それ以外の部分を川柳でみんなもらおう」 つまり、5・7・5の形式で、俳句ではないものはすべて川柳である、と言いいたいのです。
1その 「俳句」との違いは、こちらには 「季語」が必要ないという点です。 余談ですが、名前がないといえば、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の書き出しが有名ですよね。
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ですから短歌の文字数も、 和歌と同様5・7・5・7・7です。
上の俳句は、情緒や余韻を大事にしていますが、下の川柳は、芭蕉の真剣な様子を茶化して伝えています。
俳句でいう俳号とは性質がまるで異なります。 ・俳句は、主に<文語>表現ですが、川柳は<口語>が普通です。
また、俳句と同じように、川柳は 17音の五・七・五で成り立っていますが、題材や季語の制限もなく、人情や世情などが主として取り扱われます。
季語を含むのが普通です。
指定の季語は冬の海というように季節を指定しているもの• 季語もなく、5・7・5の形式によらない自由律俳句というものもありますが、ここでは除外しておきます。
俳句よりも、川柳は庶民的な傾向が強く、内容的にも風刺が相当効いた、ユーモアの内容が多くなっていきました。
飾らない「つぶやき」という点で近いものがあるのでしょうか。
俳句のテーマは 季節や自然を題材にしたものが中心です。
「川柳」 せんりゅう も、 「俳句」と同様に、5、7、5の文節で構成される詩になります。
「倭歌」とも書きます。 この無季俳句を「俳句とは認めない」という立場の人たちも存在します。
俳句は、 17音の五・七・五の短詩形で、基本的に季語を使います。 一番の違いは、季語があるかどうかです。
「登山」の「子季語」として、「ケルン」「ヒュッテ」「ブリザード」「ブロッケン」なども名句が生まれれば、新しい季語になり得ると思います。
季語や季題にとらわれない「 無季俳句」(季語が使われていない俳句)もありますが、これには賛否両論があります。
江戸時代の前期に文芸的な俳句を数多く残し、それをもととして明治時代にかけて俳句のスタイルが確立されました。
短連歌は一句で終わるスタイルのもので、長連歌は連続して続くスタイルのものです。
前の人が読んだ句にあとの人が句をつなげていく、というスタイルの文芸のひとつです。
これは複数ある説の1つですが、 明智光秀は文武に優れた智将として有名です。
「短歌」と聞くと、「古い歴史のある難しい歌」というイメージを持つ人もいるでしょうが、五・七・五・七・七のリズムに乗せるだけで良いので、実は自由度がとても広い言葉遊びです。
一方、川柳は、俳句の季語を外してより簡単になったもので、口語を用います。 これらはまるで現代のラブソングと同じような扱いをされていたのです。 題材の制約はなく、人事や世帯、人情までも扱われます。
5一方 口語は、私たちが日頃から使っている話し言葉のこと。
付け句は、下の句(七・七)をお題にし、それに合う気の利いた付け句(五・七・五)を考えるという遊びだが、下の句がなくても面白おかしく作れることに気づき生まれのが川柳であるため、社会風刺などが題材とされる。
正岡子規が詠んだ「帆柱に 月待ちながら 時雨かな」 切れ字の「けり」は、主として文末に使われ、俳句の締めくくりになるものです。
阪井久良岐(さかい・くらき)は詩的な川柳の確立を目指し、井上剣花坊(いのうえ・けんかぼう)は原点回帰を目指します。