キラーブルックス。 キラー・ブルックス

キラー・ブルックスのギロチン・ドロップ

キラーブルックス

03 放送(生) 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 10 放送 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 17 放送(生) 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 24 放送(生) 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 31 放送 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 07 放送 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 14 放送 新春チャンピオンシリーズ(日本プロレス) 1972. 21 放送, 1972. 28 放送(生) ダイナミックシリーズ(日本プロレス) 1972. 06 放送(生) ダイナミックシリーズ(日本プロレス) 1972. 13 放送(生) ダイナミックシリーズ(日本プロレス) 1972. 20 放送 ダイナミックシリーズ(日本プロレス) 1972. 27 放送 ダイナミックシリーズ(日本プロレス) 1972. 03 放送 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 10 放送 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 17 放送 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 24 放送 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 01 放送 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 08 放送(生) 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 15 放送(生) 第14回ワールドリーグ戦(日本プロレス) 1972. 22 放送(生) ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 29 放送 1972. 05 放送(生) ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 12 放送 ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 19 放送 ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 26 放送(生) 第二次ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 03 放送(生) 第二次ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 10 放送(生) 第二次ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 17 放送 第二次ゴールデンシリーズ(日本プロレス) 1972. 24 放送(生) サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 28 放送(生) 月・金、週2回放送開始 サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 31 放送 サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 07 放送 サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 11 放送(生) サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 14 放送(生) サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 18 放送 サマービッグシリーズ日本プロレス) 1972. 21 放送 サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 25 放送(生) 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 28 放送(生) 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 01 放送 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 04 放送(生) 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 08 放送 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 11 放送 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 18 放送 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 22 放送 第二次サマービッグシリーズ(日本プロレス) 1972. 25 放送(生) 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 29 放送(生) 金曜放送に 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 06 放送 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 13 放送(生) 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 20 放送(生) 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 27 放送(生) 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 03 放送 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 10 放送 第3回NWAタッグリーグ戦(日本プロレス) 1972. 17 放送(生) インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 24 放送(生) インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 01 放送(生) インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 08 放送 インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 15 放送 インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 22 放送 インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 29 放送 インターナショナル選手権シリーズ(日本プロレス) 1972. 08 静岡市駿府会館 大木金太郎 vs マンマウンテン・カノン 松岡厳鉄 vs ボボ・ブラジル アジアタッグ選手権試合 坂口征二&吉村道明 vs ジン・キニスキー &キラー・カール・コックス Favorite Cafe 喫茶店トーク.

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アメリカのシリアルキラーと家族【ワースト10】後半│アメリカ info

キラーブルックス

キラー・ブルックス プロフィール リングネーム キラー・ブルックス キラー・ティム・ブルックス "クレイジー" キラー・ブルックス ルーク・マリガン 本名 ティモシー・ポール・ブルックス ニックネーム 狂乱の問題児 身長 185cm 体重 120kg(全盛時) 誕生日?? 日 出身地 ワクサハチー トレーナー デビュー 引退 キラー・ブルックス( "Killer" Tim Brooks、本名: Timothy Paul Brooks、 - )は、の元。 ワクサハチー出身。 生年はともされる。 火のついたをくわえ動物の骨を振りかざして入場する狂乱ファイターとして知られ、試合スタイルも殴る・蹴る・凶器攻撃主体のを徹底。 参戦時以外はエース級の存在ではなかったものの、日本でも昭和期の各団体で活躍した。 来歴 [ ] (説もあり)、従兄弟のに誘われてプロレスラーとしてデビュー。 が主宰する地元の地区を本拠地に、からはが牛耳る地区にも進出。 、、、、などの陣営と対戦し、シークやともタッグを組んだ。 日本には3月にに初来日。 、、ディック・マードック、、らと共に、の第14回大会に出場した。 10月にはマードックやと共にに来日している。 帰国後の11月中旬、デトロイト地区でを起こし、シークの団体から選手を引き抜いて新団体を発足。 シークはに来日中だったが、お家の一大事のために緊急帰国を余儀なくされている。 このレスリング・ウォーはという後ろ盾のあったシークに軍配が上がり、ブルックス派はに本拠を移すが、結局はブルックスも新団体と絶縁した(この新団体は、にを初代世界王者として設立されたIWA の母体となっている)。 その後はテキサスに戻り、1975年は地区にてらと共闘し、やと抗争。 が保持していたにも挑戦した。 に・のに参戦し、3月17日にフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得。 同年11月、カルガリーと提携していたに初登場を果たす。 以降も国際プロレスの常連外国人となり、のに再三挑戦、5月9日の大会では、途中からルールをに変更して行われた。 はブラックジャック・マリガンのパートナーとして、従兄弟の ルーク・マリガン( "Cousin" Luke Mulligan)を名乗りに参戦、マリガンと抗争を展開していた、、らと対戦した。 ザ・シークとも復縁し、1980年6月28日にデトロイトで行われたワンナイト・タッグ・トーナメントにシークと組んで出場。 翌3月には全日本プロレスに再来日し、のに参加。 以降は日本での主戦場を全日本マットに移した(なお、国際プロレスは1981年8月に崩壊)。 その間、アメリカ・マットではに主宰ので活動。 から奪取したNWAナショナル・ヘビー級王座をに売却するというで物議を醸した。 は地区のサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングにて、、、らとサウスウエスト・ヘビー級王座を争った。 中盤からは古巣ダラスのWCCWに定着。 5月には、当時WCCWと提携関係にあったに来日。 のに出場し、開幕戦で同ブロックのと対戦したが、からの不戦勝以外は全敗の戦績に終わった。 、ダラスにて NAWA( North American Wrestling Allegiance)なる兼任のインディー団体を設立。 1月には、教え子のケニー・ザ・ストライカー(ケニー・ザ・スティンガー)も参戦したに来日している。 9月から6月にかけては、WCCWの後を引き継ぐ形で旗揚げされたグローバル・レスリング・フェデレーションに出場、若手時代の、、らと対戦した。 に現役を引退し、以降はNAWAの責任者兼ヘッドトレーナーとして、団体の運営と若手選手の育成に携わった。 NAWAの主な出身者には、にワイルド・ブルマンのでに来日したブルマン・ダウンズ 、後半にテキサス州のプロフェッショナル・チャンピオンシップ・レスリングでやと抗争したクリス・クロニックなどがいる。 得意技 [ ]• 噛みつき・かきむしり・など全般 獲得タイトル [ ]• テキサス・ヘビー級王座:1回• WCCW TV王座:1回• スタンピード北米ヘビー級王座:1回 パシフィック・ノースウエスト・レスリング• NWAナショナル・ヘビー級王座:1回 サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング• SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:2回 脚注 [ ]• Online World of Wrestling. 2015年12月3日閲覧。 『プロレスアルバム16 THE HEEL』P10(1981年、)• 『昭和プロレスマガジン 第34号』P29(2014年、昭和プロレス研究室)• Wrestlingdata. com. 2015年9月12日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2015年9月12日閲覧。 Puroresu. com. 2015年9月12日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2015年9月12日閲覧。 『THE WRESTLER BEST 1000』P25・P244(1996年、日本スポーツ出版社)• Wrestling-Titles. com. 2010年6月19日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2014年5月28日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年4月7日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2014年10月4日閲覧。 Puroresu. com. 2015年9月12日閲覧。 Puroresu. com. 2015年9月12日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2010年4月7日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2011年6月1日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年5月28日閲覧。 Puroresu. com. 2015年9月12日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2015年1月19日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2015年1月19日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2015年1月19日閲覧。 Online World of Wrestling. 2010年9月23日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2014年10月4日閲覧。 Wrestling-Titles. com. 2016年6月19日閲覧。 外部リンク [ ]•

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テレビ東京【奇跡の発見、ふたたび!「不滅の国際プロレス1974〜1981」DVD 2007年3月7日BOX発売!!】

キラーブルックス

2002年3月に行われた3周年記念オフ会の目玉企画として国際プロレスの秘蔵映像を鑑賞した。 雑誌でしか知りえなかった試合の数々が映し出せれて、筆者は非常に感激したわけであるが、中でも一番新鮮だったのは「エースとして」登場しているキラー・ブルックスの姿である。 ブルックスはディック・マードックの従兄弟であり、海外でもトップ・クラスのレスラーではあったが、日本の団体で彼をエースとして扱ったのは国際プロレスだけであった。 当時の国際のエースはラッシャー木村であり、木村にはロビンソンのようなテクニシャンタイプよりもブルックスや、ジプシー・ジョー、トーア・カマタ、アレックス・スミルノフといった狂乱型のラフ・ファイターをぶつけるほうが試合がスウィングするのである。 そんな理由でブルックスもエースに抜擢されたのである。 私がテレビ観戦をはじめたころのブルックスは、全日本プロで3番手ぐらいの扱いを受けており、TVに登場しても彼がフォールを奪うシーンはお目にかかれなかった。 それだけにブルックスのフィニッシュ・ホールドは何なのかということに非常に興味を引かれのである。 ビデオではブルックスとマイティ井上の試合が映し出されている。 ブルックスが木村に挑戦する1週前のテレビ中継ようだ。 試合の中盤に体育館の2階バルコニーにスポットがあたる。 浮かび上がったのは、翌週にブルックスの挑戦を受ける木村であった。 これが腕を組み無表情なのがおかしい。 ブルックスは木村を十分に意識し、井上のサンセットフリップを自爆させ、ロープに飛んで豪快なギロチンドロップ1発でフォールを奪い、木村を指差し「カムラー!」と叫ぶ。 と同時に「次週 IWA世界選手権 木村VSブルックス」のテロップが・・・。 本番のタイトルマッチでブルックスはなんとセカンドロープからのギロチンドロップで木村からフォールを奪っている。 木村が偵察していた試合では奥の手を温存していたというわけだ。 うーん深い! 同じ国際プロに準エースとしてよく来日していたカナダの復讐鬼 ギル・ヘイズもギロチンドロップを得意としていた。 彼は飛び上がった瞬間に舌をべろっと出し、残忍な表情をするのを売りにしていた。 昭和50年代に来日したレスラーの中ではなんと言ってもブルーザー・ブロディのギロチン・ドロップが豪快であった。 フィニッシュのジャンピング・ニードロップと同じ入り方をするため、ファンは大いに盛り上がりブロディがギロチンを出すと、的が外れてさらに盛り上がるという。 これはブロディのすばらしい計算であった。 もう一人忘れてはならないのがハルク・ホーガンである。 アメリカでの試合ではこの技をフィニッシュとして多用していたが、日本ではこの技をフィニッシュにはしなかった。 日本のファンにこの技は受けないということを察知したのであろう。 トップ・レスラーにはこのようにファイトする土地土地でスタイルを変える柔軟性も必要なのである。

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