空 も 飛べる はず 歌詞。 空も飛べるはず スピッツ 歌詞情報

空も飛べるはず

空 も 飛べる はず 歌詞

UtaTen自慢のコラムニスト・ライターが独自の解釈で、スピッツの曲に纏わるコラムをお届けします。 ドラマ主題歌で一躍脚光を浴びる 『空も飛べるはず』は、スピッツが1994年にリリースしたシングル。 90年代を代表する名曲の一つです。 もともと別のドラマ主題歌として制作されたこの曲ですが、ドラマ「白線流し」に起用され脚光を浴びることになります。 1995年に出した『ロビンソン』で一躍その名を広めたスピッツ。 1996年放送の「白線流し」のドラマのヒットもあり、『空も飛べるはず』は、このバンドに初のオリコンシングルランキング1位と148万枚という売上をもたらします。 幼少の頃から持っている微熱=微妙な熱い感情を下げられない「僕」。 神様のような大きな存在を恐れながらも心にナイフのような暴力衝動を隠し持っている「僕」。 しかし、そんな暴力的な面は似合わないことも、「おどけた歌」によってなぐさめられていることで「僕」は自分で理解する。 「色褪せ」「ひび割れ」ながらも、「僕」は「輝くすべ」を求めていく。 「微熱」「ナイフ」「色褪せ」「ひび割れ」。 この曲はなんとなく聴いていると心地よいだけに聴こえますが、実は冒頭からマイナス面や暗さをイメージさせる歌詞が続く曲です。 そんな状況だからこそ「輝くすべ」を求めている歌。 「僕」は「嘘」を「切り札にしてた」が、それは「見えすいた」ものだったと「満月の夜」に気付いて「やぶいた」。 「夜」に「髪のにおい」を感じられることから、「君」とかなり親密な関係になっていることが分かります。 「深い眠りから覚めて」、「僕」は見えすいた嘘をつかないようにしようと思うのです。 「君」はそんな心変わりをさせるほど、自分を「目覚め」させるほどの存在なんですね。 「君」と出会ったことが「奇跡」に感じられる。 そして、その「奇跡」は「空も飛べるはず」と感じるほどだ。 「涙」が「夢」を濡らすような悲しいこともあるだろう。 でも川の水が「海原へ」流れるように、悲しみもやがて流れたなら、「ずっとそばで笑っていてほしい」。 「飛べるはず」「いてほしい」ということは、現状では飛べていないし、そばで笑ってもらえていないことの表れ。 切実な願望の歌なんですね。 だからこそ響く。 『空も飛べるはず』には、原曲が存在します。 『めざめ』というタイトルで1993年にレコーディングされました。 アレンジや歌詞がところどころ異なります。 まず、「おどけた歌」は「懐かしい歌」でした。 「僕」をなぐさめたのは「懐かしい歌」だったかもしれない。 でも真に「僕」の心をなぐさめてくれたのは、「おどけた歌」だったのではないか。 ナイフを隠し持ったり、ウソを切り札にしてしまうような「僕」には、「おどけた歌」こそが必要だったのでしょう。 有名なサビのフレーズ「君と出会った奇跡」は、もともと「君と出会えた痛み」です。 「奇跡」は「痛み」をともなうものだったんですね。 もともとここは「やがて着替えた季節が 僕たちを包んだら」でした。 「着替えた季節」=季節が過ぎるイメージから、「ゴミできらめく世界」=きらめくほどのゴミだらけの世界=ゴミのような嫌な感情がうずまく現実世界に変わっています。 そんな現実にこばまれても笑っていてほしいと、より切実な歌詞になっているんですね。 草野マサムネは「セックスと死」が歌を作る時のテーマであると答えています。 この曲は、そんなイメージも抱かせます。 そして、曲の穏やかなイメージから爽やかな恋愛の歌のようにも思えます。 さらにドラマのイメージから卒業ソングとしてもよく歌われており、友情を歌っているようにも解釈できます。 「おどけた歌」でなぐさめるような僕にとって、「君」は「音楽」そのものだったのかもしれません。 この曲が好かれているのは、ドラマの主題歌だったからだけではありません。 ナイフやウソを大事にしていた「僕」が「君」と出会って「目覚め」、そして「空もとべるはず」と思うようになる普遍的な人の心の変化を歌っているからです。 カバーが多数存在する名曲。 それだけ多数の解釈が可能であり、多くの人の心を目覚めさせ、空も飛べるような気持ちにさせる力を持っている曲なんですね。

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82時限目:空も飛べるはず

空 も 飛べる はず 歌詞

スピッツの活動25周年および2016年全国ツアー発表を記念して、スピッツの歌詞を解釈してみる記事をあげてみる。 スポンサーリンク 今回は「空も飛べるはず」。 作詞:草野正宗 作曲:草野正宗 早速、歌詞をみてみよう。 幼い微熱を下げられないまま〜おどけた歌でなぐさめた 早速、幼い微熱とは何なのかにつまづいてしまう。 その次の隠したナイフも、おどけた歌も全てがうまく結びつかない。 ちなみにスピッツのベストアルバムに収録されている「めざめ」という空も飛べるはずのデモバージョンではおどけた歌は懐かしい歌と表現している。 いずれにせよ、このままでは解釈として埒があかないので、ひとつここでは補助線を引いてみよう。 この歌詞は、あの草野マサムネが書いたものである。 草野はずっと、死とセックスを歌詞のモチーフにしてきた。 その視点から歌詞を眺めてみれば、意味が見えてくるかもしれない。 幼い微熱とは「勃起を覚え始めた頃の幼い性欲」、神様の影とは「母親などの自分の性欲を悟られたくない目上の人」のことを指しているのではないかと予想できる。 そして、隠したナイフとは自分のズボンの中にしまって股間そのものであり、おどけた歌とはエロ本とかそういうものなのだろうと考えられるわけだ。 だから、「なぐさめた」=慰めた、と表現する必要があったわけである。 えらく下ネタな話をしてしまったが、要は異性のことを性欲の対象としてしか見ていなかった青々しい若い頃、というのが冒頭のフレーズのイメージなのではないか、ということである。 次のフレーズをみてみよう。 色褪せながら〜を求めて 色褪せながらひび割れながらとは、要は歳を重ねていくことの表現である。 輝くすべと表現したのは、職業的な意味での「夢」だけでなく、もっと大きな意味で「夢」という言葉を表現したかったからなのだと思う。 君と出会った奇跡が〜笑っていてほしい 性欲のことばかりだった若い頃の僕は、輝くすべを求めて 夢に向かって 歳を重ねていくなかで、君に出会った。 それはまさしく奇跡であり、そのことが本当に幸せなことだと思い、今は胸にあふれているわけだ。 それはまるで空も飛べてしまうほどに嬉しいことなのである。 と、そんなふうに歌詞が読めてしまうが、原曲「めざめ」では君と出会えたことを「痛み」と表現していたことからもわかるように、当初の草野の構想では、君と僕とはもう簡単には会えない関係になっていることがわかる。 だから、夢を濡らした涙が海原へ流れるまでは笑えないわけだ。 要は、現在進行形で君は泣いている。 笑う頃にはそばにいてほしいという。 今は簡単に会えないふたりが、笑う頃にはそばにいてほしいなんて言えば、草野の歌詞的には死の匂いがぷんぷんと香り立ちはじめる。 僕はもう死んでいるから、君と簡単に会うことができないとでも言うように…。 スポンサーリンク しかし、ここでは僕あるいは君が死んでいるとは明言せず、2番の歌詞をみてみよう。 切り札にしてた〜にやぶいた 切り札にしてた嘘とはどんなウソだったのだろうか。 その前に、まずは満月の夜について。 草野の詞にはよく丸いモノが登場する。 丸いモノには終わりがなく、続いていくことから円環=輪廻の印象を与えるモノとして登場させることがよくある。 そんな満月の夜に破くのだから、破くことによって「それはずっと続いていく」ニュアンスを与えたのかもしれない。 そして、前述の見え透いた嘘についてだが、嘘の内容そのものが歌詞に出てくることはないが、おそらくは僕が君に言ったセリフのことであり、それは「愛してる」とか「ずっとそばにいるよ」とかそういう類の言葉なのだろうと思う。 僕のとっておきの口説き文句というわけだ。 それにしても、ここでは破いたものを一切明示しないあたりがやらしい。 とりあえず、続きの歌詞をみてみよう。 はかなく揺れる〜から覚めて 2番で急に現実に引き戻す草野表現法、ここにも見参。 この髪のにおいはまさしく君の髪のにおいだろうし、やたらとラブシーンじみた景色が脳裏をよぎるフレーズである。 髪のにおいをかいで眠りから目覚めるなんてそういうことだろう、と思うわけだ。 で、嘘でやぶいたことで、髪のにおいを嗅ぐことになった ベッドインした ことを考えるならば、僕と君の距離は縮まったことがよくわかる。 で、ここでサビにいく。 君と出会った奇跡が〜笑っていてほしい ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも、ずっとそばで笑ってほしい、とはどういうことだろうか。 仕事とかで上手くいかなくて社会では上手に生きていけなくて君さえいればそれでいいんだよ。 そんなニュアンスだろうか。 実はここポイントなのだが、これについては後述する。 では、3番のサビをみてみよう。 君と出会った〜笑っていてほしい フレーズとして1番と3番のサビと、2番のサビで変わっているフレーズは 夢を濡らした涙が 海原へ流れたら と ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも である。 1番の歌詞をみていたときには僕の死亡説も打ち立てた。 なんせ、タイトルは「空も飛べるはず」である。 死の表現をちらつかせる草野の得意な表現がタイトルになっているのだから、僕が死んでいてもおかしくないではないか、というわけだ。 でも、めざめでは「痛み」だった君との出会いを本作では「奇跡」に言い換えたのは、この歌に希望を描きたかったからと思うのだ。 もちろん、この歌をシングルとしてリリースすることを計算しており、万人に受けそうな意味合いの歌詞に変更したという事実はあるにしても。 実は「めざめ」から「空も飛べるはず」で改変されたフレーズがあとひとつある。 それは2番のサビである、ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも、の部分である。 めざめでは「やがて着替えた季節が 僕たちを包んだら」なのだ。 着替えた季節とは四季が変わるのこと言い換えであり、要は時間が経てば、ずっと笑ってほしいというわけである。 つまり、今は泣いていることになる。 なんで? それは僕と君が離れ離れになったからであり、いまは痛みとなった出会いも、いつかはそばにきて笑えるようになるよ、というわけだ。 ということは、どっちかが死んだんだよ、となるわけである。 が、草野はこの歌詞を書き換えた。 書き換えた全ての歌詞に共通することは「君と僕が別れた 死別であれそうでないにせよ 」可能性を徹底的に消している点である。 それにより、夢を濡らした涙が海原へ流れたらのフレーズの意味合いさえも変わることになったわけだ。 「めざめ」だったら、このフレーズは君と僕と距離の遠さを表現するフレーズになっていたが、「空も飛べるはず」は違う。 みてみよう。 夢を叶えるために努力していると、涙が流れるほど辛いこともある。 その涙のせいで、夢自体は濡れてしまうかもしれないが、その涙は流れていってやがて海原となる。 その海原は、まさしく僕たちを拒んだ世界に行き着くだろう。 まるで、地球のように大陸を作っていくのだ。 そうなのだ。 ふたつのフレーズで、地球というもののイメージに引き寄せられるのだ。 満月の項でもでてきた、丸いモノのイメージ。 草野が永遠を表現させるために使うイメージだ。 そして、人間が生きているうちに出くわすもっともでかい丸いモノとは何なのか。 地球だ。 最後、草野は地球を想起させるフレーズを聞かせて、ずっとそばで笑ってほしいの思いの強さをはっきりとここで明示させるのである。 永遠にいよう、なんて言葉にしたら薄っぺらくなるが、地球規模の円環を前にすれば、妙に説得力が出るではないか。 死を考えてきた草野が、めざめで想起した死のイメージをのぞき、それでも死以外で「永遠」のイメージを描こうとしたらどうすればいいのか、そんなことを表現したのが「空も飛べるはず」なのである。 だから、一番では青かった僕は君と出会い、二番では見え透いたウソだったはずの口説き文句がいつしか本当の言葉になって、君とずっと一緒にいるための「本気の言葉」になったわけだ。 ふたつのサビを通して、その思いの本気さを伝えている、この歌はそういう構造なのである。 っていう解釈はいかがでしょうか? 関連記事: スポンサーリンク.

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UtaTen自慢のコラムニスト・ライターが独自の解釈で、スピッツの曲に纏わるコラムをお届けします。 ドラマ主題歌で一躍脚光を浴びる 『空も飛べるはず』は、スピッツが1994年にリリースしたシングル。 90年代を代表する名曲の一つです。 もともと別のドラマ主題歌として制作されたこの曲ですが、ドラマ「白線流し」に起用され脚光を浴びることになります。 1995年に出した『ロビンソン』で一躍その名を広めたスピッツ。 1996年放送の「白線流し」のドラマのヒットもあり、『空も飛べるはず』は、このバンドに初のオリコンシングルランキング1位と148万枚という売上をもたらします。 幼少の頃から持っている微熱=微妙な熱い感情を下げられない「僕」。 神様のような大きな存在を恐れながらも心にナイフのような暴力衝動を隠し持っている「僕」。 しかし、そんな暴力的な面は似合わないことも、「おどけた歌」によってなぐさめられていることで「僕」は自分で理解する。 「色褪せ」「ひび割れ」ながらも、「僕」は「輝くすべ」を求めていく。 「微熱」「ナイフ」「色褪せ」「ひび割れ」。 この曲はなんとなく聴いていると心地よいだけに聴こえますが、実は冒頭からマイナス面や暗さをイメージさせる歌詞が続く曲です。 そんな状況だからこそ「輝くすべ」を求めている歌。 「僕」は「嘘」を「切り札にしてた」が、それは「見えすいた」ものだったと「満月の夜」に気付いて「やぶいた」。 「夜」に「髪のにおい」を感じられることから、「君」とかなり親密な関係になっていることが分かります。 「深い眠りから覚めて」、「僕」は見えすいた嘘をつかないようにしようと思うのです。 「君」はそんな心変わりをさせるほど、自分を「目覚め」させるほどの存在なんですね。 「君」と出会ったことが「奇跡」に感じられる。 そして、その「奇跡」は「空も飛べるはず」と感じるほどだ。 「涙」が「夢」を濡らすような悲しいこともあるだろう。 でも川の水が「海原へ」流れるように、悲しみもやがて流れたなら、「ずっとそばで笑っていてほしい」。 「飛べるはず」「いてほしい」ということは、現状では飛べていないし、そばで笑ってもらえていないことの表れ。 切実な願望の歌なんですね。 だからこそ響く。 『空も飛べるはず』には、原曲が存在します。 『めざめ』というタイトルで1993年にレコーディングされました。 アレンジや歌詞がところどころ異なります。 まず、「おどけた歌」は「懐かしい歌」でした。 「僕」をなぐさめたのは「懐かしい歌」だったかもしれない。 でも真に「僕」の心をなぐさめてくれたのは、「おどけた歌」だったのではないか。 ナイフを隠し持ったり、ウソを切り札にしてしまうような「僕」には、「おどけた歌」こそが必要だったのでしょう。 有名なサビのフレーズ「君と出会った奇跡」は、もともと「君と出会えた痛み」です。 「奇跡」は「痛み」をともなうものだったんですね。 もともとここは「やがて着替えた季節が 僕たちを包んだら」でした。 「着替えた季節」=季節が過ぎるイメージから、「ゴミできらめく世界」=きらめくほどのゴミだらけの世界=ゴミのような嫌な感情がうずまく現実世界に変わっています。 そんな現実にこばまれても笑っていてほしいと、より切実な歌詞になっているんですね。 草野マサムネは「セックスと死」が歌を作る時のテーマであると答えています。 この曲は、そんなイメージも抱かせます。 そして、曲の穏やかなイメージから爽やかな恋愛の歌のようにも思えます。 さらにドラマのイメージから卒業ソングとしてもよく歌われており、友情を歌っているようにも解釈できます。 「おどけた歌」でなぐさめるような僕にとって、「君」は「音楽」そのものだったのかもしれません。 この曲が好かれているのは、ドラマの主題歌だったからだけではありません。 ナイフやウソを大事にしていた「僕」が「君」と出会って「目覚め」、そして「空もとべるはず」と思うようになる普遍的な人の心の変化を歌っているからです。 カバーが多数存在する名曲。 それだけ多数の解釈が可能であり、多くの人の心を目覚めさせ、空も飛べるような気持ちにさせる力を持っている曲なんですね。

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