フォビア 意味。 ホモフォビア

テクノフォビアの反対語って何でしょうか?

フォビア 意味

食うに困らないヒマ人• 過度の厭世思想(無神論者・唯物主義)• 思考実験マニア なんか辛辣!ただ、多くの不安症を診断してきた医師による分析。 何かヒントがあるかもしれないので、ひとつずつみていきましょう。 食うに困らないヒマ人 これ、身に覚えのある方も多いのではないかと思います。 確かに、 日々の生活よりも、いつかくる死の恐怖が一大事という状態は、恵まれているのかも。 「 とりあえず今日生きるのに精一杯!」という時、タナトフォビア消失していたなあ、と筆者も自分のことを思い出しました。 ヒマだと発作が起きやすい? 多くの場合、 タナトフォビアには発作が存在します。 普段はねっとりと漠然とした不安を抱えていますが、「発作」となると動悸や吐き気が起きたりします。 寝ても覚めても、思考が死につきまとわれている状態も、発作と捉えていいと思います。 この、発作を起こした状態。 つまり悪化した状態は、数ヶ月続くこともあります。 筆者がこんな風にバランスを崩した時期のこと、振り返って見ると確かに他の悩み事や妨げがありませんでした。 脳がヒマ過ぎて、余計なことを考えているような感じ。 「 子供の頃に初めてタナトフォビアを起こした」という方も多いですが、これも子供は生活の心配をする必要がないから、と取ることもできます。 「自分も絶対死ぬことに初めて気付いた時」、 受験や就職、収入の心配などがあれば気がそれますが、子供にその手の心配事はありません。 筆者が思い返すのも、毎日楽しく生活していて、楽しい子供時代。 充実した生活を送っているのに、 大きな避けられない変化 死 があることに初めて気づいてしまいました。 当時、それ以外の悩みがなかったので、そのまましばらくの間、心を「 死」に支配されてしまったのでした。 周りを見渡して「孤独」を感じるのもヒマな時 忙しくいきていると、立ち止まって周りを観察する余裕は失われます。 ただ、ヒマな時ふと周囲を見渡すと、誰も死ぬことを気にしていないように見えます。 「死は当然のことなので話題にすらしない」雰囲気。 誰も、死への恐怖を公にしていないことは、小さい頃とても怖かったのを覚えています。 タブー感が一層恐怖を煽るんですよね。 大人に聞いてみても濁されます。 「 死んだらどうなるの?」「 みんな怖くないの?」といった子供の疑問に正面から向き合ってくれる大人、当時はいませんでした。 もし、 誰もが死に不安を抱えていて、それでも生きているのだということを、早いうちに身近な大人に教えてもらえていたら。 軌道修正できて、タナトフォビアにならなかったかもしれないと思うことはあります。 「食うに困らないヒマ人」正解かも 筆者のタナトフォビアがひどくなった時期は、確かにヒマな時期でした。 では、 改善されたのは一体どんな状態のころか。 死ぬほどきつい運動部に入部した時と、生活に困ってバイトをしまくっていた時でした。 考える暇がない、というのも重要。 さらに、 社会に馴染んでいる時ほど孤独感がなく、余計なことを考えなかったと感じます。 過度の厭世思想を持っている 「 厭世思想」、あまり頻繁に聞く言葉ではないですよね。 「 世の中をいやなもの、人生を価値のない無意味なものと思うこと」を指します。 ちなみに、無神論者・唯物主義者も、厭世思想の傾向で、「 神様なんていない。 見えるものしか存在を認めない」という感覚もまとめてこう呼ばれます。 厭世思想の大半が「死後は無」と思おうとする 厭世思想の方向性からして、ほとんどの方が「 死後は無」と考えているのは想像できます。 「 神様もいないし、人生は無意味、死んだ後に何か続くほど生命に価値はないよ」という感じ。 ただ、だったら死をさらっと受け入れられそうなものですが、タナトフォビアになりやすい要因でもあるという……。 厭世思想の人達こそ、生にも死にも興味がないのだと思っていたのですが……。 というか、厭世思想が要因でタナトフォビアになっているのだとしたら、なんかいじらしく感じるのは筆者だけでしょうか? 厭世思想の要因は、「世の中への絶望」。 ただ、そういう人たちも実際、 本気で世の中を軽く見ているわけではないのかもしれません。 人一倍、生死や世の中について考えて、結果的に絶望して、厭世思想に、という流れなのでは。 その思考に至るまでのことを思うと、なんとも切ないですね。 自分が無価値に感じるので鬱になりやすい 「世の中に価値がない」「人生に意味はない」という厭世思想の思考回路。 これの行き着く先は、「自分自身も無価値」という結論ではないでしょうか。 なんの価値もないのに、意識があって、恐怖心があって、生まれてただ死んでいく……、怖いですね。 孤独感が尋常じゃなさそうです。 そもそもこの思考回路、鬱のそれですよね。 厭世思想の場合、克服が楽しそう 当事者からすれば無責任に聞こえそうですが。 厭世思想からタナトフォビアを起こしている場合、克服が楽しそうで羨ましいです。 厭世思想の場合、「世の中に絶望した状態」からスタートするわけで、 「世の中捨てたもんじゃないな」と、思える体験を積極的にしていくことで思考を変えていく流れになるはず。 正直楽しそう。 ただ、 「世の中捨てたもんじゃないな」と思えるハードルが高いゆえの厭世思想。 本人にとっては、しんどい克服なのかもしれません。 意外と多いのが「自分大好きタナトフォビア」 筆者も当てはまると思うのですが「 自分が大好き!生きるのが楽しくて仕方ない!だから絶対死にたくない!」 タイプのタナトフォビア。 出来事に意味づけするのも大好き。 ちょっと嫌なことがあっても「まあおかげで経験できたな」などと、喜んでいるタイプです。 厭世思想からのタナトフォビアタイプの方とは、似て非なる存在。 同じタナトフォビアでも、そこに至るまでの過程が違えば全く性質の違う思考回路になります。 「世の中すべてのことに意味がある」「なんでも行動次第」「自分にしかできないことが山のようにある」「楽しく生きた方がいい!」「自分ってすごい!」ここから、 死ぬのがもったいなくてタナトフォビアになってしまうのが、「 自分大好きタナトフォビア」のステレオタイプです。 思考実験マニア 思考実験とは、実験器具を使って測定をするのではなく、「理論的にこうなる」と 思考だけを使って現象を導き出す実験方法。 アインシュタインやスティーブン・ホーキングは、実際に観測できない宇宙の法則を思考実験で解明しました。 専門知識があれば学術、知識なくただ思いつめているだけだと、妄想になってしまうんですよね……。 「マニア」の罠 ポイントは「 マニア」。 思考実験は、シミュレーションとは別物で、モデルや、具体的な数や式も登場しない概念的なものです。 先に例に出した、アインシュタインの特殊相対性理論も思考実験から導き出されました。 物理だけでなく、数学や哲学の理論にも使われる思考実験。 とてもお行儀の良い手段に思えますが、 マニアと呼ばれるまでになってしまうとメンタルがブレてしまう要因になりかねません。 思考の沼から抜け出せなくなる人たち 「思考実験なんて言葉、今知ったしマニアになんてなりようがない」という方。 物理や数学を詳しく知らなくても、考えてしまったことはないでしょうか……? 「自分のいないところでも本当に他の人は存在してるのかな」「生まれてから今までのことは全部夢で、目が覚めたら全く別の人間なのかも」「宇宙の端っこってどうなってるんだろう」「宇宙ってそもそも何」「 今の自分の意識、これ何?」 なぜ、地球には70億人も人がいるのに、自分は自分なんだ!?と、ここまできて、 死んだらどうなるんだろう!に繋がっちゃうんですね。 天才アインシュタインがやれば思考実験。 しかし、筆者が無知な状態で考え込んめば、それは思考の沼です。 知らないことが多い分野、知識なく考え込むのは危なそうですね。 それが、 謎に包まれた「死」についてであれば、なおさら。 実際に 思考実験でタナトフォビアになった人物 エリザベス・キューブラー・ロスという、死を研究している精神科医がいました。 彼女は、キューブラー=ロスモデルと呼ばれる「 死の受容プロセス」を提唱した、第一人者でもあります。 キューブラー・ロスは自身の著書で、 「死後の意識の継続」「輪廻転生」を肯定的に語っていました。 しかし、当然ですが、 キューブラー・ロス自身も死ぬ日はくるわけで……。 彼女が、 死の数ヶ月前に辿りついた「死の結論」。 これがあまりに恐ろしいものであったため、親族が口を噤んでしまい公表されなかったことが、キューブラー・ロスの死後、明らかになります。 死の研究家である彼女の結論、「死後の生はなく、死後の無もない」「人間は死ぬ瞬間の光景、感情、痛みを感じながら、そこで時間が停止する。 時間が停止するので、意識を失うことはない」「無にもならない。 死ぬ瞬間のその苦しみを永久に感じ続ける」。 つまり意識は継続するけれど、死の瞬間から身動きが取れないというもの。 怖い! キューブラー・ロスはこの結論に辿りついて以来、気が狂ったように叫び、その瞬間が来るのを恐れ続けたと言われています。 これまで、死についての研究に人生を捧げてきた彼女は、 長年の思考実験によってタナトフォビアになってしまったと言えるのではないでしょうか。 自分の死に向き合った時に、冷静でいることができなくなってしまったのでしょう。 Advertisement 思考が偏るのは危険! 途中、ちょこちょこと脱線しましたが、 「タナトフォビアになりやすい人の特徴」概ね合ってんな!という感じでしたね。 死にはいまだに正答がなく、基本的には 自分の思考を頼りにするしかありません。 「自分がどう思うか」が「死を怖がるか否か」に直結するのです。 死について深く考えようと思う時には、心を健康に保つことが大切です。 さらに、あまり自分の思考に偏りすぎると、糸口が見えず、心が壊れかねません。 そうならないためには、 他人の思考を程よく取り入れるのがおすすめ。 一人で思いつめているとき、それは「 悩み」です。 しかし、他人の思考を取り入れると、途端にそれは「 研究・学び」に昇華されます。 また「こんなこと考えているの自分だけだ」、なんていう 孤独感を解消してくれます。 待ち構えている死は平等でも、 タナトフォビアである人と、そうでない人がいる。 その違いはどこにあるのでしょう?これは、筆者的にとても興味深いテーマなので、また書きたいと考えています!•

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ノモフォビアとは

フォビア 意味

バイオフィリアとバイオフォビア バイオフィリアとバ イオフォビア On Bio-philia and Bio-phobia バイオフィリア(biophilia)とは、生命への愛好が、後天的に学ばれる以前に、人間や動物は自然界の一部を「好む」性質を先天的にもつ のでは ないかという仮説である。 バイオ=生命・生き物・自然、という用語にフィリア(愛好、趣味)という用語がついて造語されたものである。 先天的には、遺伝子 のなかにそのような選好性をもつ性質や行動特性(=形質)があり、それが発現しているのではないかと考えるために、仮説、つまり バイオフィリア仮説 (the biophilia hypothesis)と呼ばれる。 バイオフォビア(biophobia)とは、特定の生き物(例:蛇や蜘蛛など)への嫌悪が、後天的に学ばれる以前に、人間や(他の)動物は自然 界の一部を「嫌う」性質を先天的にもつのではないかとい う仮説である。 バイオ=生命・生き物・自然、という用語にフォビア(嫌悪、恐怖症)という用語がついて造語されたものである。 先天的には、遺伝子のなかに そ のような選好性をもつ性質や行動特性(=形質)があり、それが発現しているのではないかと考えるために、仮説、つまり バイオフォビア仮説(the biophobia hypothesis)と呼ばれる。 ともに、スティーヴン・ケラートとエドワード・ウィルソンらによって提唱された。 The biophilia hypothesis suggests that humans possess an innate tendency to seek connections with nature and other forms of life. [1] Edward O. Wilson introduced and popularized the hypothesis in his book, Biophilia 1984. [2] He defines biophilia as " the urge to affiliate with other forms of life". [3]• "biophilia hypothesis. Wilson, Edward O. 1984. Biophilia. Cambridge: Harvard University Press. ISBN 0-674-07442-4. 416. リンク• Stephen R. Kellert, Edward O. Wilson, The Biophilia Hypothesis. Island Press, 1995. ケラート, エドワード・O. ウィルソン編 ; 荒木正純, 時実早苗, 船倉正憲訳,法政大学出版局 , 2009•

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バイオフィリアとバイオフォビア

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【目次】• ノモフォビアとは — 意味 ノモフォビアとは、「 No Mobile Phone Phobia」を略した言葉。 「Phobia」は「恐怖症」という意味で、 重度のスマートフォン依存症(携帯電話依存症)を意味する。 ノモフォビアは、 スマートフォンなどの携帯電話端末がないと不安になる、恐怖を感じるという依存症で、特に若い世代に多くみられる症状。 スマホや携帯電話は生活になくてはならないツールだが、外出時に家に忘れてしまったり、バッテリーが切れてしまったりするのはよくあること。 依存傾向にない人ならば不便を感じてもパニックに陥ることはないが、ノモフォビアにかかっていると強い不安や恐怖を感じ、ときにはパニックに陥ることもある。 ノモフォビアは世界的に問題になっている現代病ともいえる症状で、いわゆるスマホ中毒の状態になっている人が多い。 たとえば、香港の地下鉄で、スマホが動かなくなってパニック状態に陥った女性の動画が話題になったことがある。 この女性は人目もはばからず取り乱し、スマホを何度も叩き、しまいには叫びながらスマホを踏みつけていた。 これはノモフォビアの症状の例のひとつであるが、このようにスマホが動かなくなったり、手元になかったりすることでパニックに陥るノモフォビアの症状が表れる人が増えている。 ノモフォビア度のチェック 以下の項目に多く当てはまるほどノモフォビア=スマホ依存症の可能性が高くなる。 ・食事中もずっとスマホを触っている ・友達といるときもずっとスマホを触っている ・トイレやお風呂にもスマホを持ち込む ・スマホを触っていないと落ち着かない ・スマホがない、バッテリーが切れるとイライラする ・スマホがない、バッテリーが切れると不安や恐怖を感じる ・メールやLINEの通知がないかこまめにチェックしてしまう ・テレビや映画を観ているときもスマホを触っている ・眠っているとき以外ずっとスマホを触っている ・スマホを手に持って寝ることが多い ・財布を忘れてもスマホは絶対忘れない ・着信やバイブが鳴っていないのに鳴った気がすることが多い(幻想振動症候群) ・歩きながらスマホを操作することがよくある(歩きスマホ) ・車やバイクの運転中もスマホを操作することがよくある ノモフォビアはスマホに強い依存心があるため、スマホを触っていないと落ち着かないといった症状がみられる。 友達や恋人が自分と一緒にいる間ずっとスマホを触っている場合、ノモフォビアの可能性が考えられる。 「あなたといてもつまらない」と言われたらぐうのねも出ないが…。 歩きスマホや車やバイクの運転中にもスマホを操作をしてしまう人は要注意。 自分だけならまだしも、人に迷惑をかけてしまうおそれがある。 事故を起こしてから後悔しても遅いので、歩きスマホ、車やバイクの運転中にスマホを操作するのはやめよう。 幻想振動症候群 ノモフォビアと同じようにスマホ依存の傾向がある症状として、スマホが鳴っていないのに鳴ったように感じる「幻想振動症候群(ファントム・ヴァイブレイション・シンドローム)」というものがある。 幻想振動症候群=ノモフォビアというわけではないが、頻繁にこの症状が現れるようならスマホ依存度は高いかもしれない。 振動という言葉が使われていることからもわかるように、スマホや携帯電話のバイブ機能で端末が振動したと勘違いするのが幻想振動症候群である。 ポケットに入れていて、スマホのバイブが振動したと思って取り出してみたものの着信がなかった。 これが頻繁に起こるのが幻想振動症候群の症状。 人のスマホが鳴ったのに自分のスマホが鳴ったと勘違いするのは、よくあることだろう。 これは幻想振動症候群と判断するかは微妙なところで、ただの勘違いで一度くらいであればまあ問題ない。 ノモフォビアによる悪影響 ノモフォビアはスマホがないと不安に襲われるという以外に、こんな悪影響がある。 ・睡眠障害 スマホの画面から発するブルーライトは脳を覚醒させる作用があるため、寝る前にスマホを操作すると寝付きがわるくなってしまう。 寝る前のスマホ操作は体内時計を狂わせてしまう原因となり、それが続くと睡眠障害に陥ることがある。 スマホにはブルーライトを軽減する機能やアプリがあるが、スマホを触ること自体が脳を覚醒させてしまうので、寝る前はスマホを触らないほうがいい。 ・スマホ首(ストレートネック) 通常、頚椎(首の骨)はゆるやかなカーブを描いているのが、スマホを操作するときは首の骨がまっすぐになってしまい、その状態が続くとスマホ首になってしまう。 スマホ首になると血流が悪化し、肩こりや首コリを引き起こす。 ・ながらスマホによる事故 歩きながらスマホを操作する、車やバイクを運転しながらスマホを操作するといった「ながらスマホ」は事故につながる可能性が高くなる。 自分では周りも意識しながらスマホを操作しているつもりでも、人間の脳は一度に2つ以上のことを処理できないため、スマホの画面を見ているときは周りが見えていない。 たとえば時速60キロで走行した場合、2秒間で約33. 3メートルも進むため、スマホを操作して前を見ないで運転するのはいかに危険であるかがわかるであろう。 ・コミュニケーションの減少 家族や友達、恋人といるときでも常にスマホを触っていると、コミュニケーションが減ってしまう。 スマホを触っていると話しかけにくいし、話しているのにこちらも向かずにスマホを触りながら返事をされると話す気がなくなる。 そうしたことが積み重なるとコミュニケーションが低下してしまうだろう。

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