当に残念です。 中村哲氏の著書を読ませていただき、少しでもその考えや精神を学ばせていただきたいと思いました。 中村哲医師のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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