ドッジ ライン。 【ドッジラインの単一為替レートとは】わかりやすく解説!!目的やメリット・固定相場制について

【冷戦のはじまり、アメリカ対日政策の転換、ドッジ=ライン】 受験日本史まとめ 83 / 日本史 by Cogito

ドッジ ライン

第二次世界大戦中の本土爆撃により、日本の都市の多くが焦土と化しました。 戦後は、駅周辺や人通りの多い広場の焼け跡に自然と闇市が開かれるようになります。 闇市ではふかし芋や毛布、手袋やロウソクなどあらゆるものが売られました。 配給制がなくなると、都市の住民たちは農村へ行き、衣料などと食物を物々交換し、その日暮らしの生活を送ります。 日本政府(第一次吉田茂内閣)は、経済の復興のために傾斜生産方式を採用しました。 傾斜生産方式 1946年、吉田茂内閣によって傾斜生産方式が実行されました。 (この政策はマルクス経済学の再生産表式をヒントに考案されたといわれています。 ) 傾斜生産方式とは、限られた資源と資金の配分を市場に任せず、計画的なものにすることで産業成長を速めることを目的とした政策です。 重油の輸入• 鉄鋼を増産• 石炭の増産(炭坑への鋼材の傾斜投入)• 今度は再び鉄鋼を増産(石炭投入)• この繰り返しで、石炭と鉄鋼の生産を相互循環的に増大させる これによって縮小再生産を食い止め、日本経済に拡大の循環リズムをつけました。 そして、さらにその効果が化学肥料やコメの増産など他の産業に波及するように、政府は補助金などで支援しました。 この政策は片山内閣にも引き継がれ、戦後すぐの混乱状態にあった日本経済は復興のめどを立てることができましたが、その後過剰な資金投入を生みインフレが加速してしまいます。 このインフレはモノ不足という背景も手伝って、かつてのドイツの深刻なインフレを思わせる勢いで進みました。 ドッジ・ライン 1948年、マッカーサーは吉田内閣に対して9原則の実施を要求しました。 急速に予算の均衡を図ること• 徴税計画の促進強化• 資金貸出を日本経済復興に寄与するものだけに厳重制限すること• 賃金安定策の確立• 現在の物価統制計画の強化• 外国貿易管理の運営改善と外国為替管理の強化• 特に輸出増大の為の物資割当および配給制を改善すること• 全重要国産原料および製品の生産増加• 食糧集荷計画の改善。 1949年、GHQの経済顧問としてデトロイト銀行の頭取であったジョゼフ・ドッジが来日し、財政金融の引き締め案を立案します。 この案をもとにした金融引き締め政策をドッジ・ラインといいます。 ドッジは当時の日本経済を竹馬経済と評し、片方の足はアメリカの援助、もう一方の足は日本国内の補助金と例えました。 援助額や補助金の額を上げる、つまり竹馬の足の高さを上げすぎると転んでしまう危険があると例えたのです。 ドッジ・ラインの内容は以下のとおりです。 緊縮財政や復興金融公庫融資の廃止による超均衡予算• 日銀借入金の返済など、債務返済優先• 複数為替レートの改正。 1ドル360円の単一為替レートに。 戦時統制の緩和と自由競争の促進 結果としては、インフレは収まったものの今度は国内需要や輸出が停滞、そしてデフレが進行することになりました。 失業や倒産が相次ぎ、ドッジ不況といわれる安定恐慌に入ってしまいます。 (東証の平均株価は史上最安値の85. 25円を記録).

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ジョゼフ・ドッジ

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今回はちょっとフクザツな経済の話。 終戦直後、日本はものすごい インフレ状態にあった。 500mlのコーラを自販機で買うと160円くらいすると思うんだけど、インフレ率が125%だとこれが1年後に360円になってる。 とてつもない値上がり方でしょ?360円もあれば牛丼食べられるよ。 たった一年でこれだけモノの価格が上がってしまったら、当然問題がいっぱい出てくる。 今回は、戦後に起きたインフレと、その問題をどうしたのか、というお話。 戦後インフレの原因 終戦直後から発生したインフレは、年々その酷さを増していった。 さっき言ったように、終戦から2年後の1947年には年率125%のえげつないインフレになっていた。 俗にいう ハイパーインフレーションってやつ。 このハイパーインフレの原因ってなんなのか。 原因は大きく分けて2つある。 国債を日本銀行に買い取ってもらってたこと• 企業にお金を貸しすぎたこと まず一つ目、国債について。 国債ってのは国の借金のことね。 戦時中、国はお金が本当になかったんで、国民に借金することでなんとか戦争を続けていた。 だけど戦争に負けたために相手から賠償金を取ることができなかったよね。 結局終戦後、国には国債という多額の借金だけが残った。 でも借金返済の当てもない。 じゃあ国はどうしたか。 日本銀行に「国債買って~」とお願いしたんだ。 日本銀行は日本のお金を作るところ。 だから、 いくら高額な国債だったとしても日本銀行はお金を刷れば買ってあげられる。 で、国と日銀はこの方法を使って国債の費用を賄おうとしたんだけど・・・。 これどう考えてもヤバいよね。 一番単純なインフレの原因って「お金の刷りすぎ」だもんね。 で、原因のもう一つ 「復興金融金庫」っていう制度について。 政府は、戦後の復興に重要だった鉄鋼業や石炭業をやっている企業に対して、 復興金融金庫からたくさんお金を貸してあげるという政策をとっていた。 お金を国からいっぱい市場に流してるわけだから、当然インフレが起こるね。 これも戦後インフレを加速させる原因になった。 まとめると、「政府の国債を日銀がガンガン買い入れたこと」「復興のため企業に融資しまくった」とが戦後インフレの原因になんだ。 戦後インフレの何がヤバいの? インフレには、「良いインフレ」と「悪いインフレ」がある。 「物価は高いけど給料も高い」って状況になる。 ただ急激なインフレだとこうはいかない。 庶民の給料が上昇する割合の何倍もの割合で物価が上昇してしまうから、 「物価は高いけど給料は安い」という状況になっちゃうわけ。 これは生活キツイよね。 で、 戦後のインフレは悪いインフレだった。 物価が物凄い勢いで上昇してしまい、庶民が「買える」モノの価格を大幅に超えてしまったんだ。 政府も、一般庶民が日用品すら買えないような激しいインフレはマズいなと考えていた。 そこで、 「庶民がモノを買える価格」と、「実際の価格」の差額分を国が出してあげる、という政策をとった。 確かにこうすれば、庶民はモノを買えるしモノを売る企業にもお金は入るよね。 ドッジ・ラインは戦後インフレを終わらせるためのもの でもさ、 政府が延々と差額分を肩代わりし続けたら、国の支出ハンパないことになるよね? 毎年インフレで物価はガンガン上がっていくから、差額もどんどんデカくなる。 実際、国の支出は年々膨らみ続けていた。 これを見かねたGHQは、日本のハイパーインフレを抑え込むべく経済のプロフェッショナル、 ジョセフ・M・ドッジという人を派遣する。 で、ドッジさんは「日本がやってる差額金を支給する政策、このまま続けてたら破綻するぞこんなの」と警告する。 ドッジさんはまずハイパーインフレを終息させないといけない、と考えた。 つまり経済をデフレにしようとしたわけ。 そこで数々のデフレ政策を打ち出す。 復興金融金庫廃止!• 超均衡予算!• 単一為替レートを設定する! これがドッジ・ラインの内容だ。 「復興金融金庫廃止」は、 市場にお金が出回らないようにする政策で、 「超均衡予算」は政府予算のうち、 支出を最低限にして、余ったお金は全部借金返済に回す!という政策のこと。 これでインフレの原因はカットできるね。 あと「単一為替レート」についてなんだけど、これはかなり説明が長くなっちゃうんで別の記事で詳しくやるね。 () ドッジ・ラインがもたらした影響 ドッジ・ラインは、そのどれもが強力な デフレ政策。 結果的に日本のハイパーインフレは一気に終息して、反対にデフレ状態に突入した。 ただ、こうなったからと言って庶民の生活が楽になるわけじゃない。 デフレってことは、物価が下がるわモノが売れないわで 企業は大損こくわけだ。 当然利益がでなくて倒産する企業もたくさん出た。 企業が倒産した影響で失業者もたくさん出た。 庶民からの批判やデモももちろん起きたけど、それでもドッジ・ラインの実行は現在でも評価されている。 というのも、戦後の企業の 「困ったら国がお金で助けてくれる」という考えを根本からぶち壊して、「自分の企業は自分で何とかする」っていう資本主義を日本に根付かせたきっかけになってるから。 それに、ハイパーインフレのまま何もしなければ、国民も政府もどんどん疲弊していっただろうしね。 このあと始まる 高度経済成長も、ドッジ・ラインが無ければ実現していなかったとも言われている。

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ドッジ・ライン

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1949年2月, 財政金融顧問として日したアメリカ合衆国のデトロイト銀行頭取ジョゼフ・M. の指導に基づき,同 1949年からが実施したの経済財政政策。 その基本線は,1949年3月7日ドッジが内外記者団とので発表したもので,1948年12月アメリカ政府が日本経済の安定と自立化を目的として GHQを通じて指令したを具体化することにあった。 このために,の実施,財政支出の削減,に基づく,1949年4月25日からの 1ドル=360円のの設定,復興金融公庫のと見返り資金勘定の,から集中生産方式への転換,封鎖経済体制から開放経済体制への移行などの諸施策が打ち出された。 その結果,金詰まりによる中小企業のや合理化による失業者のなどを,社会不安を激化させたが,ともかくを収束させ,日本経済を再建することができた。 彼の指導による一連の経済安定政策をドッジ・ラインないしドッジ・プランという。 彼は日本経済を、政府の補助金とくにインフレ下の生活物資への価格差補給金と、アメリカの援助との二つの竹馬にのった竹馬経済と見立て、この竹馬を切るのが自分の仕事であるとした。 それは大きくみて三つあった。 第一は、総予算(一般会計だけでなく特別会計も含めた)の均衡である。 このため、まずシャウプ勧告による直接税中心の税制が確立された。 第二は、あらゆる補助金を特別会計分も含めて表面化し、削減することであった。 価格差補給金は1949年度予算で大幅に整理削減され、51年度までに全廃された。 こうして49年度は超均衡(黒字)予算となる。 第三は、インフレの主原因であった日本銀行引受けの復興金融金庫債の発行を停止し、49年度以降債権の回収に専念させることによって、通貨の膨張を抑えた。 また、アメリカ援助物資の払下げ代金を新設の「見返り資金特別会計」に集中して、それを復金債の償還原資として運用する措置がとられた。 この結果、闇 やみ 物価は1949年初頭をピークに下落し、物価は急速に安定したが、さらにこれを国際物価にさや寄せさせるために、やがて1ドル=360円の単一為替 かわせ レートが設定された。 この為替レートは68年まで続いた。 こうしてドッジ・ラインはインフレ収束と黒字財政をもたらしたが、反面、49~50年にかけて深刻な不況=安定恐慌が発生し、国鉄の公社移行に伴う10万人首切りに関連したかのような下山 しもやま 事件・松川事件、民間企業の大量人員整理などによって民情は騒然となり、社会不安が起こった。 この恐慌の深刻化のさなか50年6月に朝鮮戦争が勃発 ぼっぱつ し、日本経済は新たな局面を迎えることになる。 [一杉哲也] 『中村隆英著『昭和経済史』(1986・岩波書店)』.

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